64 フランベ(5)

「がんばってねー!」


 女子の入場口に走りながら手を振ってくれる、クラスメイトのリレー女子代表四人を見届け、男子四人も招集場所に向かおうとした時だった。


「ねえ、安達くん」


 クラスメイト三人が足を止めた郁人を振り向く。


「安達?」

「……ごめん、先に行ってて。遅れないようにするから」

「んー? おっけ、遅れんなよ。言ったからな」

「うん」


 それで、と郁人は体の向きを変えた。

 響子のクラスメイト、例の彼女が立っていた。目を細めてにこにこと笑っている。


「安達くん、A組の走者なんだ」


 学年カラーの青い鉢巻はちまきをヘアバンドのように頭に巻いて、髪型も体育祭仕様しように耳の後ろで二つ団子を作っていた。とても走る格好ではない。


「君も?」

「もう、名前忘れちゃったの? 酒田さかた由良ゆらだってば。由良って呼んで」

「酒田さん、女子の入場口はあっちだよ」


 郁人が遠くを指さすと、由良は少しだけ沈黙ちんもくたずさえて笑い直した。


「知ってる」

「そう。じゃあね」

「ねえ、逃げるの?」


 郁人は腕を引っ張られる。まさか逃がしてくれないとは思わなかった。


「責任取りなよ。響子の様子がおかしいの、安達くんのせいなんでしょ?」

「……なんで酒田さんはそう思うの?」


 郁人の問いに由良は苛立いらだちを隠さずに鼻で笑う。


「なんで、って。何もかもおかしいじゃん。安達くんは急に笑うようになって、響子も変におしゃれするようになったし。校則違反してまで化粧するような子じゃなかったのに」

「そう、思ってただけじゃなくて?」

「違う。わたしはずっと見てきたんだよ。一年の時から響子と一緒にいたし、安達くんのことだって人一倍くわしいつもり」


 由良の目つきが一層いっそう鋭くなった。普段の柔らかい雰囲気からは想像もつかないそうなひりついた空気がおおう。


「響子を変えたのは安達くんなんでしょ? ちょっと離れたとこから物が言えるかっこいい響子が、今やみんなに合わせて笑ってるんだよ? おかしいじゃん」

「……」

遠慮えんりょがちに同調したり、変に肯定的だったり。安達くんのせいなんでしょ!?」


「違うわ」


 みつくように叫ぶ由良をしずめたのは響子の声だった。

 由良は声の主を確認するように振り向いた。由良は否定の声を信じられなさそうに目を見開いている。


「違う」

「響子」

「安達くんは関係ない。勝手に変わろうとしたのは私で、安達くんはむしろ私を元に戻してくれたの」


 響子が由良の手をつかむ。由良は行き場を失った言葉を詰まらせて響子に寄った。


「でも、でも響子。わたしは響子ならいいと思ったの。見てきた時間は変わらないけど、横にいる時間ははるかに負けるから」


 これで誰の話をしているのかと尋ねるのは野暮やぼだ。車窓から三島が言った言葉を思い返しながら、そっと三者になる。


「響子なら……ただ、今までの響子を変えちゃうのは許せなくて!」

「私の気をつかってくれたのね。気持ちはすごくうれしい」

「響子……」

「でも、それは由良の勘違い」


 由良はさっと青ざめた表情を見せた。


「かん、ちがい?」

「きちんと否定しなかった私が悪いわ。でもね、全部勘違いよ」


 響子はさとすように告げる。


「ごめんなさい、心配させてしまって。でももう、大丈夫だから」


 アナウンスがリレーの招集を告げる。

 由良は微笑ほほえむ響子を見上げて、郁人から手を離した。郁人は強く掴まれていた手首をさする。言っても一般の女子高校生の握力だった、どうともなっていない。


「由良、アナウンスかかったわよ。一位取るんでしょ?」

「響子、ごめん、なさい」

「謝るのは安達くんにね」

「いや、俺は別に……」


 しかし由良はお辞儀じぎをした姿勢のまま郁人の方を向いた。丸い団子が二つ天を向いている。


「ごめんなさい、安達くん。ぜんぶ、わたしの勘違いでした。……急に怒ったりして、ごめんなさい」

「いや、いいよ。そんなに謝られるような事でもないし……」

「ほら、いいって。由良、リレー頑張ってきてね。応援してるから」


 由良は背中を向けて、申し訳なさそうに背中を向けて走っていく。

 しかし響子はそこから動かないようだった。

 まだ入場までは少し時間がある。郁人は響子の表情をぬすみ見た。


「まだ、酒田さんと仲良くしたいと思ってる?」

「もちろん。悪い子じゃない。見かけはすごくそんな感じだけど……多分私と同類だもの。高校デビューに張り切りすぎて、気づけば慣れない一軍にいた。そんな子だと思う」


 響子は肩をすくめて、いたっていつも通りに笑った。自信に満ちた眉尻まゆじりを見て郁人は安堵あんどする。


「もう、リレー始まるわね」


 背を向けた響子に声をかける。


「小森さん」

「なあに?」

「日曜日。小森さんがまだ見えてないってわかってて、詩乃ちゃんが来た理由」


 響子は振り返りざまに首を傾げた。


「『お姉ちゃんに会うため』だって」

「……そう」


 響子は短く返事をして、鉢巻のリボンから伸びる紐をするりと抜いた。

 電車を乗りいで姉に会いに行く。何度も通っているとはいえ、小学二年生には大冒険だいぼうけんいきだ。


「リレー、負けたら許さないわよ。足だけは早いんでしょ? 運動神経の悪さはたてにならないから」

「全力は尽くすよ」

「そういう、後でなんとでも言えるような返答、安達くんらしいわ」


 響子はちょっとだけ呆れたように首を振って笑う。

 それを見届けて、郁人は響子に背を向けて入場口にけだした。

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