第104話 お宝を求めるセイウチ

 「これを売ってください!」

「ハーブの香水こうすい…。いいかおりだね~」

ヒビキは、ハーブの香水を、世界中を旅するバイヤーであるセイウチのセイヤに買い取ってもらった。

「セイウチは、本種のみでセイウチ科セイウチ属を構成する。大西洋セイウチのオス平均体長三百十センチメートルである。平均体重九百キログラムである。大西洋セイウチのメス平均体長二百六十センチメートルで、平均体重五百六十キログラムである。太平洋セイウチは、大西洋セイウチより二十パーセントほど大きい。皮膚ひふ分厚ぶあく三センチメートルに達する箇所かしょもあり、オスでは五センチメートルに達することもある。体色は明黄褐色めいおうかっしょくで、胸部きょうぶや腹部はのうしょくである。 皮膚には体毛が無いが、厚い脂肪しぼうで覆われ寒冷地での生活に適応している。口の周りにはかたい髭が密集する。この髭は海底で獲物えものを探す際に役立つ。雌雄しゆうとも上顎じょうがく犬歯けんしが発達し、オスは百センチメートルにも達する事もある。この牙には、オス同士の闘争とうそう、外敵に対する武器、海底で獲物をり起こす、陸に上がる際に支えにする等の用途があり、きば生涯しょうがいを通じて伸び続ける。吻端ふんはしの上部の皮膚は角質化し、かたくなっている。鼻面はなづらは皮膚がうすく、髭が密に生える。髭はにごっていたり光が届かない海中で触覚しょっかくにより獲物を探す、感覚器官としての役割があると考えられている。牙は優位ゆうい・性差・年齢ねんれい誇示こじ、海から上がる際に支えにする、氷に呼吸用の穴をあけるなどの用途がある。属名Odobenusは、古代ギリシャ語で、歯で歩くものの意がある言葉に由来する。老齢ろうれい個体こたいでは牙が摩耗まもうするが、牙で海底は掘りおこさず採食の際に海底でれてしまうためだである。出産直後の幼獣は体長一メートルで、体重六十キログラムである。オスの成獣は、全身の体毛がまばらで皮膚が裸出らしゅつする。オスは喉に気嚢きのうがあり求愛きゅうあいのために鳴き声をあげたり、海面で浮遊ふゆうする支えの役割があると考えられている。メスやオスの幼獣は、四肢ししを除く全身が粗い体毛でおおわれる。主に大陸棚たいりくだなの上にある、流氷域に生息する。太平洋の個体群は、オスは多くの個体が周年ベーリング海で生息するが、メスや若獣は、夏季はチュクチ海へ回遊する。後肢を動かして海中を進み、前肢はかじの役割を果たしている。主に氷上で休むが、流氷がない場合はラウンド島などのような島嶼とうしょの岩場で休むこともある。休息中には、大規模な集団になることもある。雌雄共に牙を誇示したり牙を突き刺して争うことがあり、特に繁殖期はんしょくきのオス同士ではよく争う。オスでも、繁殖期以外では争うことは少ない。主に二枚貝を食べるが、巻貝・タコなどの軟体動物なんたいどうぶつ、エビ・カニなどの甲殻類、ナマコ類などの底棲そこす無脊椎むせきつい動物どうぶつも食べる。魚類や、ひれ脚類あしたぐいなどを食べることもある。砂泥中にいる獲物えものは牙ではなく角質化した吻端上部で掘り起こして捕食ほしょくし、より深い所にもぐっている獲物は飼育下しいくかの観察から水を口から噴出ふきだして掘り起こすと考えられている。幼獣の捕食者は、シャチ・ホッキョクグマが挙げられる。本種自身の他個体で、偶発的ぐうはつてきつぶされ殺されることもある。繁殖期になると、メスと幼獣は十二頭ほどの群れを形成する。オスは海中でベル音・ノック音・海面でホイッスル音などの様々な音を交互に繰り返したり組み合わせて、繁殖行動を行う。このディスプレイはメスをさそったり、他のオスに存在を誇示する役割があると考えられている。水中で交尾を行うと考えられている。妊娠にんしん期間きかんは十五か月だが、受精卵じゅせいらん着床ちゃくしょう遅延ちえんする期間もふくまれる。五月の回遊の最中に、一回に一頭の幼獣を産む。早くても隔年かくねんで出産し、老齢個体であれば出産しゅっさん間隔かんかくがより長くなる。氷山や海岸にオスとメス、幼体からなる大規模な群れを形成し生活する。オス同士の間でメスをめぐる戦いに勝ち抜いた個体が、多くのメスを所有するハーレムを形成する。群れに向かってきたホッキョクグマに対しパニックを起こし、げようとした他の個体の下敷したじきで轢死れきしし、捕食された例も報告されているが、成獣の個体が逆にホッキョクグマをい返す姿も確認されている。なお、セイウチの牙は急所を突けばホッキョクグマの四肢や内臓に大損傷だいそんしょうを与え得る威力とサイズを持つが、ホッキョクグマの爪や牙では成体セイウチの分厚い脂肪にはばまれ致命傷ちめいしょうを与える事は難しいとされる。これらのリスクによりホッキョクグマがセイウチをおそうことはまれである。セイウチの皮膚と脂肪の厚さは十センチメートルである。なお、海中でシャチに襲われる例は確認されている。またワモンアザラシの幼獣を捕食する場合もある」

すると、

「この像はわたくしのものだ!」

「いいえ、私のものですよ!」

美術品を取りあつかうお店を経営しているイナリと、高額こうがく商品しょうひん販売はんばいする店を経営しているシガラキは、ミケランジェロのダビデ像をめぐって喧嘩けんかを繰り広げていた。

「ダビデ像は、フィレンツェのアカデミア美術館に収蔵されている。ピエタと並ぶミケランジェロの代表作だけでなく、ルネサンス期を通じて最も卓越たくえつした作品の一つである。人間の力強さや美しさの象徴しょうちょうともみなされる作品で、芸術の歴史で最も有名な作品の一つと言える。ダビデとは旧約聖書でイスラエル王国の二代目の統治者とうちしゃである。大理石で身の丈五メートルにかたどられたこの像は、ダビデが巨人ゴリアテとの戦いにのぞみ、岩石を投げつけようと狙いを定めている場面を表現している。そして、ルネサンスならではの表現として、ひとみがハート型にかたどられていることや、イスラエルの民の証とされる割礼の痕(あと)がないことが挙げられる。元来はフィレンツェ市庁舎の置かれたヴェッキオ宮殿きゅうでんの前にかざられていたことなどもあり、のちに都市国家フィレンツェ共和国が周囲を取り囲む強大な対抗勢力におびやかされるようになった時には、巨人に立ち向かうこの像こそフィレンツェを象徴するものだという解釈がなされるようになった。ミケランジェロのダビデ像の歴史は、制作期間をはるかにさかのぼり、その始まりは一四六四年まで辿たどることができる。当時サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会の運営権を担う大聖堂造営局は、実質的にフィレンツェ羊毛業組合がにぎっていた。大聖堂の建築には百四十年以上を要したため司教は途中で費用を支払えなくなり、この組合が代わりにそれをけ負ったためである。フィレンツェ羊毛業組合は、かねてよりこの大聖堂のバットレスに旧約聖書を題材とした十二体からなる巨大な彫像ちょうぞうの連作をかざるという計画を立てており、すでに何人かの彫刻家へ発注もしていた。この計画の背景には、十五世紀初頭からミラノ公国を始めとする外部の脅威きょういせまっていたため、聖書中の聖人や伝説中の英雄の像を大聖堂に飾りフィレンツェの興国こうこくの気運を高めようとの配慮はいりょがあったが、一四六三年の時点で完成していたのはドナテッロによる預言者像とその弟子アゴスティーノ・ディ・ドゥッチオによるヘラクレス像の二作だけであった。この計画を何としても進めるため、大聖堂造営局は同年にアゴスティーノと再契約し、ダビデ像を制作するという言質を取りつけた。しかしアゴスティーノは、像の脚部と胸部や衣服の概観がいかんを大まかに作り、あしと脚のあいだに隙間すきまを空けるところまで制作を進行させたが、師ドナテッロの死去した一四六六年、理由は不明だが制作を中断し契約けいやく破棄はきしてしまった。大聖堂造営局は、アゴスティーノの未完成品を仕上げるようアントニオ・ロッセリーノに依頼した。ロッセリーノの契約もやがて破棄され、良質の大理石を産出することで知られるイタリア北部の都市カッラーラの採石場から運ばれた大理石の塊は大聖堂の事業監督所に二十五年ものあいだきさらしのまま放置されることとなった。たとえ素材のままではあれ、値段もさることながらフィレンツェまで運ぶのに莫大ばくだいな人件費や輸送費がかかる巨大な大理石を飾っておくことは、大聖堂造営局の威信を高める効果があったからである。一五〇〇年に作成された大聖堂事業監督所の在庫目録にはあら輪郭りんかくかれたまま仰向けの状態で放置された『ダビデ』と呼ばれる大理石像と表現されている。翌年に書かれた文書では、造営局がこの巨大な大理石のかたまりを作品として完成させることのできる芸術家を探す決意をしたことが示されている。造営局は、招いた芸術家に『巨人像』を調べて意見を述べてもらうためにこれを立たせるよう指示を出した。レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ何人かの芸術家が打診されたが、造営局は二十六歳の若きミケランジェロに委託いたくすることを決定した。一五〇一年八月十六日、ミケランジェロはこの困難な仕事を引き受ける契約を正式に交わし、九月九日から約三年にわたる制作の第一歩をみ出した。ミケランジェロは好奇こうきの視線にさらされながら作業することをきらい、土台と大理石の周りを仕切りで囲って極秘裏ごくひりに作業を続けた。フィレンツェ市長が視察に来たときには中に入れざるをえなかったが、このときミケランジェロは作業台の一番上に登り、大理石に打ち付けずにつちの背だけをたたいて音を出し、手の中に握った大理石の粉末を市長の鼻先に散らすことで作業をしているりをしてごまかした。市長がいま自分はこの像に命が吹き込まれる瞬間しゅんかんを目の当たりにしたのだなと感動しながら帰って行くのを見てほくそえんでいたというエピソードをジョルジョ・ヴァザーリが書き残している。これのために描かれた素描そびょうやスケッチもほとんどがミケランジェロ自身の手によって焼却しょうきゃく処分しょぶんに付された。一五〇三年から翌年にかけては、他の仕事の依頼いらいが入ったために作業がやや停滞ていたいしている。秘密裏の作業やピエタの制作にあたり大理石の採掘に自ら立ち会ったという逸話いつわからも見て取れる通り、ミケランジェロは作品を制作する過程のすべてに直接関与し、己れの全精力をかたむけることによって己れの全個性を作品のうちに刻み込むという芸術家としてのポリシーをもっていたため、複数の作品を同時進行で制作しなかったため、断りきれない他の仕事が入るとそれまでの仕事を中断せざるをえなかったのである。こうした別件の委嘱いしょくのうちの一つに、フィレンツェ当局のために制作したもう一つのダビデ像がある。正式な契約相手はピエール・ド・ロアン元帥で、この人物がフィレンツェ市庁舎にドナテッロの『ダビデ像』を模したブロンズのダビデ像を寄贈するため一五〇二年八月にミケランジェロへ依頼をしたのである。しかし、一五〇四年にロアン元帥が失脚したためこの契約は破棄され、ミケランジェロも鋳造ちゅうぞうまで終えていながら仕上げを放棄してしまった。一五〇八年にこのブロンズ像はベネット・ダ・ロヴェツァーノが完成させてフランスのフロリモン・ロベルトの手にわたったが、十七世紀以降行方不明となっている。彫刻の完成が近づいた一五〇四年一月二十五日、フィレンツェ市当局はレオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェリを含むフィレンツェの芸術家たちによる協議会を設け、この像を設置するのに最もふさわしい場所を決めるための会合を開いた。市民の士気を高めるという意義を背負ったこの像を最も適切な場所に置くことはもはや市当局の政策の一環であり、ミケランジェロ個人の手をはなれた問題となっていたためである。したがって当初の計画通りに大聖堂内かその近くに置くべきと主張したボッティチェリらはむしろ少数派であった。ジュリアーノ・ダ・サンガッロは屋外に置くと大理石が損傷するおそれがあるためシニョリーア広場にあるランツィの回廊を提案ていあんした。ダ・ヴィンチやピエロ・ディ・コジモらの賛同も得たこの意見が多数をめたが、市政長官は同じくシニョリーア広場に面した市庁舎の正面入口脇に置くという裁定を下した。もともとヴェッキオ宮殿の入口脇にはドナテッロのブロンズ像ユディトとホロフェルネスが置かれていたが、これを移動してかわりにダビデ像を置くという市当局の決定には、反メディチ家という意図が隠されている。ユディトとホロフェルネスも同じく英雄的な抵抗ていこう運動うんどうによる暴君ぼうくんからの解放をテーマとするものであるが、元来はメディチ家礼賛のために作られた像だからである。一五一二年にメディチ家が復権したときにはホロフェルネスの代わりにダビデ像の首が切り落とされた戯画ぎがが出回り、一五二七年のローマ略奪に乗じて起きた反メディチ革命のさいには実際にダビデ像が打ちこわされ、左腕が損壊そんかいするという大きな被害を受けた。なお、この左腕さわん破片はへんはヴァザーリが拾い集めて後日修復された。こうした損害が再び起こることや風雨で大理石が劣化れっかすることを避けるため、一八七三年にこの像はフィレンツェのアカデミア美術館に移動されることとなった。元々ダビデ像が置かれていた市庁舎前には一九一〇年から複製が置かれている。一九九一年、不届きな観覧客の一人が鉄鎚でこの像に打ちかかり、左足がくだかれるという事件が起きた。現場検証によって得られた大理石の砕片を鑑識かんしきにかけた結果、ミケランジェロが用いた大理石はカッラーラの分離集落MisegliaにあるFantiscritti採石場から得られたものであるという事実が判明した。この大理石はミケランジェロがダビデ像を(ほ)り出すより四十年ほど前に採掘されたものである。アゴスティーノ・ディ・ドゥッチオとアントニオ・ロッセリーノの二人が手をつけながら、経験にも技能にも欠け、大理石そのものにも問題があったため途中で断念したものをミケランジェロが完成させた。大理石そのものの問題とは、劣化を早める原因となる微細びさいな穴が多く含まれていたことであり、そのおかげでミケランジェロは無料でこの大理石塊を手に入れることができたといわれている。完成後五百年を間近にひかえた二〇〇三年には、像のよごれが目立ってきたため一八四三年以来の清掃がなされることになったが、ここで再び大理石の質をめぐって問題が発生した。アカデミア美術館館長のフランカ・ファレッティは五百年分の汚れを徹底的に清めるためには水洗いをするべきだと主張したのに対し、依頼を受けた修復の専門家アニェーゼ・パロンキが、水洗いは大理石を傷めるとして反論したのである。館長と対立したパロンキが依頼を退けて辞任する事態にまでいたったが、最終的には表面にった和紙に水分を与えて汚れを吸収させてからがすという方法で修復は無事に終えられた」

口げんかが絶えないイナリとシガラキ。

「待て!」

その時だった。

「そのことなら、おいらにまかせて!」

ヒビキとセイヤは、喧嘩の仲裁に入る。

「ふむふむ、これは偽物にせものだよ~」

「確かに、かたにタオルをかけている」

「えっ!」

「何ですと!?」

セイヤは、ダビデ像が偽物だと見抜いた。

「忠告しておく。偽物の美術品は売ることができず、アライグマ商店で有料で買い取らなければらない」

そして、アラシが現れた。

「この間はごめんなさい」

「こちらこそごめんなさい」

こうして、

「これで、事件は解決だ!」

イナリとシガラキは仲直りしたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る