56 エモンデ(5)

 羽鳥はとり学園の名は有名だが、実際校舎を目の前にすると、さすが世に名をとどろかせるだけあって大きく由緒ゆいしょありそうな建物に数歩後ずさった。

 お嬢様じょうさま学校の呼び名は伊達じゃない。

 三島は警備員に職員証を見せるとすぐさまとおされた。ほどなくして一人の教師らしい人物が頭を下げながらやってくる。


「急な訪問で申し訳ありません」

「いえいえ。うちの生徒に関することでしたら、協力させてください」


 初老の男性は初等部しょとうぶの教頭らしい。

 招かれた応接室で一人の教師が入室してきた。彼女は小森響子の最後の担任教師だったという。女性教師は深々と頭を下げて目の前の椅子に腰かけた。


「小森響子さんの、二年の時の担任とお伺いしました」

「はい。私は当時、二年B組の担任をしておりました」


 彼女は学校の雰囲気に似合わず質素しっそな格好で、髪も一つにまとめただけだった。


「あの時、私がつけていた日記です」


 目の前の机に差し出されたのは分厚い一年分の日記帳。三島は配慮はいりょの言葉を述べながらそれを手に取った。


──小森響子。大人しそうな子。年の離れた妹がいる。両親共働きで妹の送り迎え(?)に向かうことがある。友人関係も希薄きはく


 率直そっちょくな意見が述べられた日記帳は、優が感じていた印象とおおよそ同じようなことが書かれている。


「どうやら、お友達とも上手くいっていなかったようなんです。小森さんと比較的仲良くしていた子たちに訊いてみた時、どういったわけか休日小森さんは遊びに行けなかったそうです」

「理由までは分からないんですね」

「はい……。ただ、ご家族含めて妹第一に動かれていた印象です」

「妹……小森詩乃ちゃんがこの小学校に通われているのはご存じですか?」


 三島が女性教師に尋ねると、彼女はこくこくと頷いた。


「小森詩乃ちゃんは今、私が担任する教室の生徒です」


 何たる偶然だろう。

 これは想定外で郁人も三島もそろって目を見開いた。


「そうですか」

「ええ、神様の悪いいたずらですか。でも、今こうやって貢献こうけんできるならいたずらではないのかも」


 女性は指を組み直しながらそんなことを言う。


「詩乃ちゃんというと、制服の件……」


 郁人が口を挟むと、女性は「ああ」と思い出したように声を上げた。


「響子ちゃんのおさがりですね」

「やっぱり」


 やはりおさがりで間違いないらしい。


「詩乃ちゃんの教室には同じような生徒がいらっしゃるんですか?」

「いいえ。詩乃ちゃんだけです。旧デザインの制服を着て登校する二年生は、詩乃ちゃん一人だけです」


 三島がたたみかけるように尋ねると、女性は眉を下げて顔をうつむける。


「詩乃ちゃんは教室で浮いています。子供は残酷ざんこくですから、特に目に見えた違いを見つけると仲間外れにしようとしてしまうんです。詩乃ちゃんは何分なにぶん聞き分けがいい子なので、制服について文句を言わず制服のせいで輪に入りづらい状況を割り切ってしまっています。でも響子ちゃんのこともあるので、お母様には言いづらくて……」




「これってまいですね」


 部屋を出て開口一番かいこういちばん郁人はそう言った。


「困りましたねぇ」


 三島も悩みあぐねるようにあごに手をえる。

 響子の一連の原因が、詩乃のために左右する人生や母親の姉妹に対する対応の差だと考える。そして今、亡くなった響子への後悔を引きずっている母親に今度は詩乃が振り回されている。


「まず一連の事件が響子さんの寂しさによるものなら、手っ取り早い方法があります」


 郁人は『保安局』から貸し出された携帯の存在を思い出す。けれど、あれは最終手段にすべきだと思っていた。


「でも三島さんもわかってるんですよね」

「ええ。響子さんがどうして三年前のカルテに妹さんの存在を残さなかったのか」


 部屋の前で廊下で意見を交換する郁人と三島をさえぎるように、室内から若干じゃっかん一名顔を出した。

 先ほどまで会話を交わしていた詩乃の担任だ。


「ああ、すみません。こんなところで話し込んでしまって」


 三島がかばんかつぎ直して去る素振そぶりを見せると、女性は首を振って手の中にある学級日誌を強く抱え込んだ。ずっと何かにおびえているような猫背が気になるところだが、郁人は特に言及することなく、三島と同じく背中を向けようとした。


「あの!」


 二人は急な彼女の大声に振り返る。


「貴方、詩乃ちゃんと知り合いなの……なんですか?」


 女性の視線の先は郁人だった。

 身体の向きを変えて郁人は頷く。


「はい」

「最近、詩乃ちゃんどこかに寄り道してるみたいなんです」


 風稜高校だろう。姉に会うべく、電車に乗って鍵島まで向かっていた。土曜日、大人しくしているように言ったので、さすがにまた風稜に向かっているなんてことあるわけないだろうが。


「今日も詩乃ちゃんと話をしました。最近、通学路と違う電車に乗ってどこに行ってるのか、って。そしたら詩乃ちゃん、『風稜高校だ』って。『今日も行く』って言ってて」

「……今日も行くって言ったんですか?」

「え、ええ。貴方のその制服、風稜高校じゃないかしらと思って、一応言っておこうと……」


 語気の強くなった郁人に女性は身を縮こまらせて言う。

 郁人は語調について謝罪の言葉と情報提供に感謝を述べながら、三島の顔を見下ろした。もちろん、三島もまた郁人の顔を見上げている。


「電話した方が良さそうですね」


 三島の視線の動きで、郁人は鞄に入ったままの携帯を取り出した。三コールほどで電話がつながる音がする。


「もしもし?」

「……もしもし」


 詩乃の声は少し強張こわばっていた。三島とアイコンタクトを取るなり、所在しょざいを尋ねるべく電話に集中する。


「今、どこにいるの?」

「が、学校だよ?」


 郁人は電話の内容が三島にも聞こえるようにスピーカーモードにした。

 詩乃はうそをついている。言葉の調子が不安定で、語尾上がりだった。声が上ずっているのが証拠しょうこだ。


「俺、今詩乃ちゃんの学校にいるんだけど」


 詩乃の声が途切れる。しばらくして外のノイズが入ったかと思うと「じゃあ、おうちにいます」と返ってきた。

 じゃあ、と言っている時点で明らかに嘘はバレバレだが。


「ママと一緒におうちでいます」

「でも詩乃ちゃんのお母さん、今日病院ですよねぇ」


 クリアファイルに入った小森咲代の通院スケジュールを片手に、三島が電話のマイクに話しかける。


「……」

「本当はどこにいるの? 心配だよ。俺は詩乃ちゃんをしかりたいわけじゃない」


 郁人の発言から一分ほどだろうか。詩乃の返答の代わりに聞こえてきた声は、聞きなれた生徒会顧問こもんの声だった。


「おじょうちゃん、ここは学校だから入っちゃダメだ。お家にお帰り」

「大場先生?」


 郁人が話しかけると、電話ごしの大場は詩乃と何かの会話を交わす。一段落ついたのか、詩乃の電話から聞こえてきた声は大場に交代した。


「そこに詩乃ちゃんいますか?」

「詩乃、ってこの小学生か。羽鳥学園の制服着た」

「そうです。すいません、すぐ向かうので保護しておいてください」

「誰なんだ、この子は」

「小森さんの妹です」

「小森の? どういうことだ」

「説明は後でします」


 郁人は電話を乱暴らんぼうに切ると、三島と風稜に戻ることを決めた。




 三島の速度制限ギリギリ運転のおかげで、思いのほか早く到着した。校門前につけられた車から郁人は飛び降りると、校舎を前に周囲を見渡す。詩乃と大場は遠く、校庭こうてい端のベンチに腰かけていた。


「詩乃ちゃ──」


「あれ、大場先生。こんなところで何してるんですか?」


 郁人より先に大場に近づく影に郁人は青ざめる。


「なんだ小森か。いや、お前の妹がな」

「妹?」


 詩乃はベンチの座面に深く座ったまま響子を見上げていた。口元が震えていて、響子の名前を呼んでいるように見える。


「私、妹なんかいませんよ?」


 三島は後ろから走って来て、郁人の隣に立ち並んだ。息を整えながら、ひざに手をついている。

 郁人は空をあおいでひたいおさえた。

 郁人と三島が『懸念けねん』することは当たる。当たり前だ。未来を左右できる人間と、未来を予測できる人間が不安を口に出すということは、それはほぼ百パーセントの未来。


「お姉ちゃん、詩乃だよ」


 詩乃はベンチから降りると、響子のトレーナーの裾を引っ張った。響子の視線は大場だけをとらえている。


日向ひなたぼっこするには、今日ちょっと暑いですよ」

「いや、小森……」

「お姉ちゃん」


 か細い声が悲痛な叫びに聞こえて、郁人はたまらず駆け寄った。大場は訳が分かっていないようで、郁人を確認するや否やどういうことかと尋ねてくる。

 しかし郁人は大場を無視して詩乃の肩を叩いた。


「……詩乃ちゃん、帰ろう」


 響子の裾をつかんだまま振り返った詩乃は、下唇をんで、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る