第149話 時間術の限界

世に時間術なるものは多い。

時間術とは、いかに有効に時間を使うかを説くものである。

より短い時間でより効率よく、よりたくさんのことを!

しかし、そうやって時間を有効に使って、それが一体何なのだろうか。

……ということは、以前説いたような気がする。

ネットショッピングで実際に買い物に行く時間を省いて、節約した時間をさらなるネットショッピングに使う。

永遠にくだらないことを回している人生とは味気なくないか、と。


今回は、ちょっと別の視点で、この時間術の無意味を説きたい。

無意味というか、限界というか。

時間術には限界がある。

なんでも時間を短くして効率的にとはいかない。

どうしても時間をかけざるをえないことというのが存在する。


みんな大好き恋愛のことを引き合いに出してみると分かりやすいだろう。

たとえば、恋愛相手のことを手っ取り早く知ろうとして、履歴書的にプロフィールを全部書き出してもらったとする。それを熟読すれば相手のことが分かったということになるかと言うと、まあ、そんなことにはならないだろう。それで相手のことが分かった気になって、いざ一緒になって、こんなはずじゃなかったということはいくらでもあるだろうし、現在進行形でそう感じている人も多いのではないか。


人を知るということには時間がかかる。

時間をかけずに簡単に済ませるというわけにはいかない。


芸事なんかもそうだろう。

1日30分30日完成の茶道講座などというものがあったとして、仮にそれで完成したとしても、その完成された茶道は、30分×30日分の完成度に過ぎないことは明らかである。


時間をかけずに済ませることができることというのは、所詮は時間をかけずに済ませることができるような浅薄な話でしかない。時間術というのは人生において真に知るべき内容には適用できないのである。もちろん、「わたしは別に恋愛もしなければ芸事にも無縁で、ただひたすら仕事をして金を稼ぎ、もののあはれとは無縁な状態で生きて何も構わない!」と言うのであれば別だけれど、しかし、である。誰しも絶対に、人生の質というものを考えなければいけないときがやってくる。それが、年老いて死に近づくときである。さて、その時になってもなお時間術を駆使して、より短い時間でより多くの浅薄な内容を取り込もうとし続けることができるのかどうか。


人生には時間をかけるべきことというのが厳然として存在することを、きちんと認識することをお勧めする。何でもかんでも、時間をかけずに行うということは無理なのである。「家事に育児に仕事に介護に奔走している状態で、時間をかけずに行うことがあるなんて言われても困る!」と思ってしまえばそれだけの話であり、そうやって死ぬまで奔走して生きていくことになるのは、やはりその人の人生である。

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