12 回顧(1)

──一年前。


『保安局』に呼び出されて三度目のある日。たしか夏なかば、夏休みが始まったばかりの頃だったように思う。


 待合室のソファに座る郁人いくとの隣に、佐倉さくらゆう躊躇ためらいなく腰を下ろした。そして、遠慮えんりょなく郁人の顔をまじまじとながめはじめた。新しくやって来た奴の観察、探察たんさつに近いだろうか。ちょっとした敵意を感じながら突き刺さる視線に耐える。

 黙っていた郁人でも耐え切れなくなってきた頃、郁人が口を開く前にふいに優は「あ」とだけ言った。聞くのは義務とばかりに郁人は言葉の意味をたずねた。


「……どうしたんですか?」

「やっべ、学校に忘れもんした」


 風稜ふうりょうの学校指定リュックをがさがさとあさっては、ため息を吐く。そこでやっと郁人は首から上を動かした。小柄なのを隠すようなオーバーサイズのカーディガンと、毛先が肩に触れている淡い金髪。耳にじゃらじゃらと光るピアスには、少し驚いて目をうばわれていた。そのネクタイの色は赤。つまり郁人の一つ上、二年生だ。

 風稜の校則がいくら緩いとはいえ、ここまで自由にしているのは初めて見た。初めて? いや、記憶のどこかにいる。いつか会った覚えがある。


「まあ、いっか。久しぶり、安達郁人あだちいくとくん。俺は佐倉優」


 に、と唇を横に引き伸ばして、チェシャ猫のように笑う。


「えっと」

「生徒会の書記やってる」


 郁人はふと直近の生徒会会議を思い出す。あの誰にも読めない奇怪な文字をホワイトボードに書いていた人だ。書記ではなくて会計か副会長になるべきだったのではないかと郁人は思う。いや、きっとその場にいた一年生はみんなそう思っただろう。


「安達郁人十五歳、十一月三十日生まれ。生まれも育ちも平萩ひらはぎで、小中は平萩にある市立出身」

「……」


 優が急に語りだした郁人自身の履歴りれきに絶句した。


「父親は医師で母親は専業主婦、だっけ?」

「……」

「今は」


 まるで知っているかのように言う。


「『今は』」

 郁人が優の言葉を繰り返せば、優は少しだけ笑みを消して口元だけをゆがめて笑った。


「データベースで見た情報なんだけどな。間違ってないだろ」

「データベースってなんですか?」

くわしくはカルテ。『保安局』のデータベースには俺のこととか、お前のこととか、他にもたくさんいろんな人の情報がってる。それを見る権限が俺にはある」

「何があったんですか?」


 優は郁人の答えが分かり切ったような質問に軽く鼻で笑った。


「分かってることをわざわざ聞くのかよ、お前は」

「いえ」

「お前がこの世界の人間じゃないってこと」


 郁人は驚いたように目を丸くすることもない。再確認をした、とだけのように感情もなく「へえ」とだけ言う。それ以外のリアクションも何が正しいのかわからなかった。


「今は、って言ったのも前の世界と今の世界で常識の齟齬そごがあるから」

「……」

「あとは、人の名前を覚えるのが困難だということ」


 さっさと覚えないといつの間にか律儀りちぎに自己紹介してやるの忘れてるかもな、なんて優は冗談めかして言った。郁人のこれについて大抵の人は面倒くさそうに嫌な雰囲気をかもし出すのに、優はさも余裕ありげに笑っている。そんなもの大した障害じゃないと言ってくれているようで幾分いくぶんが気が楽だ。


 しかし、すぐ顔色を変えて優は聞き返した。


「なあ、それ何?」

「それってなんですか?」

「それだよ。首の辺りの」


 優がそっと手を伸ばす。触れられたそこにはくっきりとあざが見えていた。郁人は思い出したようにそこを手で伏せる。


「ちょっとぶつけて」

「……まあ、どうでもいいけどさ」


 どうでもよくなさそうに優はつぶやいていた。


 それが優との初めての出会い、というか、初めてきちんと会話した時の思い出だ。正直言って優には郁人が感じの悪い後輩でしかなかっただろうし、郁人も優のそのインパクトのある容貌に抵抗感を覚えていた。


 けれどそこからそれなりの距離感になるまで時間はかからなかった。前生徒会長であり、優の恋人でもある福島ふくしま拓実たくみのおかげだ。ただの陽気な一般人。優いわく、あるしゅの変人。


「で、生徒会は今年、バリアフリーの体験会と各ステージイベントの指揮をることになりました」


 ホワイトボードに文字を書くのは会計担当に代わり、優はパイプ椅子の上で胡坐あぐらをかいたままじっと見上げている。


 夏が過ぎ、秋が来るのは早かった。風稜高校に入学して初めての文化祭。

 郁人は文化祭のステージイベントの一覧を上から読み込んでいく。


「この中で一覧のイベントのどれかでも参加するって人いる?」


 拓実は生徒会役員を見回して言うが、誰も手を挙げなかった。ステージイベントには『ミスター&ミスコン』やら、クラスのもよおしやら、部活動の催しが並んでいるが、『ミスター&ミスコン』に関してはクラスから一人選出されるシステムであり、クラスの催しでステージを選択するケースは稀だ。生徒会役員でなおかつ部活動に精を出しているのは少数と言ってもいい。


「んじゃ、オレがくじ引きとか、てきとうに当番決めるでいっか」


 拓実の意見に誰も否定派はいなかった。

「ステージの方は向こうが各々決まってから進めるとして、オレらで主催するバリアフリーの体験会についてだけど、地域の機関と提携して──」


 それからは順調に話が進んでいった。

 拓実は生徒会に精を出す代わりに、定期テストの追試を受ける羽目になったらしいが先日それは見事合格したらしく、ほくほくとした笑みで頬が緩んでいるのを幾度か見かけた。


 そして準備も万端、郁人はステージイベントの裏方の一人として、明日の前夜祭から必要になる機材を運んでいた。


「楽しそうじゃん」


 優は絡まったコードのいくつかを解きながら郁人に話しかけた。郁人もまた表情が緩んでいたらしい。

 郁人はちょっとした照れ隠しに話題を逸らした。


「……前夜祭と本祭、合わせて三日やるって結構な規模だよね」

「そうだな。三日目の本祭の夜には後夜祭やって……あ、そのあと打ち上げ行こうぜ」

「打ち上げ?」

「そ。文化祭の準備頑張りましたご褒美ほうび


 右手でピースを作る優は反対の手でコードを巻き直していた。カラオケか、ファミレスか、と考えを巡らせて楽しそうだ。


「パーティースペース借りるのもありだけど時間遅いし……あ、拓実」


 優は浮足立った様子で、別の機材を運ぶ拓実にけ寄っていく。打ち上げの予定を話しているのだろうか。

 コードの先を指示書通りに機材やスピーカーにつないでいく。しかしコードが足りず、もう一本、と立ち上がったところに響子が立っていた。


「小森さん。ごめん、コードもう一本ない?」

「コードならステージの階段にいっぱいあった気がするけど……。安達くんって文化祭知り合い誰か来たりする?」

「え? あ……いや、来ないと思う。誰にも言ってないし」

「そうなのね。家族が来る子ってたまに兄弟連れてきたりするから、それ用に何か用意しておこうと思ったのよ。それだけ」


 用事は済んだと響子はすたすた去っていく。


 誰にも、何も言っていない。本当のことだ。家族の誰一人として文化祭の存在を知らない。

 金、土、日と三日連続の文化祭。その三日さえ乗り切ればいい。ステージイベントの呼び出し班なども担っている郁人が欠けるのはいいことではないから。

 責任を盾にして、本当は純粋に学校行事を楽しみたいだけだろうが。郁人はき立つ感情に客観的な分析をほどこしては落ち着かせている。優にすらバレているのだ。気をつけなければ。不自然さに勘付かんづかれてはいけない。


 土曜日までは順調だった。

 ステージイベント目玉となる『ミスター&ミスコン』も無事終えて、あとは文化祭最終日に行われるフリーステージイベントのみ。軽音部に所属しない生徒がバンドを披露したり、ダンスを見せたり、ある年には卒業生がいるプロのロックバンドを呼んだこともあったらしい。


 郁人は前二日と同じように登校した。

 両親には、勉強してくるから、なんて嘘をついて学校へ向かう。


「よっ。今日の打ち上げ、七時から駅前のカラオケにってことになったけど来れる?」


 拓実の陽気な誘いに首を横に振るのは心苦しかった。


「……ごめん、七時は。後夜祭も途中で抜けないといけないかもしれないし」


 何もない日の門限は六時。高校生にしては早い時間にも思えるが、中学の時と比べたら一時間は大きな差だ。これでもかなり自由になった。


「そういやそんなこと言ってたな。おっけ、また行けるようなったら行ってくれればいいからさ」


 部活と違って生徒会に年功序列ねんこうじょれつなんてねーから、と言った拓実とはわりに仲もよくなった。家庭事情に気をつかってくれるし、人格者だ。

 そんな和やかな空気を壊したのは他でもない、郁人だった。


 急な異質な校内放送にその場の生徒たちはみんな空を見上げるようにした。郁人も例外ではなかった。昼頃だった。郁人を呼び出すアナウンスだった。


「郁人、教員室」


 午後のステージイベントの招集しょうしゅうを掛け終えた優が郁人を振り返る。優の眉間にはしわが寄っていて、アナウンスの声からして良くない知らせだと察したらしい。郁人もまたイヤな予感しかしなかった。それは拓実も同じだったらしい。


「安達、家族には文化祭のこと黙ってるって言ってたよな?」

「……うん。とりあえず、行ってくる。帰ってこなくても俺抜きで進めておいてください」


 郁人がえない足取りで校舎に入って行くのを見た二人は、その場を響子や他の役員に任せて郁人の背中を追いかけた。

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