第97話 何でも自分のせいにすることのバカらしさ
こういう状況を考えてもらいたい。人と話していたら、その人から思いやりの無い言葉を投げかけられた。そうして、その言葉によって、怒りや悲しみを得た。日常よくあることだろう。傷心のあなたに、わきからこんなことを言う人がいたらどうか。
「あなたが怒ったり悲しんだりしているのは、その相手の人に対して、あなたが、こんな風に言ってくれたらいいのに、と期待しているからですよ。そういう期待が先にあるから、その期待通りにしてくれなかった人に対して、怒りや悲しみを覚えるんです。他人は、あなたの鏡なのです。あなたが怒ったり悲しんだりしているのは、他人のせいではなく、他ならぬあなたのせいなのです」
このような助言に対して、あなたならどう思いますか。
わたしならこう思う。
寝言は寝てから言え!
こんなことを言い出したら、たとえば、道を歩いていて車にはねられたときだって、
「あなたが交通事故に遭ったのは、あなたがその道を歩いていたからです。その道を歩いていなければ、そういう事故には遭いませんでしたよね。だから、あなたが事故に遭ったのは、他人のせいではなく、他ならぬあなたのせいなのです」
ということになってしまう。
もちろん、現にそう言ってもいいのかもしれないが、こうなると、これはもう世間的常識ではなく、立派な宗教である。
どうも近頃の世の中、何でもかんでも自分の責任にするのが流行っているようである。世界は自分の中にある。人生は自分次第。他人の自分に対する行動も自分次第だし、雨降りの日も自分次第でいい日になる。
しっかりしろ!
自分の責任は自分の責任だが、他人の責任は他人の責任である。他人の責任まで自分が引き受けることはない。あれもこれもそれもどれも自分の責任だと考えるのは、潔いと言えば潔いが、およそ責任というものがどういうものか分かっていないアホである。潔いアホ。
自分は自分、他人は他人、他人は自分の期待通りには動かない、これは当たり前。しかし、他人にこうしてほしいという期待をするのもまた当たり前のことである。期待は、度を超せば厚かましいことになるが、全くそうしないようにしようとする必要など無い。
他人には期待していい。期待に応えてもらえれば喜べばいいし、期待が裏切られればがっかりすればいい。もちろん、他人による喜びも失望も無い人生を送りたいというのであれば、他人に期待せず、全てを自分の責任として引き受けて生きるのもいいと思うが。
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