57 エモンデ(6)

五月二十一日 火曜日


 昨日、詩乃は三島が運転する車によって自宅に送り届けられた。

 始終泣いていた詩乃だが、家に着くころにはしゃっくりを抑えてしまって、泣いていたのかわからないくらい平静へいせいよそおっていた。

 おそらく帰ってくる両親を心配させないためだろう。どこまでも気配りのできる小学二年生だ。


 響子は特に『妹』というワードに引っ掛かることもなかったのか、校舎内に引き返して行ったのが何か心に刺さった。響子は詩乃を覚えていないどころか、見えてすらいなかったのだ。

 郁人は生徒会室の長机に突っ伏して、花房さくらが響子の本に残した手紙を日にかざした。


──あのひまわりみたいな夕日で焼いてしまおう

  ぜんぶ ぜんぶ わたしのいいようにしてしまう

  そしたら捨てられる気がするんだ

  心を冷たくするものを焼き払ってくれる

  だからわたしは橋の上に立って 今日も夕日に手をのばすの

  夕日でフランベしてしまおう

  やなものぜんぶ フランベしてしまおう


「こんにちはでーす。あれ、安達先輩どうしたんすか?」


 珍しく怠惰たいだな様子を目撃した瑛史郎は、奇妙な笑みを浮かべたまま正面の席に座る。


「今日の購買の特別メニュー見ました? 半熟卵はんじゅくたまご入りハヤシライスパン特大サイズ」

「ううん」


 生返事の郁人は手紙を眺めたまま瑛史郎の会話に付き合っていた。


「半熟卵も最高やし、でかいのも最高やわ。波に埋もれて勝ち取った甲斐かいある」

「どうでもいい話だけど、ハヤシライスパン、って言葉おかしくない?」

「ライスパンって米粉パンみたいすよねー」

「正しくはハヤシパンってこと?」


 郁人の発言に瑛史郎は顔をしかめて首を振る。


「ハヤシパンって急にダサくなるやん。たぶんそんな名前で売ってたら売れてないんちゃいます?」

「でも俺、初めてハヤシライス知った時、『ダサい名前の料理だな』って思ったよ」

「それはビアードパパに失礼やないですか」

「いやビアードはあごひげって意味だから、ビアードさんじゃないよ。でも人名から引用するなら、なんでステラおばさんはダサくないんだろうね。横文字だから?」

「じゃあハヤシ、って極力きょくりょくダサくならんようにカタカナで書いてるんかなあ」

「それに、ステラおばさんは作ってる人間の名前だけど、ハヤシって注文した側の人の名前らしいよね。なんでシェフの名前とかお店の名前じゃないんだろう」

「ハヤシさん、めっちゃ有名人やったんですかね」

「由来から考えるならハヤシパンっておかしいね。ハヤシさんが注文してたのはハヤシライスなわけだし。やっぱりハヤシライスパンが正しいのかな……?」


 会話に一区切りがついて、瑛史郎はやっと一口めにかぶりついた。ハヤシライスのソースがパンに包まれていて、カレーパン同様にげられている。

 そして依然いぜんと手紙を見あげたままの郁人に瑛史郎はついに尋ねてきた。


「ずっと気になってたんですけど、その手紙なんですか?」


 何なんだろう、と返す郁人に、瑛史郎はわざとらしく口元をおおう。


「まさかラブレター──」

「違う。……そもそもこれは俺あての手紙じゃないし」

「じゃあ何すか」

「ポエム? 詩みたいだよね」

「見てもいいですか?」


 郁人は身体を起こして、瑛史郎の見える向きに手紙を机上に置いた。瑛史郎は身を乗り出して白い紙に連ねられた文章を眺める。


「見たことあんなあ……なんやったっけえ」


 瑛史郎は何か独り言を言うと、携帯を取り出して何かを調べ始めた。何かにたどり着いたのかスワイプする手が止まり、携帯の画面を寄こしてくる。


「なに? これ」

「これ、さくらちゃんが作詞担当した曲ですよ」

「花房さくらが? 歌詞とか書くんだ」

「『夕日でフランベしよう』って曲です。ちょうど三年前の今日発表された曲で、さくらちゃんが二曲目に作詞を手掛けたやつです」


 確かにその曲の二番のサビと歌詞が一致している。


「一曲目は?」

「えっと……」


 『公園の回顧かいこ録』。

 郁人は眉をひそめて腕をさする。


「ストーリー性のある歌詞が人気で、ファンの内ではさくらストーリーシリーズって呼ばれてるんです。聖地もあるし、一曲目の公園のモデルは鍵島かぎしま平萩ひらはぎ公園なんすよ」

「聖地って?」

「一言で言うんやったら、その作品にゆかりのある場所、って感じやと思います」


 偶然だと思いたいがあまりに嫌な一致だ。


「この一曲目が発表されたのはもしかして四月三十日、とか」

「え、知ってるんやないですか」

「ううん。かんで言ってみただけ」

「安達先輩占い師なん?」


 四月三十日。郁人が家を飛び出した日だ。

 花房さくらはいったい、どういう人物なのだろう。しかし今、そちらは問題ではない。


「……じゃあ、二曲目の聖地はどこ?」


 三年前の今日、発表されたのなら、今日その場所に何かがあると考えるのはおかしな話じゃない。もちろん、何もない方がいいだろうが、それが解決につながるなら本望ほんもう


「確か──」


 瑛史郎は地図アプリを開いて、その場所を拡大して見せた。

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