第19話 生きるための理論構築をがんばる人たち

世の人は、みな生きるための理論を必死で構築しようとしているように見える。幸福感を得るためにはどうすればいいか、悔いなく生きるためにはどうすればいいか、そのためには、他者の課題を分離せよ、好きなことだけをせよ、心配事の9割は起こらないから心配するな、感謝の気持ちを持て、大宇宙の声を聴け、などなど、などなどなど。


こういうものをまともに書いたり、あるいは、書かれたものを読んだりしている人を見聞きすると、クラクラするものを覚える。いったいどこまで本気でやっているのだろうか。いや、まあ、悪いと言っているわけではないけれど、そうやって生きるための型を作ろうとすることは、わたしなんかからすると、窮屈なのではないかと思ってしまう。窮屈だし、つまらない。


人生は不思議に満ちている。世界があって、その中に存在して、肉体と精神を持って、運命を持って、成長して年老いてやがて死ぬ、ということは、とても不思議なことであり、この不思議を感じることができれば、それだけで人生は面白い。しかし、人生理論を作ると、この不思議を感じ取ることができなくなってしまう。それは、もったいないことだと思う。


たとえば、「自分の機嫌は自分で取ろう」という人生論がある。あらかじめ言っておくが、わたしはこれに反対しているというわけではない。周囲に不機嫌をまき散らしているような人に対しては、是非ともそう言ってやりたい言葉だ。しかし、こういう人生論をただ受け取っているだけだと、そもそも、「機嫌が悪くなるというのはどういうことか」、「なぜ機嫌を取る自分と、機嫌を取られる自分という、二人の自分がいるのか」ということに関して、意識が向かなくなる。そんなこと考えてもしようがないだろう、と不機嫌に言われてしまうと、返す言葉が無いのだけれど、そういうことを考えることが、わたしにとっては面白いし、その方が人生が豊かになるのではないかとも思う。


人生論、人生観、主義といった、人生を規定するようなものを捨てていけば、人はもっと自由になれる。この自由は宇宙大にまで広がっていくことだろう。まあ、真っ暗な宇宙空間の中に放り出されて、あとは好きにしろと言われても、困ると言えば困るのだが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る