第108話 行間を読んでもらうことにした
文章というものは人に伝わってナンボだというのが普通の考え方であるし、それは真っ当なものだと思う。そのために、理を尽くし、言葉を尽くし、手を変え品を変え、繰り返し丁寧に説明するのである。
ところで、わたしは、そういうことをしていない。していたとしたら、もうしないことにした。面倒くさいし、そんなことをしたところで、結局、伝わるのは、分かる人でしかないからである。そうして、分かる人というのは、何を言わなくても分かるということになっているわけである。以心伝心。
いや、分かりやすく書くことによって、それを読んでもらうことによって、分からない状態の人を分かった状態にできるのだと、そういう反論もあるかもしれない。それは正しい。確かにそういうこともある。しかし、分からない状態から分かる状態に切り替われる人というのは、分かる素質がある人であり、であれば、いずれは自分で分かったことだろう。早いか遅いかの違いに過ぎない。理解は早い方がいいのか。いいかもしれないが、あることについて分かったところで、それはそれだけの話でもある。
文章は人に伝わってナンボ。ナンボというのはつまりは金になるということだろう。金を稼ぐために書かれた文章というものは、価値があるのかどうか。文章にとっての価値とは何か。金=価値だと考えている人にとっては、まあ、そういう疑問さえ起こらないことだろう。これが分からない人の一例ということになって、こういう人は何を読んでもそれなりの理解にとどまるだけの話である。でも、それなりの理解にとどまっても別に悪いことはない。繰り返しになるが、分かったから偉いということでもないのだ。
文章は行間を読ませてはならない、一読して分かるように書かなければならないということがよく言われるけれど、一読して分かるということは、すでに知っていることか、あるいは、浅薄な内容のどちらかである。つまり、考えなくても読める文章であるということだ。そういう文章を読む価値があるのかどうか、「分かって得したなあ」と思っている人は、そういうことをちらと思うことさえないのだろう。
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