23 回顧(12)

 小指のかゆみは増していて、家に置いてある物を使うにしても、減り具合が目に見えていた。


 今は飲み薬もり薬も『保安局』から支給されたものを使用している。念のためインターネットでその名前を検索したところ、ごく標準的な医薬品だった。

 軟膏なんこうを丁寧に塗り込んでから絆創膏ばんそうこうを巻き直す。

 発疹ほっしんが出てからは一目で異常さをうったえていると分かるようになってしまっていた。

 飲み薬をと思って立ち上がったその時、自身の部屋の扉がノックされた。その厚みのあるノック音は誰のものかすぐにわかった。身体が勝手に身構みがまえるようになっているからだ。


「郁人、話がある」

「……」


 ドアノブを捻ると、目の前には案の定父親が立っていた。

 縦幅の狭い眼鏡はいつも威圧いあつ感がある。

 父親はすっと手を差し出してくる。それが何の合図なのか、もう数年目だからわからないはずもない。郁人は一度部屋に戻って一枚の紙きれを手渡した。今日学校で配付されたものだ。


 父親はそれを舐めるようにまじまじと眺め、そして郁人の顔に視線を向ける。父親は郁人の様子を見て、何を思ったのかその紙きれの上両端を両手でつまんだ。音を立ててそれは二分される。重ねてまた二分。びりびりと音を立てて裂かれ、その紙きれは無残にも散り散りとなる。


 その行方ゆくえを郁人は傍観ぼうかんし、そして父親の方へ目を向け直した。


「分からない問題は無くしてからテストにいどめと、いつも言っているな」

「……」


 郁人は下手に刺激しないようにうつむきがちに頷く。

 テストの成績表は床に散乱し、それを片付けるのはいったい誰なのだろうか。父親の言葉をまともに聞いていられない。

 学年二位の順位は少なくとも父親のお気に召さなかったらしい。いつもであれば不満げにもただ一言「そうか」と言っていた父が。

 一年たっても一位を取れない息子に憤慨ふんがいしているのか。


 当たり前だ。取らないようにしているんだから。


「次は、……頑張るから」


 ただ郁人は次の定期テストはどうしようかと考えていた。一位以外では満足してくれなくなった。どうすればうまくいくだろう。


 そう全ては早く見捨ててくれれば、無駄な努力も必要なくなる。

 人間の一面だけを表したこの紙にそんなに価値があるのか。人間の価値とは勉学の点数だけなのか。瑛史郎に肯定されたおかげで、郁人の疑問は大きくふくらんでいた。


 父親はそんな感情が透けて見えたのか郁人のほおを振り抜いた。びりびりと衝撃のようなものが廊下に響き渡る。郁人は黙って板間を見下ろすだけだ。

 父親は紙くずをわざと踏みつけるようにして郁人に背を向ける。

 ばらばら紙死体かみしたいとなった成績表をしゃがみ込んで一部手に取る。断面が荒々しくて、紙だって自分と同じで痛みを感じているのだろうかなんて考えながら、それらをかき集めゴミ箱にまとめて放り込んだ。

 しかし、じんじんと頬の熱を帯びた痛みは、小指の違和感に負けていた。

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