第41話 がんばらない日々
わたしはがんばることが嫌いである。だから、がんばらない。昔は人並みにがんばっていたこともありました。英語の勉強したりとか、資格試験の勉強したりとか。しかし、まあ、それなりの年になってくると、一体そんなものがわたしの人生にとって何の役に立つのだろうかと思うようになった。よく、「年を取らないと分からない」という言い方があって、わたしは、この言い方、あんまり好きじゃないのだけれど、しかし、確かにそうとしか言えないことがあるのも事実である。年を取ると自然と人生の終焉を意識できるようになるわけです。老い先短い人生、英語だとか資格試験だとか、そんなことに消費してどうなる? そういうわけで、わたしは、現在、ルービックキューブを六面揃えられるようにしたり、蒸し器を使わずにプリンを作れるようにしたり、と実に有意義なことに、自分の人生を使うようにしています。額にハチマキ、血眼になって事に向かうのは若い方にお任せしたい。
若い方にお任せしたいとは言っても、若い方だって別にがんばらなくてもいいんじゃないかな、と思います。「がんばらなきゃいけないこと」なんて、この世の中には無いのです。「がんばらなきゃいけないとされていること」しか無い。そんなものはがんばらずに、適当にやればいい。「若いときの苦労は買ってでもしろ」なんてがんばることを促す言葉がありますが、本当の苦労は売り買いできるような安っぽいものじゃない。本当の苦労は、あなた自身とともにあるものです。がんばるとかがんばらないとか、そういうことが言えないようなもの、それと共に生きるしかないものなんですね。
さて、以前、「後悔も反省もしない」ということを書いたし、「楽になる考え方も求めない」と書いた。あれもしない、これもしない。じゃあ、一体お前は何ならやるんだ、とお思いになる向きもあるかもしれない。わたしは、わたしが決めたことをやります。自分がすると決心したことをやる。やらなければいけない。自分が自分に命じているわけなので、それに対しては反抗ができません。嫌でも(?)やるしかない。もちろん、世のお付き合い的なこともあって、自分が決めたことだけしているわけにもいかないのだが、まあそれはそれで適当に済ませればいいでしょうと思っている。自分でミッションを定めて、それを自分で行っていく。自分で決めたことならがんばれるわけだが、それはやはりそれとともに生きているという性質のものであって、自分と共にある以上、がんばる対象などにはならないのである。
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