44 ファルシー(3)

五月十一日 土曜日


「では第二回だいにかい生徒会せいとかい会議かいぎを終わります」


 体育祭をひかえた──サブタイトルをつけるなら『第一回だいいっかい体育祭たいいくさい実行じっこう委員いいん会議かいぎ』──を終え、次々と一年生が教室を去っていく。二年生の生徒会役員である響子もまた、紙束を抱えてかばんかつぎ、扉に手を掛けた。


「三年の教室にこれ、配ったらそのまま帰るわね。お疲れさま」

「うん、よろしく。お疲れ様」


 使い古されているせいか消えにくいホワイトボードの字をごしごしと消しながら、昨年の体育祭を思い出す。

 一番の盛り上がりを見せたのは、その年数年ぶりの復活を果たした騎馬戦きばせんだった。昨年生徒会長を務めあげた福島拓実ふくしまたくみは生徒念願の騎馬戦復活のために、顧問こもんの大場の元へ通いつめ、というか半ば付きまとい、朝から晩まで頭を下げていた。

 おそらく去年騎馬戦が復活したのは彼の偉業いぎょうであって、今年もまたあたかも通常種目のように組み込むのは無理な話だろう。

 場合によれば、郁人もまた大場に頭を下げる羽目はめになる。だからといって生徒の声を無視するような体育祭を開催すれば、心が痛む気もする。

 ぎゅ、と最後に残った文字を強く消す。

 扉をノックする音に入室を促した。もはやなぜノック音一つでそれが誰であるかわかるのか、気恥ずかしさから理由はあまり考えたくない。


「会議終わりましたか?」

「うん、いまがた。そっちも用事は済んだ?」

「はい。夏の試合に向けて練習メニューを少し変更、ってだけでしたけど」


 征彰まさあきは会議をするほどの内容もなかったことに不満を覚えているのか、少しだけ不機嫌そうに言う。


「三年は最後の試合だし、気合入ってるんでしょ。四月の予選、好成績だったんだよね?」

「好成績ではありましたけど、気合の要因は別ですよ」


 迷惑そうに眉をひそめるので、郁人は首をかしげる。


「何かあるの?」

「新しく入った女子マネの影響です」

「一年生? いいじゃん、人手不足だったんでしょ?」


 以前からマネージャーを三年の一人で回していたこと知っている。三年はスポーツ推薦すいせん以外後期から部活参加を許されていないので、マネージャーは必然的に引退することになる。このまま夏を過ぎてしまうと男子バレー部にはマネージャーがいない、という状況になってしまうところだったのだ。

 依然いぜんとして渋い顔をしている理由が掴めなかった。


「その女子マネがみねさんなんですよ」

「……えっと、誰だっけ?」

「郁人くんに告白してたポニーテールの」


 みね紗矢さや。征彰と同じ一年C組で、郁人の靴箱にラブレターを入れていた女子生徒だ。


「ああ、思い出した。なに、征彰って彼女と仲わるいの?」

「一方的に嫌われてるっていうか関わりたくないというか、それは別にいいんですけど」

「部員のモチベーション上がるなら、これ以上ない適任じゃない?」

「嫌ですよ俺、先輩らが練習中にちらちら峯さんのこと見て、鼻の下伸ばしてるの。まじで最悪、見たくないです」


 確かにそれは想像したくもない状況だ。如何いかんせん見目みめも悪くないので、困ったことかもしれない。


「峯さんは何とも言ってないの?」

「一年ですし先輩らの前では言いませんよ。にこにこしながら『頑張ってください』って言うだけです。先輩らが何処どこかに行くなりその笑顔のまま『真面目にやれよ』って毒づいてるの見て、なおさら好きなタイプじゃないです」

「うわ、怖いね」


 なんだか彼女はしたたかからしい。裏表が激しいのか、征彰が明らかに苦手としているのは分かる。

 郁人は学生鞄がくせいかばんを肩に担ぐと、なにもついていないかぎを扉のじょうに差し込んだ。あのクマのマスコットは誰のものだったのかわからないが、しばらくは大場の使う教員室の机の引き出しにくくりつけておいた。征彰はマスコットが消えたことに気づいているようだが、何も言うつもりはないらしい。

 かちん、と音を立てて鍵を掛けるとしっかり施錠せじょうされているか扉を引いて確かめる。


「じゃ、帰ろっか」


 中間テストの最終日。今日は全生徒揃そろって下校が早い日だ。

 征彰が冷凍してあるという一匹丸々のたいを心待ちにしていた。




 葉桜をくぐり抜けて、校門から鍵島かぎしま駅へと伸びる通学路を歩く。その途中から脇道わきみちれて少し歩くと征彰の自宅はすぐだ。徒歩十分もかからない。

 今日は冷凍された鯛でどうやらアクアパッツァに挑戦するらしい。作ったことは無いので、成功するかはわからないらしいが。新しく買ったらしい料理本に期待するしかない。

 それもこれも郁人がアクアパッツァを食べたことが無い、と告白したからだ。魚自体が苦手というわけではないが、洋食の魚料理は進んで食べたことが無い。食卓に並んだことも基本はなかったはずだ。あってもムニエルくらい。


「風稜の体育祭って春なんですね」

「そうだね。秋は他にもたくさんイベントがあるし」


 文化祭、球技大会、選択授業各々の芸術発表や、二年生は修学旅行もある。秋は学校行事が目白押めじろおしだ。

 体育祭を春に開催するのは一年間を上手く使っていると言える。梅雨つゆかぶろうが、近くのホールを借りて開催するので気候に左右される心配もない。


「去年、騎馬戦きばせんがあったって聞いたんですけど」

「先輩が言ってたの?」

「先輩もですけど、クラスメイトもみんな言ってます」

「前の生徒会長がすごい熱意で復活させちゃってさ。前からやりたいって声は大きかったけど、今年はさらすごそうだね」

「中原も言ってましたよ。『おれは騎馬戦のために剣道をやってきた』って」

「人生掛けられたら、それは……俺もお願い頑張るしかないか」


 そう駄弁だべっていると、道の真ん中に向かって征彰が指先を向けた。


「どうしたの?」

「あれ」


 二人は足音を潜めて道中央の物体に近づく。

 郁人は眉根を寄せて目を細めた。

 良くないものだ。


「うわ。これは事故じゃないね」

「そんな近づけないです、俺」

「誰も見てないといいけど……。何か色付きのビニールみたいなの、持ってる?」


 しゃがみ込んだ郁人が振り返ると、征彰は鞄の中に手を入れて探していた。ちょうど低価格が売りのディスカウントストアの黄色いビニール袋が顔を出す。


「シューズ入れてる袋なら」

「返ってこないけど、使ってもいい?」


 征彰はシューズだけ取り出すと袋を郁人に手渡した。郁人は躊躇ためらいなく袋を一枚にやぶいてそれに被せる。これでひとまず、不用意に人が目に触れてしまう環境ではなくなった。

 携帯を取り出してどこかに掛けようとする征彰を見て、郁人は制止の声を上げた。征彰は何事かと目を丸くして振り返る。


「ごめん、こっちの番号に掛けて」


 郁人が見せたメモには十一桁が書き込まれていた。郁人の筆跡ひっせきではない。三島のものだ。


「警察じゃなくていいんですか?」

「多分」


 征彰は再び、携帯を耳に当てた。

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