第37話 哲学は死の練習である

タイトルは、古代ギリシャの哲学者ソクラテス(そのソクラテスを描いたのはプラトンなので、プラトンと言ってもいい)の言葉だが、これが本当のことだとすると、人生哲学、成功哲学等の、何かしら人生に有用であることを主張する考え方は、全て、哲学の名に値しないことになる。死の練習というのは、死について考えるということであって(ちなみに、実際に死んでしまったら、「練習」にはならない)、人生哲学等の哲学では、死について考えようがない。それらの哲学では、生きることがそれ自体で価値になっているからである。


昨今の、幸せになるためにはどうすればいいか、とか、成功するためにはどうすればいいか、とか、もっと言うと、そういう幸せとか成功にまどわされないようにするにはどうすればいいか、などというような「楽に生きるための方法論」の氾濫には、クラクラするものを覚える。みんな、どこまで本気でやっているんだろう。そんな楽に生きるための方法論を突きつめて楽に生きるだけで満足なんだろうか、とわたしなんかは思う。もちろん、満足ですと言われると、もはや話す言葉は無くなる。


しかしですね、そんな生きるためのあれやこれやをがんばってやっていても、いずれあなたは死ぬわけです。いや、いずれじゃないかもしれない。人間は必ず死にます。死ぬから生きるということが言えるわけであって、としたら、生きる上でのあれこれを考える前に、死ぬことについて考えるべきではないか。


そこで、哲学である。なんちゃって哲学ではない。真の哲学。それを学ぶためには、特にお勉強する必要は無い。本を読む必要も無ければ、誰かに教えを乞う必要も無い。今のこの場で始められる。自分が死ぬ、ということがどういうことなのか考えてみましょう。それができれば、生き方の構えが確実に変わって、自分の人生を生きるために、他人の意見を有り難がって聞く必要は無くなります。

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