81 アノミー(1)

六月二十一日 金曜日


 電車をいくつか乗り継いでいく。予定の時刻は刻々と迫っていて、郁人は時計を確認するたびに足を速めて電車に飛び乗っていた。

 携帯のナビに半分頼りながらたどり着いた私立洋南高校。出入りする生徒たちは風稜と変わらず雰囲気が明るく自由な校風に見えるが、校門には大柄の男性が立っていた。人相にんそういかつさから監視の目だと分かる。


 佐倉にアドバイスを受けたように、ジャケットを脱いで鞄にしまう。鞄も今日は学校指定で販売されている制鞄ではなく、家から持ち寄ったリュックにもなる横型の鞄を持参していた。


「遅い」


 校門の内側で腕を組む女子生徒に声を掛けられて郁人は振り返る。

 結構急いだ方だがと時計を見るが、待ち合わせの時刻まではまだ十分あった。


 薄い茶髪に染めた髪をサイドハーフアップにする女子は、着崩した格好、派手めのメイクをとってもテレビの中と印象が変わらない。一つ言いたいのはそのにらみ顔の怖さだけだった。


「すいません。授業が終わるのがギリギリで」

辻村つじむら美緒みお。あんたが安達郁人ね、早く着いてきて」


 軽く自己紹介をすると美緒は校舎に向かってすたすたと歩き出す。


「あんたがさくらの知り合いでほたるの従弟いとこだっていうから、話を聞いてやってるだけ。勘違いしないで」

「……辻村さんはどんな用件で俺が来たのか聞いてるんですか?」

「きもい。敬語止めて、あと名字で呼ぶのもや、め、て」


 振り向いた美緒は眉間にしわを刻んで言う。

 郁人はそこはかとない圧を感じていた。なぜか嫌われているような気がしてならない。花房さくらは忙しい彼女に無理やり約束を取り付けたのだろうか。


「美緒……さんは」

「言わせてるみたいでしょ、もっと普通に呼べないわけ?」

「……美緒ちゃん?」

「サイアク。あんたマザコンでしょ」


 前の世界なら否定はできなかったかもしれないが、初対面の人間を許可なしに呼び捨てできる精神は持ち合わせていない。


「偏見だよ、そういうの」

「あーウザい! もうなんなのあんた。普通に美緒って呼べばいいじゃん」


 何なんだとはこちらが尋ねたい。初対面からずっと不機嫌で、怒っている。

 もしや怒りの原因はほたるのことだろうか。

 郁人が後ろをついて歩いて考えていると、美緒は一つため息をついて振り返った。


「どいつもこいつも言葉足らず、報、連、相不足で嫌になる。他人にメイワクかけてんの気にならないわけ?」

「俺の話?」

「ちがう!」


 美緒は少し大きな声で叫んで、玄関口にたむろしていたグループが数人だけ注目する。美緒は居心地悪そうに首を振った。


「ほたるとか……さくらも身勝手だし。あたしだってめちゃくちゃ言うやつらに何も言えないし、むしゃくしゃする。だからって須田さんを責めるわけにはいかないじゃん」


 うちにも悪いやつはいるんだから。

 美緒は小さな声で呟いた。その表情はやるせなさそうだ。

 郁人は美緒の速い足取りを一瞥いちべつして口を開く。


「メンバーのみんなはそう思ってる、ってことだね」

「……ただの、メンバーの一意見。みんながどう思ってるかは知らない。騒動の対処と新曲披露ひろうのフォーメーションも変わって、その上バラエティー番組の埋め合わせでみんな忙しいから、話してる余裕なんてないし」


 美緒は教室にぶら下がったプレートを見上げた。三年、それだけがかかれているのは異様だ。どこにもクラスを示す文字が書かれていない。


「この建物はどの学年も一クラスしかないの」


 つまり、芸能コースの人のためのとうというわけだ。

 美緒は軽く扉をノックすると、一人の生徒が顔を見せる。

 垂れさがった困り眉の特徴的な『T.O.I』の人気メンバー、須田夢。


「花房さんから話は聞いてる」


 夢は教室の注目を集めていることを確認して、階段の方に目を向けた。


「ここじゃ、あんまり話したくないの。あっちでもいい?」


 背中に担いだぺったんこの私物リュックは、とても教科書が入っているとは思えない。どちらかと言えば、義務的に学校に通っているイメージだ。

 郁人が夢の提案に乗ろうとすると、美緒が二人の間に割って手を差し込んだ。


「ちょっと待って。話すならうちの事務所にしませんか?」

「Cプロに?」

「会議室があるし、ここからも近いし。何より人に見られるリスクがありません」


 美緒の発案は悪くない。けれど一般人や他の事務所の人間が簡単に出入りしていいものだろうか。

 美緒は心中を読んだように「大丈夫」と一言言い切った。


「うちは問題解決のためなら事務所の一室を喜んで貸してる。それにあたしがいれば安心でしょ」


 郁人はなるほどと納得と同時に了承した。そう言うことなら、いい案だ。夢も同じように思ったのか、頷いている。


「じゃあ、事務所まで一キロくらいだし走るよ」

「え、走るの?」

「あったり前でしょ」

「美緒ちゃん、今一キロって言った?」

「言いました。行きますよ」


 雨が降り出す前に、三人は美緒の事務所、コスモスプロダクションの事務所まで走る羽目になった。

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