80 ペルソナ(7)
ざわざわと教室内が喚き立つ。
先ほどまで静かにひそひそ会話が交わされていた程度だったのに、征彰はノートの落書きから顔を上げて周囲を見渡した。
授業についてのディスカッションではなかったらしい。それも、みんなして机の下に携帯を隠して何かを見ていたからだ。
「なにごとだよ」
前の席の瑛史郎すらもうわごとのように困惑の声を上げている。肩を叩くと瑛史郎はビクッと驚いて振りむいた。
「ちょ、調べや。速報速報、八王子!」
瑛史郎は気が動転しているのか単語だけを並べて話す。征彰は言われた通り検索窓に『速報 八王子』と入力すると、トップにライブ中継が流れてきた。
征彰は音量を出さず、字幕を付けてその映像を見る。
教師には申し訳ないが、空気感がただならず授業どころでなかった。
──今先ほど、八王子駅前で路上ライブをしていた人物に、刃物を突きつける事案が発生しました
八王子。
予定では、今日、生見ほたるがゲリラライブをする予定と言われていた場所。
──当時路上ライブを行っていた女性は『一般人コスプレイヤーN』を名乗っており、怪我はないと話しています。犯人は刃物を持ったまま逃走した模様です
征彰はすぐにその映像のリンクを郁人に送った。
返信はない。おそらく授業中なので郁人が携帯を触っているとは考えにくい。
授業が終わるのが待ち遠しくなって、征彰はあと五分を刻む時計の秒針を見つめていた。
「これ」
七限目の移動教室で席を立ちあがったとき、征彰が人目を
「どうしたの?」
「八王子で、こんな事件が」
何事だと郁人のクラスメイトは焦っている征彰をちらちらと盗み見る。
しかし郁人は携帯を受け取ってライブ中継の録画を再生した。報道陣の隙間から見えるのは警察が聞き込みを行っている様子。その中心には、ほたるらしき女性が映っている。
「犯人はまだ捕まってないの?」
「はい。最前列でカメラを構えてない人が一人いて、熱心なファンかと思ったって言ってます。でも次の瞬間にはナイフを取り出していて、そばに置いてあった鞄ですぐに身を守ったと」
「……」
「絶対やめさせた方がいいです。このままだとほたるさんが怪我するのは遅くない」
郁人は頭を悩ませる。
ほたるに、郁人たちが正体を知っていることをまだ伝えていない。何か思惑があるならやめさせるのが絶対的にいいとも言えない。もしこれがほたるの心を繋いでいる最後の糸だったら?
けれど、怪我だけは避けたかった。
「……どうしよう」
「怪我しちゃ元も子もないじゃないですか」
「そうだけどさ」
「何を悩んでるんですか?」
征彰が郁人の肩を掴む。
「ショックなのは分かりますけど」
「でも、ほたるちゃんの気持ちを蔑ろにもできない」
郁人には、ほたるの見え隠れする思惑、真相が見えているのかもしれない。と、征彰は
「次は、土曜と日曜でしょ。その二日は休みなんだから、近くで見張ることもできる……よね?」
「それはそうかもしれないですけど……」
郁人は腕の中の教科書を握り締める。
「明日、洋南高校に行く用事があるんだ」
「洋南、って須田夢が通ってるところですか?」
「そう。彼女に会えるかはわからないけど、辻村美緒が案内してくれるって言ってくれてる」
征彰は口を
「いろいろ考えるのはそれからでもいい?」
いつになく弱弱しい声色で尋ね聞かれ、征彰はぎこちなく頷く。
人の感情を扱うのを苦手だと、郁人は自覚するからこそ慎重になるのだろう。それで人を傷つけた過去を無意識に引きずっている。
郁人は今もまだ、悩む時はその左手の小指に触れていた。
「じゃあ、もし週末出かけるのなら俺もついていきます」
「……」
「人は多い方が安心、ですよね?」
七限の始まりを告げるチャイムが鳴る。征彰のクラスでは終礼も終わりそれぞれに帰宅し始めている頃だろう。対して郁人はこれからもう一限だけ授業だ。
郁人の時計を見上げる素振りに、征彰は郁人のことを放した。
「すいません、拘束してしまって。授業行ってきてください」
「……ごめん、まだちょっと考えさせて。ちゃんと決めたら、必ず言うから」
明かりの消えた教室から郁人は去っていく。
征彰はまだ再生され続けるニュースをもう一度だけ眺めて、携帯のブラウザを閉じた。
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