第11話 悟りを語る人の嘘
「悟り」について語る人がいる。いる、どころか、このところ仏教ブームなのかなんなのか、やたらといる印象がある。
唐突ではあるけれど、悟りを語る人は、全て嘘つきである。なぜなら、悟りは語ることができないからだ。これは、悟りというものが、非常に奥深いものだから、簡単に言葉にはできない、というような話ではない。
悟りが何であれ、他によらない、絶対的な状態であるとすることに異論は無いだろう。ところで、絶対というのは、相対ではないから絶対というのである。悟りを語るということは、同時に、悟りではないことを語ることになって、それはそのまま相対性を意味することになる。だから、悟りは語れない。
言い方を変えます。「わたしは悟った」と言う人がいるとしますね。その人がそう言うためには、悟っていない人との対比があります。わたしは悟ったということは、わたしではない人は悟っていないということです。悟ったと言うためには、悟っていない状態が必要になる。とすると、悟ったと言うことによって、悟っていない状態があり、その悟っていない状態があるからこそ悟ったと言うことができることが分かる。悟りというものは、絶対的なものであるはずなのに、悟ったと語ることによって、悟っていない状態との対比による、相対的なものだということになってしまう。
悟りを得たと言う人は信じるに値しない。本当に悟りを得た人は、それを語ることはない。語りたくないわけではない。語ることができないのだ。
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