帰郷


 小学六年生の秋だったと思う。

 中原家で会議が開かれた。

 それは父親の転勤問題だ。

 兄はちょうど高校進学の年で、受験に向けて勉強を進めていただけにこれは大きな家族会議になった。

 結論として兄は大阪に残ることになった。母方の祖父母の家から通うことに決まったのだ。そしてそのまま大阪の大学に進学していった。


 この間四年、中原兄弟にとって長い時間だったが、ほとんど毎日と言っていいほどビデオ通話していたために寂しさはなかった。

 だから、面と向かって話すのが一年ぶりだということを、瑛史郎はいつも忘れてしまっていた。


「やっほー……」

「なんで急に他人行儀やねん」


 兄は平然としている。おかしいと思う。もう少し画面一枚の隔たりがないリアルな距離感に戸惑わないものか。

 瑛史郎はあははと笑うしかない。


「一緒に誰かと来てたねんな?」

「あ、うん。中学からの親友と、生徒会の先輩と」

「なんやその奇妙なトリオ」

「久々に聞いたわ、『トリオ』とか」


 正直言って中原家において、漫才の番組やらグランプリを決める大会を進んで見ることは少ない。

 大阪にいた時はテレビで吉本新喜劇を見たりだとか、実際に舞台に見に行ったりしていたのだが。とはいえ大阪で「トリオ」なんて言葉を多用する場面もない。無理にでもツッコもうとする大阪のサービス精神のようなものだ、と瑛史郎は思い出してた。


 そもそも、父は大阪の人間ではない。神奈川出身だ。

 生粋の大阪人は母親だけ。そしてそんな母親側の祖父母の元で暮らす兄はやはり、ちゃんと大阪色をしている。


「親友って、鍋島くんやろ? めっちゃバレーできる子やんな」

「『子』とかいう身長ちゃうで」

「今何センチあるん」

「なんぼやったかな、百八十五は絶対あんねんな。多分百八十七くらいちゃう?」

「でか」

「こないだ鍋島に言われたんやけどな。『お前、背縮んだ?』って、めっちゃガチな顔して、まだ縮むような年ちゃうねん」

「そら、そんだけ伸びとったら縮んで見えるわな」

「やからまだ縮まんって」


 話すうちにいつもの通話のようなテンポ感に戻っていく。

 どれだけ離れていてもやっぱりこの距離感はずっと続いていたい。瑛史郎はどこの大学に行くだとかまだあまり考えていないが──小学校の教員になるには大学に行かなければならないらしい──大阪でもいいと思っていた。


「もう一人の生徒会の先輩は? 初メンやな」

「バンドかアイドルみたいに言うなや。風稜の生徒会長やってる人やねんけどな」

「生徒会長さんか。瑛史郎の目指す先やな」

「いや、多分あれは無理や」

「なんで?」

「めっちゃ賢いねんあの人」

「うわ、瑛史郎終わったな」

「始まってもないで」


 兄も特別賢いわけではない。

 瑛史郎ほどバカでもないが、頑張って近くの私立の推薦をもぎ取ったくらい。それでも十分凄いと思うが、やっぱりピラミッドで見ると兄でも手を伸ばして指先がかすらないぐらいのところに郁人はいると思う。

 勝手な想像も含めて。


「でもな、ちゃんと生徒会長向きやって言ってもらえたで」

「この人生で一番の誉め言葉ちゃう?」

「まじでホンマにそうやで。他でそんなん言われたことない」


 瑛史郎はちゃんと郁人を尊敬している。

 変な話を始めたり、少し箱入りすぎる気もするし、つかみどころのない先輩だけれど客観的に世間を見通していて理知的で信じられる人だ。


「そいや、鍋島が言っとったわ。先輩ってほたるちゃんの従弟やねんて」

「ほたるちゃんて『ポップエナジー』のほたるちゃん?」

「うん。言われてみたら確かに似てんねん。姉弟でも全然おかしないくらい」

「二年にあゆちゃんがおるって言ってへんかった?」

「言った。生徒会の二年に女子の先輩もおるんやけど、あゆちゃんと同じクラスらしいわ」

「風稜どうなっとんねん」


 瑛史郎も同意見だ。

 そしてさらに驚くべきなのは、その情報があまり外部に漏れていないということ。校内で芸能人を拝もうと押しかける人もあまりいない上に、自慢する人も少ないらしい。

 おかげで風稜に通う『ポップエナジー』のメンバーであるあゆは、どこの高校に通っているのか世間にまだバレていない。


「『ポップエナジー』と言ったら、美緒はどうなったん」


 美緒、の名前に瑛史郎はぎくりとする。辻村美緒、小学校の頃住んでいたマンションでの隣の住民。


「美緒は……ライブで元気なん見てるし、まあ楽しくやってるんちゃう?」

「……」

「なんなんその目」


 兄に不信感いっぱいの目で見られて、思わずむっと口をへの字に曲げる。


「もしかしてまだ会ってないん?」

「ライブだけしかな。当たり前やん。アイドルとただのファンやで」


 その目から逃れることはできないらしい。兄ははあ、と大げさにため息をついた。


「美緒、待ってるんちゃう?」

「なんで美緒がおれのことなんか待つねん」

「なんもわかってなかったんか」

「なにが分かるって言うん」


 もはや目に憐れみが宿り始めている。瑛史郎はそのもったいぶった言い分が、何を察しろと言っているのかわからなかった。そして兄もまたそれに察せない弟に気づいたらしい。

 ふっと、兄はニヒルな笑みを作る。


「まあ、ええわ。怒られて後悔したらええねん。はは」

「『はは』って、なにわろてんねん。しかも棒読みやしな。え、マジでどういうことなん? 教えてや!」


 兄がそそくさと繁華街をすり抜けていくのに、瑛史郎は久々の大阪で慌てて追いかけるしかなかった。

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街は無慈悲な数奇の女王 千田伊織 @seit0kutak0

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