第134話 常識を手放さないことの重要性
変な考えが好きである。まっとうな考え、この世的な価値に奉仕するような考えは生活の役には立つのかもしれないが、どうも面白くない。先に書いた、「時間が未来から過去へと流れる」というような変な考えが、わたしの琴線に触れる。(まあ、これは、先の記事でも書いた通り、あるいはこの世的な価値に奉仕する考えの部類に入るのかもしれないが。)
ただ、好きではあるのだが、常識に照らし合わせてみると、あれ、と思うことがあり、「未来から過去へと流れる? それってどういうことだろうか」と考えてどうもうまく納得が出来なくて、結果、そのような変な考えを受け入れることができないということが多々ある。好きなのに受け入れられないとはこれいかに。
常識のせいである。
常識があるから受け入れられない。
こう書くと、常識ってよくないなと思われるかもしれないが、話は逆で、ものを考えるときに、自分の常識を手放さないことは、とても重要なことではないかと思う。確かに、常識にとらわれて、何でもかんでも常識が正しいんだと思ってしまったら発展はない。常識の外には一歩も出られなくなってしまって、同じ所にとどまるだけである。しかし、その逆に、何でもかんでも、常識から外れようとすれば、それは、本来ありもしないものまで信じ込むことになって、信仰と変わらなくなってしまう。
あることを考えるとき、そのことを受け入れる前に、まずは常識に照らし合わせてみる。時間は過去から未来へと流れるというのが常識である。その常識に照らし合わせてみれば、時間が未来から過去へと流れるというのは、どうも納得できないことになる。この納得できなさに、ちょっとこだわってもらえるとよい。常識外れの考えは面白くて、わたし自身も大好きで、だから、哲学が好きだというところもあるのだが、実はそれよりも好きなことがある。それは自分の頭で考えることだ。自分の頭で考えようとするとき、常識は大きな力となる。
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