86 アノミー(6)

 梅田に着くまでは順調だった。新幹線に乗り、そしてJRで数駅。きちんと大阪駅についた。

 大阪駅は梅田駅と言っていいらしい。電車によって言い方が違う、くらいの認識なのだそうだ。

 ここまでは大丈夫だと思っていたので誤算は一つもなかった。


 そう、ここまでは。


「あれ、ここ工事中や。どうやって行ったらええんやっけ」


 そう瑛史郎が言い出して郁人も征彰も青ざめた。


「えっと、わからないってこと?」

「分からんかったらまず外に出ます。遠回りにはなるけど、多分目的地には着くんで」

「うん」

「で、どうやって外に出よっかなぁ」

「嘘でしょ?」

「しゃーないから兄ちゃん呼ぼっかな」


 携帯を取り出すとワンプッシュでコールする。

 電話の向こうの声は気だるそうで、「だから言ったやん」みたいな言葉が聞こえてきた。


「ちゃうやん。工事中やって知らんかってん。……ん-、今? 今はヨドバシカメラの近く、中央口。こっからどうやって南口行くんやっけ。御堂筋に乗れる、横断歩道あるとこ。高架下に店並んでることの近くや。JRの話やで、路上ライブとかしとったとこやん」


 ひとまず郁人は携帯のナビを開いてみるが。


「……磁石狂ってるなんてことあるんだ。変な電波とか拾ってるのかな」

「陰謀論ですか?」

「アルミホイル頭に巻かないとね」

「今は携帯に巻くのが正解じゃないですか?」

「そんなことしたら画面見えないじゃん」


 ナビは検索を掛けるたびに磁石があらぬ方向を向いて、今どこにいるかも迷っている始末だ。現在地の矢印がこれほど活発に動いているのを初めて見た。

 電話を終えた瑛史郎はぐるぐるとその場で回ると、たぶんこっち、と道を指さす。


「『ヨドバシカメラに背え向けて歩け』って言われたんで、ここ歩いてったらいいんちゃうかなって思います」

「嘘じゃないよな」

「行き止まらんかったら着くはずやねん。無理やったら最悪来てもらうわ」

「じゃあ、とにかく行ってみよっか」


 というわけで結局三人のダンジョン攻略は始まった。




 結論から言うと、ライブ開始予定時刻の五分前にやっとたどり着くことができた。

 大きな人だかりができていて、そこにほたるがいるのかも怪しい。しかし征彰が背伸びをして確認をすると、多分そうだということが分かった。今日は何やらボディースーツのようなものを着ているらしい。


「この中にいるかもしれないってことですか?」

「……前が八王子だったから、わざわざ梅田まで来てるとは思えないけどね。念のため」


 瑛史郎は背中側からでもいいからちゃんと見たい、と言って横断歩道を渡った。向こう側から道路を挟んで見ているらしい。


「中原くんもいたから言わなかったけどさ」

「なんですか?」

「みんな関西弁だね。当たり前だけど」

「当たり前ですけど俺も思いました。なんか異世界に来た気分っていうか」


 人ごみの中からカメラを構えていない人間を数人マークしていく。後ろの方にいる通りすがりの人間は除いて。


「……見つからないね」

「でも事件が起きてからだと遅いですよ」

「だから着ぐるみを貸してほしいって言ったんだよ」


 征彰は事務所の去り際に、郁人は美緒にお願いをした内容を思い出す。


「着ぐるみなら、刃物を持ってる人間を相手にしても軽傷で済む細工もできるし、スタッフのふりして近づけるでしょ」

「なら、今日は何も起きないことを願うしか──」


 征彰が言いかけた時に、背中の方から女性の金切り声が聞こえてきた。ほたるの方ではないが、何が。一斉に人の群れが乱れて隙間ができる。

 どうやら近くでひったくりが起きたらしい。

 一瞬のすきを見て体を押し込むと、急に音源が途切れた。ぴたりと、先ほどまで鳴り響いていたのが。

 周囲のざわめきは大きくなっていく。前方で怒る男性の声が聞こえる。


「お前何しとんねん!」


 刃物を持った男が、大柄の男性に馬乗りにされている。切られていたのは、何かしらのコードだった。

 やっぱりいたのだ。コードが犠牲になっただけで済んだが、これが人に向かっていれば。郁人は冷や汗を流しながら辺りを見回す。


「ほたるちゃんは」

「いませんどこにも。騒ぎの内に荷物を持ってどこかに行ってしまったみたいで」


 道路の向こう側にいた瑛史郎も騒ぎに目を奪われていて、どこに行ったか見ていなかったようだった。

 刃物を持った男はすぐに警察に引き取られていった。


「とりあえず、ヤバい人は捕まってよかったですね」


 征彰は胸をなでおろしながら言うが。


「……なんで、ほたるちゃんは逃げたんだろう」


 郁人は先ほどまでライブが行われていた場所を見下ろす。そこにほたるがいた証拠はどこにもない。切られたコードもすべて回収されていて、元から何か起きればすぐに撤収する予定だったのだろうと思う。


「それは……やっぱり怖かったからじゃないですか?」

「あんまり考えたくないけどさ。……今捕まった人と、八王子の人、もしかして違う人だったんじゃない?」

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