第56話 あなたのことをあなたはあまり知らない

思ったことをちょこちょこと書いては、こうして投稿しているのだけれど、書いているときはノリノリで書いているのだが、書き終わってみると、「こんなのはたして読まれるんだろうか」と思うことがしばしばある。というか、ほとんど毎回そうだ。というのも、読んでもまず何の足しにもならないからである。人生論めいたことを書いているが、内実は人生論とはほど遠く、人生に指針を与えるようなことは、何一つ書いていない。そもそもが自分の人生に指針を持っていないのに、他人の人生に指針を与えることなど、無理な話である。


それはそれ。


で、書き終わってみて、まあ、読まれないだろう、と思って投稿してみると、案の定読まれないわけだが、案外に読まれることもある。なんでこれ読まれるんだろうかと、いや、わたし自身は自分の書くものの価値を疑ってなどいないけれど、それが世間一般的な価値を持っていないということも分かっているわけなので、そういう感想を抱くことになるわけである。しかし、今、「世間一般的な価値」と言ったが、読まれるということは、その記事に限って言えば、その価値を持っていたと言うことができることになる。すると、わたしは、自分の記事の価値を見誤っていたということになる。


これはもしかしたら、書いた記事だけのことではなくて、自分の言動や、自分という存在そのものについても同じことなのかもしれない。自分について、自分はこうだと思っていても、それはそうだとは限らず、別様であるのかもしれない。自分は自分のことを知らないのかもしれない。


ひるがえって、あなた自身も、もしかしたら、あなた自身のことをあんまり知らないのかもしれませんよ。あなたがあなた自身についてこうだと思っていることも、もしかしたら、違っているかも。


こうだと思っていることもそうではない可能性がある。これは、逆から言うと、こうだと思っていなかったこともそうである可能性もあるということである。どうなるかはそうなってみないと分からない。いいはずだと思っていたことが悪いことになって、悪いことになるかもと思っていたことがいいことになる。結局は、あることが希望的観測を抱けるものであれ、リスクを必要とするものであれ、ともかくもやってみるしかない……とこう書くと、人生論っぽくなるけれど、さて、この文章は果たして読まれるのかどうか。

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