51 デゴルジェ(5)

五月十七日 金曜日


 第三回の生徒会会議を終えて、いつも通りの手つきでホワイトボードの文字を消す。

 珍しいのは、にこにことご機嫌そうな中原なかはら瑛史郎えいしろうが書類の仕分けを手伝ってくれていることと、浮かない顔の響子が手だけは動かしてチェックボックスを埋めていることだ。


「ほんま先輩には感謝ですよ。騎馬戦やりたかったんすよね~」


 ご機嫌の理由は明らかだ。

 先日、大場から正式に、体育祭での競技に騎馬戦が採用されたと聞いた。郁人はそれを今日の会議で報告した。

 騎馬戦の騎手をやりたくてしょうがなかった瑛史郎は表情が緩みまくっている、というわけだ。


「どうも」


 後輩の笑顔の代償は郁人にとって大きいものだが、ここは何も言わないでおく。彼に愚痴ぐちを言ってしまって、せっかくの喜びが申し訳なさで半減するのは可哀想かわいそうだ。

 しかし、響子の表情が浮かない理由は見当もつかなかった。


「失礼しまーす」


 そう言ってノックとほぼ同時に生徒会室の扉を開けたのは見慣れない人物だった。明るい茶色に染めた肩ほどの髪の毛をハーフアップにしている、ピンクを基調にした柔らかい化粧けしょうの女子生徒。勿論と言うべきか、学校指定のプリーツスカートは腰で短く巻き上げられていた。いかにも、クラスの派手なグループの人間らしい。


 顔を上げた響子は慌てた様子で椅子から立ち上がり、その女子生徒に走り寄る。


由良ゆら、なんで生徒会室に?」

「今日寄り道しようって約束してたでしょ? 会議が終わるって言ってた時間になっても教室に戻ってこないから」


 そう話す二人の脇から、新たな女子生徒二人が顔を出した。生徒会室を出入りしたことが無いのだろう。物珍ものめずしそうに見回している。

 おそらく響子のクラスメイトだ。薄いとはいえきちんとメイクしているあたりも、自分たちが異性から魅力的に見える類の人種と理解していそうな素振りも、響子とは似ても似つかない。なんだか奇妙な組み合わせに見える。

 もっとも、響子が自身のクラスでどう振舞っているかは郁人は知らないが。


「ごめんなさい、ちょっと手伝ったら終わるから待ってて」


 響子は三人を廊下に追い出そうとするが、ギターかベースか楽器ようなものを背中にかついだ背の高い女子が渋ったように声を上げた。


「響子の生徒会の仕事してるとこ見たーい。邪魔しないから!」

雑務ざつむよ? 廊下で話しながら待ってたほうが」


 響子の視線が郁人に向く。援護えんごしてほしいのか、許可を求めているのか。


「わたしも」


 由良と呼ばれた女子がそういうと、響子は口を薄く開けたまま言葉に詰まった。


「わたしも、響子が生徒会の仕事してるの見てみたいな」


 両手の指を突き合わせる。手を口元に近づけて上目遣い。


「だめ?」


 首をこてん、と傾げてみせて響子は迷ったように渋い顔をした。これが作戦なのか何かは知らないが、響子は彼女には弱いらしい。


「……安達くん」


 響子は眉を八の字に曲げて体ごと郁人の方へ向ける。


「ちょっとだけ、いいかしら」


 郁人は少しだけ躊躇ためらってから頷いた。




「で、トーナメント表の作り方が……」


 結局、瑛史郎は空気を読んで生徒会室に残ってくれるようだった。生徒会室戸締とじまり当番は郁人なので、響子を一人おいたまま帰ることはできない。

 響子は少しだけ居心地悪そうに相槌あいづちを打ちながらチェックボックスを埋めている。やっておくから、と言いかければ響子に目を向けられるので、どうしたらよいものか板挟いたばさみだった。もしかしたら今日の寄り道には行く気がなかったのかもしれない。


「あ、そーだ。私安達くんに聞きたいことがあったんだよね」


 名前も知らない楽器を担ぐ長身の女子生徒は、机に頬杖をついてそんなことを言う。まさか話題を振られるとは思っていなかった。

 郁人は返事の代わりに顔を上げる。


「この間、中庭で一年から告白されてたじゃん? あの時の話とか、恋愛の話とか、聞きたーい」

「ちょっと、莉々香りりか

「だって響子、いつもにごしちゃって言わないじゃん」

「濁してるんじゃなくってほんとに……」


 響子はそう彼女に制するが、そんなこと構わないのか「どうなの?」と聞いてくる。ましてや他二人も期待に目を輝かせて、若干じゃっかん机から身を乗り出していた。


「特に何もないけど……なんで急に?」


 面白い話はできない。するつもりもない。

 しかしそれでは納得してくれなかったようで、莉々香という彼女は足を投げ出して文句を声を上げた。


「急じゃないよ。ずっと安達くんって告白されても断ってるでしょ? ほんとに好きな人が他にいるんじゃないかなって、ちょっと前にそんな話をしてたの」


 由良は落ち着いた様子で指に髪を巻き付けて言う。少し思わせぶりに向けられた視線の先は響子だ。

 響子は気まずそうに肩をすくめて顔を下げる。響子は無言を貫くらしい。


「何もないよ」

「本当に?」

「本当に」


 ふうん、と言うが由良はに落ちていなさそうだった。逆に、響子はなぜか少しだけ目を丸くした表情をのぞかせている。


「もうそろそろ、この部屋締めようと思うんだけど」


 瑛史郎が思わせぶりにシャーペンを置いたタイミングを見計らって口に出した。由良は名残惜しそうに郁人と目を合わせると、諦めたように息を吐いた。


「ちょっと長居しすぎちゃったかな」

「悪いようだけど」


 由良が椅子から立ち上がると、莉々香やもう一人の女子も続くように立った。響子も机の上の書類をまとめながらパイプ椅子から尻を浮かせている。


「じゃあ、おじゃましました。……響子、行こう?」

「え、ええ。ちょっと待って」


 そういうと、鞄を片手に響子が郁人の耳に口を寄せた。郁人は吸われるように首を持ち上げる。


「迷惑をかけて……ごめんなさい」


 響子はそのまま振り返らずに三人を追いかけて走っていった。いつもよりしっかりとウェーブのかかった髪が揺れて部屋から逃げていく。


 郁人は名残を眺めるように視線を動かすと、納得したよう首をさすった。

 抱えていた違和感にやっと気づけたのだ。

 郁人は手の中の書類の束を手癖てぐせで揃える。


「中原くん」

「なんすか?」

「今日の小森さん、いつもより……化粧もしてたし、すごくちゃんと綺麗にしてたよね」


 学校でメイクをしているのは初めて見た気がする。いつも以上に女子高生に擬態ぎたいしていた。返答の鈍さやテンポ感を誤魔化すがごとく。

 瑛史郎は気づかなかったらしい。思い返すように斜め上を見上げながらも首を傾げる。


「それはわからんかったんですけど……あの三人って有名な人らやないですか」

「そうなの?」


 郁人の聞き返しに瑛史郎は頷く。


「軽音部で、ちょっと牛耳ぎゅうじってるみたいな」

「軽音部でどうやって牛耳るの?」

「そこまではちょっと。楽器使うたびにグラウンド十周させられるんですかね? でもただ、うちのクラスの子が言ってたんすよ。『も~先輩がウザくて~』って」


 瑛史郎が両手の拳を顔の前に持ってきて、いわゆるぶりっ子ポーズを披露ひろうする。


「それ誇張こちょうモノマネ? たぶん似てないよね」

「うわ、ヒドない? 似てますって。割と人気あるんですけど」


 どちらを擁護ようごするのか。

 しっかりノックの後に「失礼します」と声がかけられて、入室を促すと扉が開いた。

 瑛史郎の奇妙な姿勢に顔をゆがめながら、征彰は聞かざるを得ない義務感で尋ねる。


「……なんかありましたか?」


 瑛史郎のモノマネが似てるかいなか、征彰はもちろん郁人に軍配ぐんばいを上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る