60 フランベ(1)

 征彰はコーラグラスに郁人が先日持って来たイチゴを詰めてソファに腰を下ろした。郁人は抱えていたクッションを放り出してグラスに手を伸ばす。


「事件、どんな感じなんですか?」


 郁人が面白くなさそうな顔をしてテレビを眺める様子に、征彰はさりげなく尋ねた。

 郁人はイチゴを丸ごと口に入れると、むすっとしたままもぐもぐとみこなした。一つ分飲み込んでから背もたれに体を預ける。


「一つ聞いてもいい?」

「はい」

「征彰はずっとこの家に一人……というか一人でいることが多かったでしょ」

「そうですね」

「昔からかぎで、父親も姉も滅多めったに帰ってこなかった」

「俺に姉がいること言いましたっけ」

「知ってるの」

「そうですか」

「それで今年からは母親も海外にコーチにしに行ってるから、今やほぼ一人暮らし状態」


 だよね? と郁人が視線を向けると征彰は頷く。つまり何の話をしたいのか、征彰は分からないので話を続けてもらうことにする。


「寂しい?」

「……多少は?」


 やっぱり、と思ったが郁人は口に出さないでおく。一緒にいたい、とあれだけしつこかったのは、今まで家に二人だったのが一人になったからだろう。


「親しい人との関わりっていうのは一定いっていりょう欲しいですよ」

「じゃあ、もしもだけど、俺が征彰と一緒に居たくないって言ったらどうする?」

「え? いやです」

「言ってないし、仮定の話だって。征彰は今のところご飯でってるわけだけど、俺が自炊じすい勉強するからって理由でまたひとりになったらどう思う?」

「普通に寂しいですよ。でも……本気で嫌がられてるって思ったら、構ってくれそうな別の人探すかもしれないです」


 イチゴをもう一つ口に放り込む。酸味の少ない大粒のイチゴだ。


「征彰粘着ねんちゃくしつじゃないんだね」

「粘着していいなら粘着しますけど、基本的に向こうから避けられたときに引き留められるほど無神経でもないですよ」

「さすが、先輩に気に入られやすいだけある」

「でもこれ、何の話ですか?」

「依存の話」


 先日、羽鳥学園に向かう前、響子の友人から呼び止められたことを思い出す。それから、生徒会室にやって来た時も。

 ここ最近響子は教室内でもあんな風に勘違いの言葉を掛けられているのだろう。おそらくはっきり否定しないのは、響子の中に葛藤かっとうがあるからだ。響子が郁人をどう思っているかは、郁人は少しも知らないが、どこか郁人を引き留めていたい気持ちはあるのだろう。


 響子は夕日に箱を捨てられただろうか。


「家族が次、いつ帰ってくるとか聞いてるの?」

「ゴールデンウィークの時は姉が帰ってくると言ってましたけど、でもキャンセルしてましたよ。彼氏と旅行に行ってくるとかで」

「お姉さん今何やってるの? 大学生?」

「今は外資がいしけい航空こうくう会社でキャビンアテンダントやってます」

「そういえば韓国に留学してたんだっけ?」

「言いましたっけ?」

「知ってるの」


 征彰は複雑な顔をした。

 その時だった。インターホンが鳴らされる。

 征彰が座り心地のいいソファから気だるげに腰を上げると、インターホンが続けざまに鳴らされた。玄関口の人は随分ずいぶん苛立いらだっているらしい。

 征彰はカメラを確認すると、返事もせず玄関に向かっていく。そして開いた玄関から聞こえてきたのは、文句もんくを言う女性の声だった。

 郁人は思わず立ち上がったような姿勢になって、リビングに入ってきた女性の目が合った。


「えーっ。ちょー好みのイケメンがいる! だれ、だれこの人!?」


 つかれのにじんでいた声はどこへやら、肩にかけていた鞄を落として勢いよく近づいてくる。


「わー初めまして! あたし征彰の姉の由香里ゆかりでーす! キャビンアテンダント三年目、ぴちぴちの二十一歳です~!」

「年下に『ぴちぴち』って言うな。いどれうるさいって、先輩困らせんな」


 いつでもこんな風に挨拶をしているのだろうか。テンション高めに握手をせまられて郁人は大人しく手を差し出した。

 征彰の言う通り薄く酒の匂いがする。明らかに飲んでいる。


「学校のお友達?」

「先輩だって。いい加減離れろ」

「あー! わかった、この家で住む話の子でしょ? お家から避難して来たって。いくらでも居ていいからねぇ」

「すみません、お邪魔してます。そのイチゴもどうぞ」


 頻繁ひんぱんに会っていない割に仲良さそうな姉弟だ。似ていなさそうに見えるがどこか似ていそうでもある。

 由香里ははあ、と疲れたように一段落ひとだんらくするとそのまますたすたとソファに向かって体を投げ出した。そして自堕落じだらくなのか器用なのか、足だけで黒いストッキングを脱いでそこらにほうてる。

 割とよくあることなのか、征彰は慣れたようにストッキングを回収すると洗面所に歩いていった。


「すいません。彼氏と喧嘩けんかしたみたいです」

「それでやけ酒して帰ってきたってこと?」

「らしいです。多分ですけど」


 由香里の方に視線を向けると寝そべったままイチゴにありつこうと奮闘ふんとう中だった。征彰は今までにないくらいの大きさでため息を吐く。それくらい体を起こせと言いたげだ。


愉快ゆかいなお姉さんだね」

酒癖さけぐせが悪すぎるだけなので大目に見てあげてください」


 由香里はソファから手だけを出して、征彰を呼びつけた。用件は缶ビールが無いかということだったらしい。征彰はパントリーを覗き込んで一つだけ手にすると、投げようとした腕を下ろしてローテーブルに置く。


「ちょっと話聞いてるの?」

「聞いてねえって」

「アイツあたしがずぼらなのをいいことに、シャツとか脱ぎ捨てたままにするの! 洗濯当番はあたしだっつの」


 由香里は征彰に話を聞くようにそこに座らせると文句を続けるようだ。


「彼氏さんと仲いいんじゃないっけ?」

「仲いいと思いますよ。喧嘩してない日は惚気のろけてくるので」

「ねえ、きみもお話参加しようよ」

「被害者を増やすな!」


 征彰は逃げていいという目を向けられるが、由香里に手招きされて郁人は大人しく征彰の隣に座った。

 ビールの缶を小気味よい音を立てて開けると、由香里は目を閉じて半分ほどをあおる。まだ飲むつもりらしい。


「それであたしが帰るってったら『今、鍵島で変な事件が起きてるから』とかなんとかかんとか、うるさいのよ!」


 知らない人間でもわかるようなモノマネに苦笑いする。この人に比べれば瑛史郎のモノマネはやっぱり下手だ。


「変な事件、って言っても野良の動物の話でしょ? あんたにはあたしがそこらの動物にでも見えてんのかって」


 郁人の表情がぴたりと動きを止める。


「それって、ニュースですか?」

「え? テレビでじゃんじゃんやってるじゃない。ほらぁ」


 由香里がリモコンに手を伸ばしてニュース番組に切り替える。すると間もなくして鍵島に関する報道が始まった。


「……内密ないみつじゃなかったっけ?」

「し、知りません俺は。誰にも言ってないです」

「そりゃあ、花房さくらがテレビで言ったからでしょ? 鍵島出身らしいし、『もーひどい事件起きてて、ちょー怖いぃ~』って体くねくねさせちゃってさ」


 また出た、花房さくらの名前だ。

 便箋びんせんと言い、なにかと絡んでくる。どういうつもりで動いているのだろう。それとも何も考えていないのだろうか。


「最近さくらブームよねー。あれのどこがいいんだか。目と胸がデカいだけじゃん」

「もうこれ以上喋しゃべんな」


 由香里の発言に征彰は苦虫にがむしつぶしたような顔をする。


「ま、でもここ数日はそれも治まってるみたいだし? 安全よね」


 確かにそれもそうだ。もしかしたら響子は郁人との噂を否定しないことで自発的に事件を抑えている可能性はないか。


 急に勢いを失った由香里は、クッションに首を預けてうつらうつらとし始めた。征彰は無慈悲むじひにもソファから突き落として、しかし由香里は何も言わずに起き上がる。


「も、寝るわ。おやすみ。てきとうに寝室でもいくわね」

「はい、おやすみ。ちゃんと着替えろよ」


 階段の方に消えていく由香里の背中を見えなくなるまで見送ってから、征彰は空になったコーラグラスに目を向けた。

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