43 ファルシー(2)

「響子。ぼーっとして珍しいね」

「へ?」


 意識の外から声を掛けられて、響子は思わず変な声を上げてしまった。

 そうだ、今日は友人ら三人と出かけている。どこか上の空だった思考を連れ戻して、響子は深呼吸をする。


「大丈夫? 体調悪いの? 風邪ひいたとか」

「五月病じゃん!」

「それ、そういうのじゃないから」


 三人がテンポよく会話進める中、響子の脳内は半分ほど別の方へと向いていた。


「ちょっとどこか喫茶店きっさてんにでも入ろっか。もしかして靴擦くつずれしてる?」


 一年来いちねんらい友人をやっている一人が気遣きづかってくれるが、響子は両手を振って首も横に振る。

 輪をくずすのはいいことではない。靴擦れもないので取りつくろっておくことにした。


「全然! ほんとに大丈夫なの。昨日なかなか寝れなくて」

「五月病じゃん!」

「だからちょっと違うってば」

「じゃあ……もしかして恋の病、とか?」


 五月病を勘違いし続けている背の高い彼女が、いやらしい笑顔を浮かべてそんなことを言い出す。響子の表情が刹那せつな、ひきつった。

 けれど三人はその様子に気づくことなく、話題に談笑だんしょうを始める。


「そうそう。恋と言えば先月、安達くんに告白した一年生度胸あったよね! ポニーテールのさ」

「泣いちゃって可哀想だったよね。誰も止めなかったのかなぁ。安達くんに告白した人、全戦全敗なのに」


 一勝を果たした人間がいることをみんなはまだ知らないようだ。響子はどこかでほっと胸をなでおろしていた。


「一年にはまだそんなこと教えてくれる上級生の知り合いなんかいないでしょ」

「度胸はともかく、今話題の鍋島くん選ぶより安達くんに目をつけたのはいいチョイスじゃん? 最近特に明るい気がするし!」

「単に年上が好きなだけかもね。いるじゃん、付き合うなら年上しかありえないって言う女」

「そもそも、どこで知ったんだろう?」

「やっぱり入学式しかないよね。祝辞しゅくじとか読んでるときにちょっと真面目でオトナに見える上級生見ちゃったらさ、『きゅん』ってなっちゃうんじゃない?」

「どこの少女漫画かよ、って。青春すぎる~!」


 けらけらと笑って話す三人に、響子は声の挟みどころを失ってただ聞いているだけになる。しかし三人は響子に振り向いて、響子はおもわず身構えた。会話の矛先ほこさきが突きつけられるようなこの緊張感はまだ慣れない。


「響子はさ、安達くんと生徒会で一緒じゃん。二年生の役員二人だけだし、仲いいんでしょ? なんか恋愛の話とか聞かないの?」


 ねえねえ、と詰め寄られるが響子は苦笑いをして軽く首を傾げた。


「あんまりそういう話はしないかしら。気まずくなっちゃうし、お互いに大した興味もないし」

「響子のポジションが一番狙ねらい目なのにー!?」

「いやいや、響子に限って負け戦にいどむわけないし。ていうか普通、男女二人で恋愛話なんてしないじゃん」

「もしかしたら安達くん、本命からの告白待ってるのかも……」


 親友から向けられた意味深な謎の視線に、響子は渋い顔のまま流しておくことにする。

 彼がどう思っているかはさておき、自分の口からあれこれと他人に関することを言ってしまうのは良くない。それなら少しくらい曖昧あいまいなぞに包まれたくらいがいいだろう。


「私、今恋愛とかあんまり興味ないのよね」

「でもわかる! 響子って大人な人と付き合いそうだし、そうなるとうちの学校じの男子たちじゃ、まだおバカだもんね」

「確かに、今日も相変わらずお洒落しゃれな響子の隣に並んで歩ける男子は、風稜ふうりょうにはいないわ」

「ていうかずっと気になってたんだけど、今日塗ってるリップって新作の?」

「やっぱりトレンドちゃんと抑えてるんだわ!」


 お洒落だとかなんだとかやけにかつがれるが、響子は興味があってそうなわけではない。三人がいつも持ち上げてくれるおかげで、遊びに行く一週間前からリサーチをしては事前に出かけてそろえている。


 響子はどうも話を変えたくて、ショーウィンドウのなかでポーズを決めているマネキンを指さした。黒のキャップにタイトな服装で、セクシーだがスポーティにも見えるようにまとめている。


「あれ可愛い。どこのお店のかしら」

「うーん、どこだろう。この辺だよね」

「あれ、身長ないと着れないやつじゃん。終わったわ」


 するどい突っ込みをり出す一人はマネキンのスタイルを見て肩を落とす。

 偶然、ああいう服が似合う人種でよかったと響子はつくづく思う。服も、よく見れば雑誌の丸写しみたいなもの。今着ているものも、店員に似合うと言われたから上下合わせて購入したのだ。


 響子ははじめて自分で服を選んだ日を思い返す。

 三年前、『保安局』にやって来た時の話だ。当時の響子の年齢相応な雑誌をたくさん抱えて持って来た白波を思い出した。


──お洋服ようふくそろえておきましょうか。どんなのが好き?


 ふと、脳内に白波の声がリプレイされたと同時に、今朝の出来事がよみがえる。

 朝食を白波と共に摂っていた時。食パンにマーマレードジャムを塗ってちょうどかぶりついたくらいのタイミングだ。白波の携帯が着信で震えた。どうやら何かアプリの宣伝通知だったらしい。

 電車の中でちらりと見えたそのアイコンを調べた。検索して出てきたのは婚活アプリ。

 白波も今年で二十六になる。出会いの少なすぎる『保安局』に働く人であれば結婚と言わずとも、出会いを求めるのはおかしな話ではない。


 響子の手から力が抜けて、携帯が滑り落ちる。


「響子? 携帯落ちたよ」

「あ、画面割れてる。怪我すると痛いやつじゃん」

「でもフィルムだけで済んでよかったねー、響子。今からでも替えのフィルム買いに行く?」


 手渡された携帯を受け取ろうとして、響子の手は空ぶった。


「響子?」


 どことない危機感を覚えて、響子の胸はざわついていた。胸やけに似たもやもやを抱えたまま響子は口角を引き上げる。


「ごめんなさい。……やっぱりフィルム買ってもいい?」


 三人は少しだけ不思議な顔をしたが、すぐにうなずいてくれた。

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