24 回顧(13)

 室内なのに深々と被ったフード、顔を隠すみたいに前下がりのキャップ。体型が隠れるようなオーバーサイズのナイロンジャケット。

 女性にしては少し背が高めではあるが、男性複数名に囲まれている様子は明らかにナンパ、というより犯罪臭がする。ショッピングモールの閉店時間間際に、こんな人目のつくところで堂々と誘い込んでいるのもあっぱれだ。

 征彰は両手に持っている食材の入ったエコバッグをその場に下ろす。


「あの」


 その危機的状況ききてきじょうきょうを察して声を掛けようと手を伸ばしかけたその時、その人の正面にいた男性の一人が悶絶もんぜつしてその場に倒れ込んだ。


「……」


 征彰の身体が固まる。

 囲まれて困っていたように見えていた人はすぐに身をひるがえして脇の一人に肘を打ち込んだ。続けて容赦なくすねを蹴り、喉下のみぞにこぶしを叩き込むなど慣れた動作に寒気を覚える。まるでこのために教えられたような洗練された動き。

 とどめとばかりに倒れ込んだ一番ガタイのいいチンピラのまためがけて足を振り落とそうするので、さすがの征彰でも止めに入った。

 囲んでいた複数人はのたうち回るなり四つんいになるなり苦しんでいるようだ。


「それ以上は過剰防衛かじょうぼうえいになると思います」

「うるせえな。こんなとこでナンパしてくる奴はみんな不能になればいいんだよ」


 落ち着かせるようにわきを抱え込むと、その人はあげた足を渋々しぶしぶ下ろしてくれた。


「失せろカス共」

「佐倉先輩、ひとまず逃げましょうって」


 ゴミを見るような目で見下ろしてもう一発蹴りをお見舞いしたそうにする優を、征彰は慌てて引っ張った。

 優の口の悪さを目の当たりにするが、このようなことがよくあれば誰だってこれくらいは言いたくなるかもしれない。

 征彰は両手にエコバッグを抱え直して、ひとまずショッピングモールを出ることを提案した。




「時と場所を間違えすぎ」


 優は征彰が半分分けたチューブ型容器入りのラクトアイスを吸いながら文句を言う。

 確かに、時も場所も明らかに間違えている。あとは相手も。

 鍵島は最近開発され直した都市としてすでに認識していたが、やはりあのような類の人間は根絶こんぜつしきれないものらしい。


「佐倉先輩ってこの辺に住んでたんですね」

「一人暮らしだけどな。実家はもうちょっと遠いけど通えなくはないって感じ」

「一人暮らし……って、もしかして昔のことと関係あるんですか?」


 少し聞いた話に征彰は切り込んでみることにした。しかし優は黙ってラクトアイスを吸い続ける。

 溶けてしまってはもったいないので、征彰も封を開けることにした。


「……中原とかいうやつ、お前の友達? 『ポップエナジー』がデビューした時から追ってるんだって聞いたけど」

「なんで知ってるんですか?」

「拓実がよく言ってくるから」


 瑛史郎の所属する剣道部の先輩と同じ名前だ。優と福島拓実は同じ三年生なわけで、接点がないとも言い切れない。しかしそこまで仲がいいとは思わなかった。人間の関係図のようなものを脳内に描いていると不意につながる。生徒会だ。


「俺の昔の話を知ってるのは三年と、俺の周りの人間と、花房さくらのよっぽどのファンくらい。あとは……マスコミ気取りの情報屋?」


 その情報屋というのも比喩ひゆだ。きっと、校内に多くルーツをもつ生徒のことを指している。


「でも調べたらすぐに出てきましたけど」

「普通は調べるまでに至らないような話だってこと。メディアも、俺の父親がストップをかけてると思う。変に探られたくないだろうし、目の上のたんこぶはできるだけ早めに潰しておくべきだし」


 優は空になった容器の吸い口から息を吹き込んでふくらませ、顔を上げて溶けた分を流し込もうとした。しかし量も多くないので諦めて最後にちゅう、と吸う。


「一人暮らししてるのは、家族ともいろいろあったってことですか」

「そう。あの女のせいで」


 名前も出したくないらしい。

 顔にかかった金髪を耳に掛けると、優は柱に軽く蹴りを入れた。ささやかな金属音が静かな夜に反響する。


「お母さんは頑張ってくれた。あの時はあいつのための脚本も書かなきゃいけなくて、お兄ちゃんは……大学生になったばかりで遠かったのによく帰って来てくれた。逃げたの父親だけ。逃げた先は前の俺とそっくりの花房さくらだった。娘(・)とうり二つの人間と疑似家族みたいなものを始めた」

「お父さんは、認められなかったんですか」

「たぶんね。あの時俺は、親戚しんせきが偉い人をつとめてる芸能事務所に入る手筈てはずも進めてあったし。週七で習ったバレエもダンスも演劇も、歌もピアノもバイオリンも全部価値を失った。結構自信あったんだけどな」

「つまるところ、花房さくらは何なんですか?」


 春の夜に外でアイスは少し寒い。

 優はキャップのつばを掴んで顔を隠した。


「俺だよ、俺自身。花房さくらが新人アイドルグループの公開オーディションでテレビデビューを果たした日の朝、俺の身体はおかしくなってた。あの女が元からここにいた俺より存在の知名度を上げてしまったから。仕方なく世界が均衡きんこうを保つために俺はキメラにさせられたんだ。自己防衛って言えば聞こえはいいけど」


 似ている、と思わなかったわけじゃない。笑い方も仕草も切り離せないものがあった。しかしそう本人の口から告げられると、征彰は意味の重さに気づいて閉口する。


 中学一年生になる春、優は突如原因不明の染色体がXY型に変化した。女性の機能は消えてしまって、もちろんないものが急にできるわけもない。優の身体は二次性徴を迎えることなく子供のまま、背だけ中途半端に伸びた。

 行くはずだった私立中学は女子校だったために入学を辞退し、地元の公立中学へと戻ることになった。その上奇病に目をつけたマスコミに追われて家庭は崩壊。父親はかつての娘そっくりな花房さくらを気に入るようになり、心の支えの一人だった兄は大学進学とともに遠くへ、母親は当時与えられた仕事に忙しさを見せていた。


 花房さくらが知名度を上げるごとに、優はどうなるかわからない。同一存在が同じ世界に存在するのは世界のバグに値するために、生き残ろうと優の身体は変化しようとする。この点で優に同一性保持権はない。

 優は長く伸ばしていた髪もばっさりと切って、髪も金髪にして、ピアスの穴をいくつも開けた。できるだけ花房さくらから容姿を遠ざけるために。別存在になろうとした。

 それでも髪を伸ばし始めたのは、拓実の願望にかこつけたちょっとした反抗心。


「でも、バレてしまうもの……ていうか。元はあいつと同じだからどうしても綺麗な顔をしてるって言われる。身長も男にしては低いから気安くナンパされるし、残念ながらいろいろ未発達なわけだし。もっとファンタジックな病気だったら、完全な男にれていたかもしれない。そしたらちょっとは違ったかもな」


 第二次性徴の途中で無理やりつじつまを合わせられた体は不具合ばかりになった。

 男子にまぎれて体育をするも体力は劣る。しかし女子の中には優を嫌がる人もいる。誰かが嫌な思いをするなら、むしろ嫌なことは全部自分が背負った方が世の中としてもマシなんじゃないか。

 マシ、マシ、マシで全てを考えるようになった。そして一番嫌いな言葉が『マシ』になった。


「内臓もちょっと劣化が早いって言われたし、あと何年持つんだろうな」

「安達先輩は知ってるんですか?」

「郁人? さあ、知らないんじゃない? 変な気遣いもなく接してくるし、ただのチビな一般男子とでも思ってるんじゃね」


 なにせこの一連の事件が起きたのは優が中学一年生、つまり郁人が小学六年生の時なわけだ。こちらの世界に来る前。もしかしたら騒ぎを知らないのは当たり前かもしれない。

 優はおもむろに立ち上がってアイスの空容器をゴミ箱に向かって投げる。ゴミは重さが無くてふらふらと穴に飛び込んでいった。


「あ、そうだ。日曜日どうだった?」

「なんで知ってるんですか?」

「郁人から遊びに行くための服をどうすべきか相談されたから。机がお友達の郁人にしてはおしゃれだっただろ?」

「……似合ってました」

「で、きみはどうせ気もはやって好きですって言ったんだな」


 優のからかうような笑顔に征彰は表情を引きらせた。


「あれ、図星か。俺の勘よく当たるんだよな」


 あ、溶けてる。

 優は征彰の持つラクトアイスが完全に液体化しているのを指さす。征彰は仕方なく口をくわえて溶けたアイスを流し込んだ。ひんやりとした甘い液体が喉を通る。それは征彰の心情を表すかのように、砂糖のべたつきが食道にはりついた気がした。


「やっぱり普通に嫌われたと思うんです」

「は、なんで?」


 優は首をかしげる。はて、郁人に征彰を嫌う要素が思いつかない。


「今日生徒会室に中原に借りたはさみを返しに行ったんです。そしたら椅子から転げ落ちるくらいびっくりされて……」

「はさみ?」


 優は一つ思い当たる節に、それは征彰の勘違いだと気づいた。優は首を横に振る。


「それ多分、ただのトラウマだよ。ただの、ってのはおかしいか。でも本当にはさみにびっくりしただけ」


 優はナイロンジャケットのポケットをまさぐって取り出したボールペンを一本、こぶしで握りしめるように持つ。


「こんなふうに」


 そのままその右手に持ったボールペンを、左手の腹に突き刺すようなジェスチャーをした。


「刺されると痛いだろ」

「それは痛いと思いますけど。どういうことですか?」

「郁人はこうされたことがあるんだよ。はさみでさ」

「だれにですか?」

「父親」


 時が止まる。

 会話の流れすらまれにも聞かないものなのに、ましてや思いもしなかった人の名前が飛び出してくる。征彰はちらと優の持つボールペンに目を向けて、顔を上げた。


「父親? 安達先輩の、ですか?」

「そう。右手が利き手だから左手に、手のひら側から親指と人差し指の間に一発な」


 十字架にはりつけにされるみたく力強く振り下ろされた。幸い貫通はしなかったらしい。

 想像するだけで痛い。征彰は思わず顔をしかめた。


「なんでそんなことになったんですか? 親子仲があまり良くないとか……」

「俺が確証を持って言えるのは、郁人は両親から……特に父親から日常的に苦痛を受けてるってこと。とにかく鍋島くんが思うように、郁人はきみの事を嫌ってるってことはないと思う」

「……そうなんですね。親切にありがとうございました」


 優は頭を下げる征彰のつむじを見て、ボールペンの頭を無意味にノックした。きちんと芯はしまってポケットの中に戻す。


「アイス半分くれたお礼。あと、面白くもない昔の話を聞いてくれたお礼な。これで貸し借りゼロ」

「昔の話、誰も聞かないんですか?」

「みんな冗談にしたがるからさ、言いたくない。信じたくない人はいつも冗談交じりに聞いてくんだよ。同情でもキモいけど」


 優は口角を持ち上げたままぽつりとつぶやいた。


「きみは真面目でいいね。郁人が気に入るのも分かる。さてと、それじゃ」


 キャップを少しだけ持ち上げて優は手を振る。


 優は周りが望むようにふるまっている人なのだろう。

 トランスジェンダーだとか、なんだとか。言いたいように言われて、自己満足で気を遣ってくる人がいて。同情、って人の感情はその人にしかないものなのに。

 そんな他人の感情を負に向けないように、ご機嫌を取り続けている。みんなが望むように、なにも気にしていないような、むしろ願いがかなったトランス男性のごとく振舞っている。


「……意外と普通の人だな」


 悩みの重さ以外は、どこにでも居そうなありきたりな高校生。


 征彰のポケットの中には、瑛史郎に返し忘れたはさみが入っていた。冷たい金属部分を握り締めてみて、脳内で振り下ろす動作を描いてみた。どうして他人にそんなことができるだろう。


 征彰はエコバックに詰め込まれた食材たちを見て重い腰を上げた。

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