7 花信風(6)
「もしもし?」
「どうかした?」
「どうかしたのはお前のほう」
メロンパンの封が上手く横開け出来ないらしく苦戦しながら優は言う。郁人はしらばっくれてみることにした。
「何の話?」
「郁人の話に決まってる。はぐらかすなって」
「……」
「鍋島くん、な」
メロンパンの封は諦めて縦開けすることにしたらしい。ぴりぴりと包装が裂かれていく。
「あいつの口ぶりからして、あれと郁人が会ったのは最近だろ」
「うん。よくわかったね」
「でも郁人の反応は会って数回の距離感だとは思えなかった。郁人って初対面の壁ぶ厚いし。随分話しやすそうだったじゃん」
「佐倉にはそう見えた?」
「郁人は話しやすいと思わなかったのかよ」
「……わからない」
優はこっちのほうが意味が分からない、と顔を歪める。
「でも佐倉の言う通り、多分鍋島くんとは昔に会ったことがあるんだよね」
優は相槌の代わりに眉を上げて、廊下の中央に立ったままメロンパンにかじりついた。
立ち食いは行儀が悪いので、生徒会室のある一号館まで歩くことにする。
「話しやすそうだったのは、昔に会ったことがあるからか」
「……多分そう」
「多分多分、って……感覚で話してんの?」
郁人がしぶしぶ肯定すると、優は顎に手を添えて首を傾げた。
「不確証だけど、何か感じてることがあるってわけか」
クマのマスコットが着いた鍵をポケットから取り出して鍵を開ける。
優はそのマスコットを一瞥するが何も言わずに室内に足を踏み入れた。優の行動によって先日大場に言われた言葉を思い出した郁人は、すぐにポケットに鍵を収める。
「憶測だけど、記憶のない間に関係があったとしか思えない。それも……もしかしたらそれなりに仲が良かったのかも」
「壁の厚い郁人ならなおさら、あの距離感の近さは気になるところだしな」
優の手に持つ包装はいつの間にか空になっていて、優は唇についた砂糖を舐めた。
郁人は手の中のサンドイッチの包装を解いてすらいない。
優は郁人のサンドイッチを勝手に奪って包装剥がした。一つを手に取ると、郁人の口に押し込もうとする。
「また食べてないな」
春休みから、と言いたげだ。もちろん、前までの優であれば「定期的に顔を見せろ」とでも 言ったのだろう。しかし今は郁人のためにもそれを強要することもない。
郁人が素直に口を開けると優は強引に突っ込んだ。
「……食べてるよ」
「嘘言え。大抵怪我してるときは食が細い」
郁人は押し込まれた分をもぐもぐと嚙みこなす。
「どうせ怪我はおでこだけじゃないんだろ」
「壁にぶつけたっていうのは、本当」
「そういうのは壁にぶつけられたっていうんだよ」
郁人は数日前を思い返した。
側頭部を掴まれて──。しかし、怪我をした直前までだけを思い出して、郁人は食事を進めることにする。せっかく始めた食事を中断するわけにはいかない。
「摂食障害になってないだけマシでしょ」
「マシ、ね」
優は呆れたように繰り返す。
郁人だって呆れているのだ。
もっと茨道を歩きやすくできる靴があればいいのに、どうしてか拾っては捨てているような感覚。プレゼントしてもらっても断って素足で進み続けて、たまに針の筵に戻るように引っ張られる。
「本心、言ってもいい?」
「なんとも言ってやれないかもしれないけど、それでいいなら」
「……前までは昔のこと思い出したかった。自分の知らない自分があるって気持ち悪いし……もやもやするでしょ、アイデンティティが今にも崩れそうな気がして。でも鍋島くんに会ってから、何も思い出したくないとも思ってるんだよね」
郁人はもう一切れを掴もうとして、手が宙を泳いだ。食が進まないのは本当だ。
やはり横から優が奪い取って、郁人の口に無理やり押し付けようとする。
「もしかしたら俺、なにか後ろめたいような事したのかも、ってふと思った。あんなに普通に喋ってるくせに」
「『保安局』には?」
「言ってない。言うつもりも……今はないかな」
響子と同じことを聞くのだと思った。
優と響子は『保安局』にいる期間が長い。一緒に居ればいるほど、似るものなのだろう。
「そう。じゃあ、俺から言っておく」
「……は?」
「『は?』じゃ、ねーよ。こんな不安定な状況になっておいて、なんで俺が黙っていられると思ったんだよ。そんなに甘くねーぞ」
優はべ、と舌を突き出して見せる。コミカルな素振りに一瞬流されそうになったが郁人は口の中身を飲み込んでから、机に手をついて抗議を示した。
「いや。いや、……でも!」
「なに、解決できたら黒歴史が暴かれそうで怖いとか? 安心しろ。『保安局』にいる大半の問題児は黒歴史しか抱えてないようなもんだよ」
俺含め、と付け加えながら優はサンドイッチのゴミをゴミ箱に投げ入れる。
「解決できる問題は解決した方がいい。少なくとも何がトリガーなのかわからずに怯える俺よりも郁人は随分安全地帯にいる」
優の表情が険しく歪んだ気がした。普段何気ない顔でいる時間が多い分、郁人は立ち上がる優を見つめたまま放心していた。怒り、というよりは諭してくれているのだろうか。これでいいのかもしれないとさえ思い始める。
郁人は暴論なのか正論なのかわからず流されるまま、頷かされたような気がした。
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