第117話 人生で大事なことは全部○○から学んだ……?

「人生で大事なことは全部○○から学んだ」という言い方がある。全部サッカーから、全部将棋から、全部テレビゲームから。そんな具合である。一芸を究めた人、一芸を行い続けた人が、その芸から、人生全体に渡る法則を発見し、それを適用できるようになった、あるいは、適用しつつこれまで生きてきたということだろう。


たとえば、サッカーから、チームメイトとコミュニケーションを取ることが大切だということを学んだとして、それこそが人生においても大切なことなんだと、社会生活において、常に他者とコミュニケーションを取ることを心がけるといった具合である。


ところで、この言い方は正しいのだろうか。人生で大事なことは全部サッカーから学んだ。あるいは、確かに正しいかもしれないが、もしかしたら、それはサッカーから学んだことを、人生の中に無理やり当てはめているだけかもしれない。言い方を変えれば、サッカーから学んだことが当てはまる部分だけを人生と言っているに過ぎないかもしれないということである。


どういうことか。


たとえば、わたしは今、福島住まいであり、相当年数福島に住んでいる。で、この先、他県に行かず、一生福島に住み続けることもできるし、できるというか、まあ、先のことは分からないけれども、なんとなくそんなことになりそうな気もしているが、それはともかく、そのわたしが、「福島は最高の県だ!」と言ったとしたら、どうだろうか? いや、他県に行きもせず、なんでそんなことが分かるんだよ、とツッコミが入ることだろう。


「全部○○から学んだ」と言っている人は、これに似ている。他のことを学びもせず、なぜそれが全てだと、人生にはそれだけしかないと言い切れるのか。それは、ただ、それ以外のことを知らないだけに過ぎない。他県に行かなくても福島で何不自由なく生きていけるように、その「○○から学んだ」原則で何不自由なく生きていけるので、その他を省みていないだけだ。


それが悪いと言っているわけではない。他県に住まずに、福島県に住み続けることが悪いことではないように。ただ、正しくないかもしれないと言っているだけである。人生には、別の側面、別の深淵がある。「全部○○から学んだ」などと言って、人生について分かった気になるのは、ちょっともったいないのではないか。

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