61 フランベ(2)

 その時だ。不意に、ローテーブルの上にある征彰の携帯が震える。断続的に震え続けていて、それは電話だ。

 征彰は手を伸ばして着信を確認すると、郁人に視線を向けた。郁人は意図いとが分からずに首をかしげる。


「小森先輩からです。郁人くん、まだ電話番号交換してなかったんですか?」

「『保安局』から借りてるものだし……。とりあえず出てくれる?」


 いつの間に連絡先を交換していたのか知らないが、電話であるということは緊急きんきゅうせいは高そうだ。


「あの、もしもし?」


 悲鳴のような声に征彰は携帯から耳を離して、スピーカーモードにした。


「助けて!」

「小森さん落ち着いて、何があったの?」

「安達くん! 助けて私また……どうしよう、どうしたらいいの?! 埋めてあげないといけないのに……!」

「何が」

「バスタブに──」


 そこで言葉を切るとすぐに息が詰まったような嗚咽おえつが聞こえてきて、郁人は顔を上げる。響子がここまで取り乱しているのを初めて聞いた。非常事態だ。


「ごめん、固定電話借りてもいい? 小森さんのことはちょっと任せる」

「はい」


 郁人は受話器を手に取ると素早すばやく記憶している三島の電話番号を打ち込む。


「もしもし三島さん、小森さんが錯乱さくらmmしてます。すぐにけつけてあげてください」

「小森さんが? 小森さんは今私の隣にいますよ。ちょうど、詩乃ちゃんの話をしてたところなんです」


 三島がそう言ったのを聞いて、郁人は征彰の手の中にある携帯を叩き落とした。絨毯じゅうたんに落ちた携帯は滑って、スピーカーからは音声が流れ続けている。


「切って!」

「は?」


 しかし響子の声がぷつり、と途切とぎれると少しのノイズの後に聞き覚えのある別の女性の声が聞こえてきた。


「響子ちゃん、大丈夫。落ち着いて、深呼吸して?」


 白波美月のものだ。いたって冷静で、響子の息切れとは対極たいきょくてきだった。


「大丈夫。無理に受け入れる必要はないわ。でも、また死ぬ必要もないの」

「わかんない、わかんないの……!」

「ほら、えりを触ってみて。響子ちゃんが着てるのは何?」


 響子の息を飲む音が聞こえる。


「風稜高校の制服はブレザーでしょう?」


 衣擦きぬずれの音は、自分の服装を確かめるために何度も触れているのだろう。さらさらと、シルクのリボンをでる音が電話越しに流れている。


「受け入れられない自分が受け入れられなかった。一人になっちゃうと思ったのよね」

「わた、私は……」

「大丈夫。はここにいるでしょう? もう、恐れることなんてないのよ」


 そして、ぶっ、と暴力的な音を立てて電話は切れた。

 しばらくの静けさは立った気を収めるのに十分だ。征彰が思い出したかのように息を吐いた。


「……つまり、どういうことですか?」

「多分……」


 そう郁人が言いかけた時だ。

 水を差すようなインターホンが鳴る。こんな時間に別の訪問者だ。


「今日はやけに鳴りますね」


 征彰は玄関カメラを確認せずに、玄関へ向かった。しかしすぐに驚きの声が聞こえてくる。

 郁人が玄関口に征彰を追いかけると、そこには紙切れを握り締めた小森詩乃が、一人だけで立っていた。

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