85 アノミー(5)

 短時間で上がった雨で濡れた地面を歩きながら話す。外は暗くなり始めていて、感覚次第で近くの駅を目指した。


「そう言えば、征彰はなんで俺がここにいるってわかったの?」

「本当は洋南高校の門の前まで行ったんです」


 けれども人相の悪い男性教師のような人物に睨まれて追い返されてしまった。門も閉める寸前だったらしい。


「でもいないってわかって、三島さんにGPSから辿ってもらえないかって」

「いつの間に三島さんの連絡先を?」

「家の固定電話に残ってた電話番号を念のため」


 響子の時に郁人が三島に掛けた、あの履歴から個人電話に登録していたらしい。やはり布石がしっかりしている。征彰は意外と策士なのだろうか。


「そうしたらこの事務所にいるってわかったので」

「確かに今日東京に用事があるって言ってたもんね。何の用事だったの?」


 もしかしてそれ? と郁人が指差したのは征彰が手に持っている大きな色のついたビニール袋だった。ぱんぱんに膨らんでいて柔らかい何かが詰まっていそうに見える。


「はい。姉からの誕生日プレゼントで。いつもらない物くれるんですよ」


 ビニール袋から取り出されたのは、細長いキャラクターの抱き枕。郁人が生徒会室の鍵に取り付けたマスコットと似た見た目をしている。同じシリーズの大きさ違いの商品だろう。

 いや、待て。郁人が足を止める。今なんて言った?


「……ちょっと待って、誕生日?」

「はい」

「今日!?」

「六月二十一日生まれです」


 郁人は頭を抱える。知らなかったし、聞くことを考えてもいなかった。


「知らなかったんですか?」

「知らなかったよ! 何か学校では祝われたりした?」

「中原がコンビニのプリンを十個くれました。それから」

「それから?」

「……学校の知らない女子からシフォンケーキのホールを」


 カロリーが低いからだろうか。気遣いという面でも完全に負けている気がする。


「知らない女子ですら誕生日知ってるのに、俺は知らなかったってこと?」

「そういうことかもしれません」


 郁人は征彰が思うよりショックを受けていた。

 単純に最近忙しいので落ち着いたら祝ってくれるもの、とばかり思っていた征彰は、静かに心の中で驚いていた。


「……わかった」

「なにがですか」


 顔を上げた郁人は決心した表情で前を見据えている。


「明日一緒に大阪に行こう」

「一緒に行っていいんですか?」

「うん。梅田でしょ、俺調べたんだけど」


 郁人が携帯の画面を見せる。


『梅田 ダンジョン 迷子』


「なんですか、この検索結果は」

「一人じゃ絶対迷うって書いてあったし、着いて来て欲しいんだけど」


 征彰は大阪、というワードの一人思いついた。その間、郁人の考えなどどうとも察することなく。


「じゃあ中原も連れて行きませんか? 素人よりよっぽど大阪詳しいと思いますけど」

「……」

「……。電話、掛けましょうか」


 郁人の沈黙の意味を征彰はひとまずさておき、電話で瑛史郎を呼び出した。征彰は失敗したかもしれない、と思ったが梅田を舐めてはいけないという一番上のサイト見出しを思い出して自分を誤魔化すことにする。


「もしもし」

「どしたん、電話とか珍しいやん」


 瑛史郎は思ったよりすぐに応答した。


「明日一日空いてないか? 大阪に着いて来て欲しい」

「いや、いやいやいや、なに言ってん。高校生が急に『友達と明日行って来んで~』って距離ちゃうやん」


 電話口から聞こえてくる瑛史郎の主張は最もだ。郁人も瑛史郎の言葉に賛同する。


「明日どうしても梅田に行かなきゃいけないんだよ。元大阪人のプライドはないのか」


 どんな押し文句なのか、よくわからないが電話の向こうからは悩みあぐねたうなり声が聞こえてきている。郁人は電話の様子をうかがうように、うろうろと歩き回っていた。


「いや~梅田か。それは悩むなぁ。一人で行かれて迷って行き倒れたら困るし」

「一人じゃなくってさ、ごめん。本当は俺の用事なんだ」


 郁人が電話口に向かって口を挟むと、返答に間を置いて困惑の声が上がった。


「今、安達先輩の声しやんかった?」

「一人じゃなくて、郁人くんと二人で行くんだよ」

「やったらなおさら困るやん! 先輩に行き倒れられたらたまったもんちゃうやん」


 するとしばらくの沈黙の後、征彰が首をかしげて携帯から耳を離す。


「どうしたの?」

「中原のお母さんが何か言ってるらしいです」


 二人で首をかしげていると、携帯のスピーカーから瑛史郎の大きな声がノイズ交じりに響く。


「めんどいやん。わざわざ会わんでも元気やって」

「分かってても会うことに意味があるんやん。行ってきい」


 どうやら瑛史郎の母親は賛成派らしい。

 電話に戻って来た瑛史郎はどこか気疲れしていた。声にけだるさが混じっている。


「……行けることなったわ。なんやっけ、明日何時にどこ?」


 瑛史郎の疑問に郁人は素早く調べて伝える。


「八時に東京駅。行ける?」

「めっちゃ朝早いやーん。……わかりました、明日八時に東京駅、覚えました」

「意外に親御さん、肯定的だったな」

「兄ちゃんに会って来いって言われたん。めんどいわー、おれは頻繁に連絡してるっていうんに」

「そうか。じゃあ、明日よろしくな。愚痴は新幹線で聞くから」

「あっ、裏切りや。ちょっとくらい話聞い──」


 征彰は瑛史郎の言いかけていることを完全に無視して通話を切った。


「大阪限定ナビ確保しました」

「中原くんがいて助かったかも」


 行き倒れ、という言葉は梅田初心者の二人にちょっとした心配を植え付けた。けれど梅田のダンジョン攻略は瑛史郎のおかげで何とかなりそうだ。

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