シフォンケーキ
授業の終わりを告げるチャイムと共に、
征彰は今日も進んだパラパラ漫画の作業から、シャーペンを置くとページを端を掴む。
一枚目をパラパラしようとしたとき、大場が征彰の名字を読んだ。同時に別のクラスメイトの名前も。
「
大場はこのクラスの担任教師だ。第一印象からこの教師は楽だ、と思って征彰は倫理係に手を上げた。どれか担う必要があるなら楽な方がいい。
実際たまにしか仕事を与えられることはなく、今の用にノートを集めて持っていくくらい。
征彰は重い腰を上げて斜め後ろ辺りに座る紗矢に目を向ける。彼女は面倒くさそうにため息を吐くとしぶしぶ席を立った。
女子マネージャーに就任してまだ一か月、二か月になるかと言った程度。三年マネージャーは夏で引退するため、紗矢はマネージャーのなり手を探してくることをミッションとしていた。
とはいえ、マネージャー側の話と選手部員の話は別だ。愚痴は共有できないので、話すこともない。
たまたま同じクラスで、たまたま同じ部活動にいるだけ。それに征彰は紗矢の裏表のある性格を得意としていなかった。
現に今、紗矢はぶすくれた表情でノートの三分の一を抱えている。もちろん三分の二を押し付けられたわけではなく、征彰が買って出たのだが。
「この間誕生日だったよね」
急に紗矢は口を開いた。
一瞬、誰に話しかけているのかわからずに紗矢を見下ろす。
「……誰に話してるんだ?」
「鍋島くん以外に誰がいるの?」
紗矢の隣を歩いているのは征彰一人だ。
「……誕生日だったな」
「手作りのケーキ、食べた?」
紗矢がそれを知っているのは当たり前のことだった。着席して黒板に目を向けようとすれば、斜め前にホールケーキの箱が嫌でも目に入る。それに、あの日はちょっとした騒ぎになっていた。
「食べてない」
「……食べてないんだ」
ふうん、と紗矢は言う。
弁明しようと征彰はあの日のことを思い出した。
「初めは家に帰ってから食べようと思ってたんだけど、職員室の冷蔵庫を貸してほしいって大場先生に言ったら『知らない奴の手作りはやめとけ』って言われたんだ。生クリームが心配だって」
「シフォンケーキだけだったら食べてたの?」
征彰は答えに詰まる。
どうだろうか。もともと人の手作りに抵抗があるわけではないが、そういった資格を持っていない素人のそして誰かもわからない人が作ったものを口にぱくぱく入れられるかと聞かれたら。
当初持って帰って食べようとは思っていたが、直前で諦めていたかもしれない。申し訳ない話ではあるが。
「わたしはあんまり食べない方がいいと思う。スポーツやってるんだし、身体は大事にしなきゃ」
「でもたかが食べ物くらいだろ。そんなに言うほどでも」
「たかが食べ物、されど食べ物だよ。取り返しがつかなくなったときに後悔しても遅いよ。一生バレーで生きていくって思ってるなら、その体は一生ものなんだし」
紗矢はやけに悲観的につぶやいた。
「確かに間違ってないとは思うけどな、……身の回りのだれかがそんな目に遭ったのか?」
「お兄ちゃんが野球やってた」
「……」
峯という名字の野球選手はあまり詳しくないが聞き覚えはある。若手のエースでドラフトによってに奪い合いになっていたのをニュースで見た覚えがあった。
「わたしのお兄ちゃんは悪くないけど、でもちょっと酷い怪我とか体が悪くなっちゃったらそれだけで選手生命の危機なんだよ」
そんな彼の名前は最近聞いていない。
まだ在籍しているのだろうが、最後に名前を聞いたのは試合中のデッドボールで救急搬送された報道だ。
「バレンタインデーにチョコ貰っても、手作りはやめといたほうがいいよ。酷い話って思うかもしれないけど」
紗矢は教員室の扉をノックすると、大場のデスクに目を止める。
相変わらず雑然としているそこに征彰は見慣れていたが、紗矢は盛大に顔をしかめた。大場は平然とコーヒーを飲んでいる。
「持ってきました」
「どうも、お疲れさん」
大場のデスクの隣に置かれた段ボールを指さされて、二人はそこにクラスメイトのノートを積み上げる。
紗矢は教員室の扉を閉めると深く息を吐いた。
「今の話、誰にでも言えることだけどね。それだけ」
そう最後に言い残すと、さっさと前を歩いてどこかへ行った。
思いがけず、彼女の抱えているものを知ってしまったようだ。
もしかしてたまに当たりの強く見える態度は、全てなんらかの理由があるのだろうか。征彰は考えようとするのをやめて、忘れることにした。
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