87 アノミー(7)

 滑り込みで前日、予約を取り付けた店の前に連れて行ってもらうと、どうして予約が取れたのかわからないほどに賑わっていた。

 瑛史郎は兄に会う予定を果たしに、もしかしたら明日帰ることになるかもしれないからと断られたので──おそらくその予定がなくとも気を遣って先に帰っていただろうが──店の前には郁人と征彰だけが立っていた。それ以外は他の客だ。


「どういうことですか?」

「ケーキは飽きたかと思って」


 牛肉の食べ放題を売りにしている焼肉屋だ。

 郁人の言葉足らずの説明では伝わり切らなかったらしく、相変わらず征彰は疑問符を頭に浮かべている。


「その、昨日の誕生日、ちゃんと祝ってあげられなかったから」

「でもずんだケーキ食べましたよ」

「あれ、貰い物なんだってば」


 昨晩、郁人が持って帰って来たずんだ入りチーズケーキを一切れだけ食べた。征彰は割とそれで満足したつもりだったが、郁人としてはいい話ではなかった。

 早速店内に案内されて、早々と注文を進めるうちに肉が運ばれてくる。


「気づかなかったんですけど、ここの肉全部牛じゃないですか」

「豚の方が良かった?」

「牛って高いじゃないですか」

「でも誕生日でしょ? 『保安局』のバイト代から出してるんだし、普段ご飯作ってくれるお礼も兼ねてるから」


 遠慮しないで、と郁人は焼肉奉行ぶぎょうに徹する。

 食べ放題ということもあって征彰が好きなものを次々と注文していく。だからか運ばれてくるものはカルビばかりだった。

 じゅう、と油が焼けて煙が立つ。

 肉が焼けていく様子を眺めながら、征彰はもくもくと白飯だけを食べていた。


「『保安局』の仕事をやっていても、ちゃんとプライベートするんですね」

「公私混同はダメだけど、けじめはあるから。と言いつつ、まだ誰にも言ってないんだよね。あ、これ焼けたよ」

「ありがとうございます。……独断で動いてるってことですか?」


 郁人の衝撃の告白に、征彰は咀嚼しながらも目を丸くした。


「うん。ほたるちゃんのこと、『保安局』の職員はまだ誰も知らない。事件から何か異変には気づいているかもしれないけど、報告はしてないからさ」

「それ、怒られますよね?」

「……」


 郁人はあからさまに目を逸らす。

 絶対怒られる。わかっているから言えなくなっているのだろう。

 郁人は不自然なほど慌てた様子でトングを使いこなした。


「と、とにかく今はお肉食べよう」

「現実逃避もするんですね」

「あ、俺タン食べたい、タン頼もう」


 そして二人は満腹で新幹線に乗り、鍵島についたのは深夜間近だった。

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