22 回顧(11)

四月二十二日 月曜日


 かち、パチン。かち。

 規則的な音を立ててホッチキスを止めていく。

 同じ動きを繰り返す作業は嫌いじゃない。むしろ好きだと思う。淡々と手を動かしながら、別の事を考えていられるから。

 けれど今はできるだけ何も考えたくはなかったから、この作業が苦痛だった。


 軽いひかえめなノックに加えて、遠慮えんりょがちに扉が開かれる。


「あ、やっぱりまだ作業してたんすね」


 関西圏かんさいけんのイントネーションが珍しい、今日から生徒会役員となった一年生。どこか前年度の生徒会長に似た雰囲気がある。気さくで陽のオーラをまとったさまがまさに。


「おれも手伝います」

「ありがとう。でも、あとこれを片付けるだけだから」


 紙の束を指さすと彼はそそくさと目の前の席に座った。


「できるだけびは売っとかな、なんで。あ、おれ中原瑛史郎です。覚えてくれるまで何度でも自己紹介しますよ~」


 人の名前を覚えるのが苦手だと自己紹介した郁人に気を遣ってか、冗談交じりに名乗ってくれる。


「ありがとう。でも、『媚び』って? なに、生徒会長にでもなりたいの?」

「実はそうなんすよね。中学の時は成績が悪いから無理や、って言われて」

「へえ。確かに成績で生徒会役員を選別しない風稜うちはいい制度だよね」


 規則的に続いていたホッチキスの音が止まる。

 郁人がふと顔を上げると瑛史郎は目を丸くしていた。

 何かおかしなことでも言っただろうか。はっと口元をおおう。


「でも安達先輩ってめっちゃ賢いですよね。てっきり『バカに学校は任せてやれない!』みたいなスタンスやと」


 昼間、廊下に張り出された春休み明け定期テストの順位表を見たのだろう。あとは噂だろうか。彼くらいのコミュニケーション能力があれば、その程度の情報を拾ってこれそうだ。

 郁人は瑛史郎の発言にきっぱりと首を振った。


「人には向き不向きがあるものだよ。実を言うと俺はあんまり生徒会長向きじゃない」


 郁人は福島拓実が生徒会長を担った一年を知っている。あの人は生徒会長向きだ。あれだけの正義感とリーダーシップは人をまとめる人間にふさわしい。


「勉学の成績っていうのは人をある側面からだけ測ったものでしょ? 一面だけを見て適性を決めてしまうのはあんまり好きじゃない」

「今喋ってて分かったことがあるんですけど」

「なに?」

「安達先輩ってやっぱ賢いんすね」


 瑛史郎は神妙な顔をしてそんなことを言う。


「……そう? ちょっと自分ではわからないけど」

「だってこの話になってぱっとその意見が出てくるって……普段からいろいろ考えてるんかなって」

「思いついたことをその場で言ってるだけかもよ。突き詰めたら矛盾点が出てくるかもしれない」

「でもその場で人を納得させられるような意見を、こう……ポンと出せるのはすごいですよ」


 瑛史郎はオーバーなジェスチャー付きでめてくれる。郁人は薄っら笑みを浮かべて返答をにごした。褒められるのは慣れていない。

 郁人はホッチキスの芯が切れたことに気づいて、補充をした。まだ紙はたくさんある。あとこれだけ、とは言ったが郁人は心底感謝していた。余計なことを考えないで済む上に、会話をしていれば気はまぎれる。


「おれ、鍋島のクラスメイトなんですけど」


 かちん、と新しい芯を入れ替え終えたホッチキスを空打ちする。そのまま紙をまないまま、歯をかみ合わせた。

 昨日の出来事を考えたくないと思った矢先に。そういえば、二人ともC組だった。


「とはいっても中学の時からの親友で。安達先輩のことはちょくちょく鍋島から聞いてたんです」

「そうなんだ。……言ってた?」


 郁人は自分の発言のミスに気付かなかった。

 瑛史郎は少しだけ沈黙をたずさえたが、そのがあったのかという疑問は脳のすみに置いて、同じ調子で話を続ける。


「あいつ今ファンクラブあるん知ってますか? ま、見た通りめっちゃイケメンやし親有名人で中学んときからモテモテやったんですけど」


 モテモテ、というのはあまりイメージがかない。どちらかと言えば神格しんかく化されていると言えば大げさだろうか、けれど皆、彼を芸能人を見るような目つきで遠巻きに目で追っている。男子バレー部が活動する体育館に女子が群がるようになったとか、そのベクトルだ。

 中学の時は今と違って、もっと身近な存在だったのだろうか。


「中学の時ちょっと問題になったんすよね」

「問題?」


 郁人作業を再び始めて、瑛史郎の言葉を聞き返す。


「中学生ってませてるやないですか。今とか小学生でも付き合ってるって聞くし。告られたら誰とでも付き合うのは常識っていうか」

「俺としてはそっちの方が問題な気もするけど……」


 そんなことを征彰も言っていた気がする。かたよった常識は中学時代に押し付けられていたものだったのだと知る。


「それもそうなんすけどね。鍋島、どんな女子にもなびかなかったんですよ。ラブレターを貰っても呼び出されて対面でも、バレンタインデーに机に積まれたチョコの山を見ても」

「それがだめなの?」


 硬派こうはだ、と余計惹かれる女子が増えそうではあるが、一般的にはもっと軽い方が好まれるのだろうか。少なくとも話を聞く限り、女子に悪い態度を取っている素振りはなさそうだ。


「問題は女子……というより男子すね。やっぱモテると目の敵にするでしょ」

「……」

「告られても断って、別の女子が告ってでもやっぱり断る。次第に調子乗ってるんちゃうかって同級生のみならず先輩らにも目つけられて、挙句あげくにその学校中に『ゲイ』なんちゃうかってあるかないかもわからん噂流されて、でもあいつずっと黙ってたんですよ」

「鍋島くんは何も言い返さなかったんだ」

「言い返せへんかったんですよ。多分」


 瑛史郎は当時を思い出すかのように深いため息を吐く。なまじ出鱈目でたらめじゃないだけに。

 その時どう対応していたのか、目に浮かぶ。きっと本人は何事もなさそうに黙って耐えていて、周囲が気を揉むくらいだったのだろう。


「おれにだけはずっと相談されてたことがあったんです。ずっと好きな人がいるって。でもこれ以上は……倫理的にもって言うんすかね、あんまり良くないし、諦めるべきなのかって。中学生のくせになんかめっちゃ背負ってるやんって、あんときのおれはドン引きしましたけど」

「好きな人って……」

「あ、おれは誰か知りませんよ? 知っててもめっちゃぺらぺら言うのもなぁって思いますし」


 瑛史郎はしらばっくれるように手を振ってそんな風に言う。

 いつの間にか紙の量はかなり減っていた。もうあと数回分。瑛史郎が手伝ってくれたおかげで帰宅時間もさして遅くならずに済むだろう。


「でも最近安達先輩の話する鍋島は楽しそうやったんで、よかったよかったって安心してたんですけど」

「そんな話すようなこと、あったかな」

「やから余計──」


 ハリのあるノック音。会話が途切れて、郁人の肩がねる。


「すいません」


 扉の向こうから聞こえてくるのはちょうど話題の人の声。


「すんません。鍋島に貸してたもん返しに来たんかもです」

「……どうぞ」


 瑛史郎はパイプ椅子から立ち上がって扉を開ける。

 久々のユニフォーム姿だ。休憩きゅうけい中に走ってやってきたのか、肩に薄手のタオルが掛けられていた。

 征彰は郁人の視線に気づくと小さくお辞儀をして瑛史郎に借りていただろう物をポケットから取り出す。


 オレンジ色の室内に差し込む夕日がそれに反射して。


「──った……」


 郁人は椅子から転げ落ちた。


「は、ええ?! 大丈夫すか?!」


 急にひっくり返った郁人に瑛史郎は目を丸くして慌てている。

 背中から着地したおかげで頭は無事だが背骨が痛い。

 視界の端に見える征彰は呆然ぼうぜんとしていて、瑛史郎は何が起きたのかわからないままひとまず倒れた椅子を起こし、郁人に手を貸した。


「だ、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」

「ほんまですか? めっちゃ後ろにころげてましたけど。新喜劇しんきげきみたいに」


 光るそれはもう視界になくて、瑛史郎がすぐにしまったのか、もしくは。郁人が視線を上げると、瑛史郎もまた同じ方を見ていた。


「は?! ちょ、鍋島が消えた! おれのはさみはぁ?!」


 部屋を飛び出していく瑛史郎を見て、郁人はもう見ないで済むと安堵と、自身に対する落胆らくたんの息を吐いた。余計な誤解を生んでしまったかもしれない。

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