45 ファルシー(4)

 三島の到着を待つこと五分。二人はその物体の見張りもかねて、へいにもたれて監視をしていた。

 あんじょう、遠くから歩いてきた革のランドセルを背負った一人の少女がビニールに気づいたようだった。てくてくと、少しだけ足を速めて好奇心だけで近づこうとする。

 紺のセーラー服の制服はどこかで見覚えのあるようなものだったが、それよりもやるべきことがある。


「ごめんな、あんまり見ていいものじゃないから」


 征彰が立ちはだかるように少女の前にしゃがむと、少女はきょとんとした様子で首を傾げた。


「どうしてですか?」


 幼く見えるわりに正しい敬語で尋ねてきた。


「親御さんはどこにいるのか、わかるかな」

「たぶんおうちにいます」

「そうか……」


 少女は征彰の影からビニールの正体を覗こうとする。彼女の意識を逸らすべく、郁人は話題を持ち掛けた。


「君の家はこっち?」


 郁人が少女がちょうど歩いていこうとした道の先を指し示してみたが、少女は首を横に振る。であれば習い事か塾だろうか。

 それからいくつか二人で話題を与えてみるものの、少女は首を傾げて「なんで見ちゃダメなんですか?」と聞き返してきた。どうやら上手く逃れてくれないらしい。

 ビニールの下の物体は大した時間も経過していないおかげか、別段腐敗臭ふはいしゅうなども気にするほどではないが、見せたくもなければ近づけさせたくもない。何も知らずに帰ってほしいところだ。

 征彰も少女の扱いに困り始めてきたころ、少女は脈絡みゃくらくなく郁人の目を指さして突拍子とっぴょうしもないことを言った。


「ひまわり」

「……ひまわり?」


 少女は自身の背負うランドセルの肩ひもを掴んだままこっくりと頷く。


「ひまわり、って何?」


 郁人が思わず征彰に訊くが征彰も分からずに首を横に振った。しかし少女は勘違いしたようで首をかしげる。


「お兄さん、ひまわり知りませんか? たいようの方をむいて花がさく、黄色いお花の」

「大きな花でしょ? きみと同じくらいの背丈の」

「もううたのの方が大きいです」


 む、とほおふくらませて抗議してくる。しかし郁人は少女が自身の名前を名乗った方に意識がうばわれていた。


「君、うたのちゃんっていうの?」

「……」


 少女は首を縦に振ろうとして思いとどまる。


「どうしたの?」

「知らない人に名前を教えちゃいけないって」


 よく行き届いた教育だ。

 少女はランドセルの肩ひもを一層強く握りしめてうつむいた。どうやら言いたかったことが上手く伝わっていないことに気づいたらしい。地面の砂利じゃりを靴底でこすり始めて、ちょっとだけ顔を上げる。


「お兄さんの目、黒目のとこがひまわりに見えたから、ひまわりがさいてるって言ったんです。そんなおかしいことじゃないです」

「そうなんだ。教えてくれてありがとう」


 不服そうに前のめりになる少女の頭を郁人は帽子ぼうしの上からでた。

 そんなひと段落を見届けていたかのように、少女の名前を呼ぶ声がタイミングよく遠くから聞こえてくる。

 少女は声の方に振り向いて、征彰は立ち上がる。


詩乃うたの!」

「ママ」


 少女は興味の矛先ほこさきを変えて母親らしい女性にけ寄っていった。

 そして、その隣には三島が立っている。ほほえましそうに母娘ははこを見届けていた。母親は涙ながらに三島に頭を下げ続けていて、三島はそんな母親と対して「いえいえ」と軽そうに返事をしている。

 三島は母親と少女が駅の方へ帰っていく背中を手を振り見送り終えると、くるり、と振り向いた。


「で、すごーく奇遇きぐうですね。まさか詩乃ちゃんと一緒にいるなんて」

「三島さんはなんであの女性と一緒にいたんですか?」


 あの女性とは少女の母親らしき女の人のことだ。

 三島は「まあまあ」と流して、後からやって来た警備隊のような人たちに指示を始める。二、三人の防護服のようなものを着た人々はビニールの下に隠されたそれを回収して道端を消毒してまわった。


「さっすが私の見立て通り。安達さんセンサーは役に立ちますねぇ」

「呼ぶのが三島さんで正解だったのかはわからないですけど」

「いえいえ、大正解ですよ」


 ごくろうさまです、と三島は数名の隊員に声を掛けると解散をうながした。たしかこの人はまだ入社したばかりの新卒のはずだ。どこにそんな権限があるのか知らないが、手馴てなれている。

 三島は話に置いて行かれている征彰を見あげるとニコッと笑った。


「こんにちは。はじめまして、三島奈子です」

「三島、って。あ、ああ……!」

「そうでーす、あの三島です。先日はどうも助かりました。今後ともどうぞよろしくお願いしますねぇ」


 征彰は『超機密事項』の冊子に書かれていた名前を思い出した。郁人はよろしくお願いしないでほしいと思ったが、ある意味二人そろって命の恩人なので何とも言えない。


「実はここ数日同じような事件が起きているんです」

「あれだけじゃないってことですか?」


 消毒されたあとに郁人が目を向けると、三島は真剣な面持ちで肯定した。


「ええ。今回で三件目、初めての事件が五月七日です。一週間もないうちにもう三匹が犠牲ぎせいになっています。この事件は公にされていませんから、どうかご内密に」


 緊張感を帯びた声色に郁人も征彰もぎこちなくうなずく。


「ともあれ、あの判断はまさに完璧。人に見せない配慮はいりょも百点です」

「それで、先ほどの女性は……どうして三島さんと一緒にいたんですか?」

「彼女は小森咲代こもりさきよさん。急に娘さんが消えたということで、千願寺せんがんじ駅前の交番にいらっしゃいました。咲代さんは小森響子さんのお母さまです」

「……小森響子、って俺の知ってる小森さんのことですか?」

「ええ。そして小学生の娘である小森詩乃こもりうたのちゃんです」


 ランドセルを背負った少女──小森詩乃はつまるところ響子の妹というわけだ。


「安達さんはもうすでにカルテの一つや二つ目を通しているのでお分かりかと思いますが、重要人物のカルテには必ず本人の両親と兄弟姉妹の名前が記載きさいされます。実はカルテに名前の載っている人物が警察機関にいらっしゃったとき、必ず『保安局』連絡が入る仕組みになっているんです」

「それで三島さんが?」

「はい。少し目を離したすきに娘さんが急に消えた、というのはかなり大事件です。万が一もあるので、ちょうど手が空いていた私が向かったのです。そして偶然ぐうぜん、電話がかかって来た」

「でも俺、詩乃ちゃんがいるって言ってませんよね?」

「ええ。言われていませんし、聞いてもいません」

「じゃあ、どうして女性を連れてきたんですか? 詩乃ちゃんがいるってわかってたってことですよね?」


 三島は動く口をぴたりと止めて、笑顔を絶やすことなく目を細める。


「聞くんですかぁ?」

「聞きますよ。普通に考えて咲代さんは交番に待機させるでしょう。娘さんもいなくなって精神まいってるのに、こんなおかしな事件現場に連れて行こうとは思いません」


 サイコパスじゃない限り。郁人はそれだけを口に出さずに答えを待った。

 しかし三島は場違ばちがいにも人差し指を突き立ててくるくると円を描いて見せる。


「そ、れ、は。私も、安達さんと一緒だからです」

「……一緒?」


 三島さんは小首を傾げて何か言いたげに片眉を上げた。


「安達さん、私のカルテとか見てないんですか?」

「見てません」

「もしかして響子さんのも、佐倉さんのとかも?」

「勝手に見られていい気しないでしょう。必要があれば見ますけど」

「あら。良い人すぎますね、安達さん」


 ねえ、と三島に急に振られた征彰が返答に困る。征彰からすればカルテがどうとか何を言っているのかわからない。先ほどまで住宅の石垣いしがきであみだくじをしていたので、半分以上も話を聞いていなかった。


「簡単に言えば、私は未来を予測できるんです。ラプラスの悪魔みたく未来を計算して……曖昧あいまいですが、帰着点きちゃくてんを割り出せる」


 話を戻して。三島がジェスチャーをしながら、消毒済みの跡を再び見下ろした。考えたくない何かの液体が地面に染み込んでいるらしく、形が浮き上がりつつある。


「ここ数日の事件に類似したものが数年前にも起きています。その容疑者としてあげられていたのは、小森響子さんです」


 三島が取り出した携帯けいたいの画面に映し出されたのは見慣れた顔だった。しかし、今とは違って髪はまっすぐ下ろされている。大人しそうな見た目にセーラー服を着ており、このセーラー服は小森詩乃が着用していたものと同じデザインに見えた。


「小森さんが、容疑者?」

「容疑者……というのは言い過ぎかもしれませんが、関連している可能性が高いです。それからもう一つ、奇妙なことが」


 携帯をしまいながら三島は話を続ける。


「小森咲代さんは響子さんのことを数年前に亡くなっている、と思われているようです。それだけでなく、葬式を上げたということなので、おそらくはお父さまもその親族の方々もそう認識しているでしょうね。どうやら姿も見えていないようですし」


 小森響子はこの世にいないはずの人間だったのか──非現実的に考えるなら響子は幽霊ゆうれいと類似した存在なのか。それは書類上のみの話なのか、疑問はいて出る。


「そして、カルテには両親や兄弟姉妹の氏名を書くと言いました。小森さんのカルテには、妹さんの名前がありません。響子さんのことを家族がどう認識しているかは、響子さんが『保安局』にやって来た当時に関わる話ですが……。響子さんが『保安局』にやって来たのは三年前、そして詩乃ちゃんの今の年齢は数え年八歳です。小学二年生ですね。当時の年齢だと五歳。響子さんが詩乃ちゃんの存在を知らないとは思えません」


 つじつまが合わない。

 忘れていたのか、忘れたかったのか、あえて言わなかったのか、定かではないがなにか裏があってもおかしくはない。

 おかしな部分が浮き彫りになっていく。

 空間に沈黙が訪れた。

 響子が『保安局』の上階で一人暮ひとりくらしている理由、それは響子が両親には亡くなっていると認知されているから。

 郁人は初めて知った。家族の話をしないのも、できなかったからだったのだ。関われない。


「私は安達さんがここで詩乃ちゃんと出会ったのも、事件引き寄せパワーの影響だと思っています。どうも過去の類似事件にしろ、小森響子さんにしろ、解決していない問題が多すぎます」

「……それは俺が解決しろ、ってことですか?」

「いえ、強制はしません。あくまでも安達さんのバイト内容は事件をまとめてカルテにすることです。でも一つ言えるのは、『保安局』は起こり得る事件の対策しかしないということです」

「対策だけ、というと、解決はしないってことですか?」

「もちろん、対策が解決に直結することはありますが、私たちの目的は解決ではありません。例えば、原因がいじめとして、その人物から見て室内にある手のひらサイズ以下の物ならすべて破壊されてしまう、というような事件があるとしましょう。極端な場合だとその子を何もない部屋に監禁してしまいます。これで、対策完了です」


 郁人の眉根が寄る。

 確かにこれで物が壊れるという問題は対策された。でも、に落ちない。


「そのリアクション、正解です」

「は?」

「実は私、本来はこの部署ぶしょに配属される予定ではありませんでした」


 三島が所属するのは対事件管理課だったはずだ。


「じゃあ、どこに」

「今はまだ名もなき部署です。これから作られる予定なんですよ。上の人曰く、まずは私に実績を作ってほしいそうです。それから新しい部署を創設する。私が本来所属するべきは、まだ構想こうそうしか出来上がっていない事件解決課、です」


 人差し指を立てて、三島は自信ありげに言い放った。


「安達さん自身のもやもやを解決するには、まず、私が功績を上げないといけません。そして貴方はバイト中、私が責任者になります。つまり貴方の事件解決の功績こうせきは事件解決課(仮)かっこかり発足ほっそくつながる」


 郁人は三島の熱量からおもわず目を逸らしてしまった。

 あまりにも他人ごとには思えなくなってきたからだ。それにこの人は、自身の勝手な行動で郁人の事件をしている。直接的ではないとはいえ、それは確実だ。

 恩は恩で返したいところ。


「……わかりました」


 郁人は目をせて頷いた。


「出来るかどうかはさておき、頑張ってみます」

「そうしてください。そして、就職のあかつきには私と一緒の部署で仲良くやれることを期待しています」

「……ん? なんで、勝手に就職先決められてるんですか?」


 三島の一言に郁人は顔を上げてなかば我に返る。急に現実に引き戻された感覚がしてならないが、それは一体どういうことだ。


「え、大場さんから聞いてないんですか? 学校卒業したら『保安局』と関係を断ち切れるなんてこと、あるわけないじゃないですか。別の企業に就職されてもいいですが、『保安局』には通って貢献してもらいますよ」


 あたかも普通のことのように言うので、郁人は動きを止めたたまま考え込んでしまった。困ったことは今のところ一切ないはずだが、半分未来は決定してしまっているらしいという事実は少し複雑だった。

 そのうちに三島は手を振って駅の方向へと歩き去っていく。


 征彰が声をかけるまで、郁人はぼうっとしたまま立ちすくんでいた。

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