42 ファルシー(1)

保安局ほあんきょく』の最寄もより駅である千願寺せんがんじ駅、北口ではなく南口の階段を降りてすぐにあるマンション。その六階にあった空き物件を、叔父おじは即決した。2LDKという広さは二人が住むのに十分で、何不自由なにふじゆうなく暮らさせてもらえるのには感謝しかなかった。安達郁人あだちいくとはそんな新居にかぎをかけて、エレベーターを待つことなく階段をけ下りていく。

 腕の中にあるのは空間を余しているトートバッグだけだ。

 踏切を渡って十分も歩かないうちに『保安局』の殺風景さっぷうけいなビルは顔を見せる。

 言われた通りいつも大場が仕事をするデスクのある三階に向かえば、大場おおば才輔さいすけ回転かいてん椅子いすを回して手を挙げた。


「おはよう」

「おはようございます」

「ゴールデンウィークは楽しんでるか」

「それなりです」


 曖昧あいまいに返事をすると、大場が察したようにまゆを上げた。


「あいつは部活がお忙しくて満足に遊びに行けないか」

「……引っ越しがあったので」


 念を押すように強調すると、大場は口元をゆがめながら笑った。子供をからかって笑う大人は文字通り大人げない。

 大場はデスクに腕をついて立ち上がると、壁際に追いやられたデスクの前まで郁人を連れた。はな小島こじまのように置かれたデスクは後から買い足したものなのか、日焼けも薄く傷も少ない。


大雑把おおざっぱに説明をしておこう。まず安達には必要次第、カルテを書いてもらう」


 パソコンは使えるか、と大場にたずねられて郁人はうなずいた。


「中学の時パソコン部だったので、人並みには」

「そうか、よかった。電源の付け方から分からないと言われたら頭を抱えるところだった」


「あ、綺麗なデスク貰ってますねぇ」


 会話に横入りした声の主は、郁人と大場の間を割ってデスクに書類を積み上げた。郁人は一番上に積まれているファイルの名前を一瞥いちべつする。


『正しいパソコンの使い方』


「ああ、三島。パソコン初心者用マニュアルは必要なさそうだから、元に戻しておいてくれ」

「ええ? 重かったのにい」


 三島はしぶしぶ上の三冊ほどを取り上げると、来た道を引き返して行った。


「じゃあ早速、安達にはここにあるファイルを読んでもらおう。『保安局』のデータベースにある情報の読み方から案内書、カルテの書き方、事件に遭遇そうぐうした時の対処方法と、まあ、基礎きそ的で簡単なものからだな」


 郁人はすらすらと話を進める大場に戸惑とまどいながら、ひかえめに手を挙げる。


「あの」

「なんだ、安達」

「なんで俺なんですか」

「そりゃあ、去年までゆうがやってた仕事だからだ」


 今になって佐倉さくらゆうが生徒会をさぼりがちだった理由を知る。しかし今年、優は受験生だ。少なくともその配慮はいりょはあるだろう。郁人は生返事だけが口かられていた。


「でもそれなら小森さんの方が要領ようりょうは得てるんじゃあ」

「もちろん、小森にも手伝ってもらう。今日はたまたまお出かけ日和で『保安局』にいないだけだ。ただ、安達を指名しているのには他にも理由がある」


「それはですねぇ」


 もうファイルを戻してきたのか、三島は赤い眼鏡のフレームを押し上げてもったいぶるように言った。


「安達さんは自ら望んだ未来を選択できるから、です」

「……」

「『超機密事項』をお読みになったならおわかりでしょうが、安達さんはある程度の使命感によって未来を左右できるのです。ですから安達さんを『保安局』のバイト、としての使命感を持たせれば、意図的に事件に遭遇できるのではないかと」


 どうです、名案でしょう。

 と、言いたげに鼻を高くする三島を余所に、郁人は大場に目を向ける。


「これ、大丈夫なんですか?」

「ああ。上の許可も下りている。何せ今の安達なら使命感を盾に、危ない橋を自ら飛び跳ねながら渡るなんてこと、しないだろうからな」


 郁人は大場の回りくどい言い方にぐっと言葉を詰まらせる。少し前の郁人であればまさに今言われたようなことをして、しかられていたことだろう。


「わからないことがありましたら五階にどうぞ。一番手前のデスクが私の所有物なので」

「どちらかといえば一番汚いデスク、の方が通じると思うがな」

「も~、ご冗談を」

「全くご冗談じゃないぞ」


 大場は苦言をていするように言う。事実混沌こんとんとしているのだろう。このフロアで唯一書類の上にキーボードを置いている大場が言うくらいだ。

 ファイルの項目をよく見ると、バイトに関する責任者の名前が三島みしま奈子なこになっていた。


「責任者、大場先生じゃないんですか」

「はい。大場さんや白波さんは人を対象に監視を行っていますが、私がこの度配属されたのは事件を対象に調査を行う部署なんです。安達さんは本質的に私たちと同じようなことをすることになるんですよ。どうして安達さんのデスクがここにあるのかと言えば、この部署が一番広々としているから、それと、監督者の大場さんがいるからってだけです」


 たい事件じけん管理かんり課、というらしい。事件の調査ちょうさ対策たいさく処理しょりをまとめている部署だ。


「あ、でもパソコンエラーなんかはシステム部に持って行ってくださいね」


 郁人が頷くと、三島も満足そうに頷く。


「では私は自分の業務に戻りますね」


 三島がフロアを去っていくのを見届けると、大場もまた郁人の肩を叩いた。


「じゃあ、頼んだぞ」


 郁人はデスクの上のファイル一つを手に取ってみる。大きいのは見た目だけで、紙の枚数は少ないのか案外軽い。


 とりあえず回転椅子に腰を下ろしてみることにした。

 座り心地は案外よかった。

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