浴衣(2)
『保安局』二階。そこは会議室から休憩室までが集まっている場所。そして、響子の拠点の一つだった。
じゃじゃーん、と口で効果音をつけながら、休憩室の一角に座っている優に手の中のものを見せびらかす。
優は顔をこちらに向けると柄にじっと目を向けて頷いた。
「へえ、可愛いじゃん。似合うんじゃね?」
「でしょ? ちょっと軽く着付けるから待ってね」
響子は浴衣を袋から取り出すと、薄手のワンピースの上から開いた浴衣に腕を通す。昨日拓実にも似合うと言われ由良も強く推していたために即決した、黒に白百合の浴衣。メリハリの利いた青緑で格子柄の帯がちょうど目を引くのだ。
「どう、どう? 可愛いでしょ」
「うん。髪は?」
「みつあみをして、それをまとめようかなって。飾りは……持ってる白いリボンのがちょうどいいと思うの。今風にね」
その場でくるりと回ってみせると、優はぱちぱちと手を叩く。好評だ。
響子はさりげないつもりで尋ねてみた。
「優ちゃんは、夏祭り行くの?」
「俺? いや、行くつもりないけど。受験生だし……拓実からも誘われてないし」
ぼそっと呟いた声を響子は聞き逃さなかった。
「誘ってみないの?」
響子は逃すまいと追い打ちをかける。出来れば双方に幸せになってほしい。拓実の努力を響子は応援していた。もちろん、優の決意も。
「まさか。勉強嫌いの拓実がせっかく勉学に集中してくれてるんだったら、遊びに連れ出すなんてできないだろ」
「福島くんも誘うの迷ってたりして」
小声で耳打ちすると、優は口をもごもごさせて閉じた。いかにも葛藤しているという感じ。
けれど浴衣と、拓実がプレゼントする予定の髪飾りについては言及してはいけない。
響子はすっと身を引いて、緩く縛っていた帯を引いた。
「ま、三年生って色々あるものね」
「……色々な、あるからな。うん」
優は言い聞かせるように言っているが明らかに目が泳いでいる。
響子が浴衣を脱ぎ終え、そのまま折りたたみ始めても、優の視線は浴衣にくぎ付けになっていた。
響子は気づかないふりをしてまとめたものを持ち上げる。
「見てくれてありがと。それじゃあ私、部屋に戻るから」
「あ、うん」
「じゃあね、お疲れさま」
響子の言葉に優は我に返ったようにテーブルの上のテキストに目を戻す。
さて、拓実は優の浴衣姿を見ることができるのだろうか。
拓実はリビングでうわ空のままテレビを眺めていた。もちろん目の前にはテキストが広がっているが、それは見かけだけで一文字も書かれていないどころか、拓実はペンすら持っていなかった。
「拓実、今日学校は?」
「採点休み」
「うわ、ズル」
「ズルいって、
「テレビ見てる人に言われたくないですー」
母親がキッチンにいるのをいいことに妹は意地悪を言ってくる。
そしてもう一度キッチンに目を向けた後、そそくさと拓実に近づいた。まだ浴衣の相談だろうか。明日、母親と出かけるのだから兄だけでなく母親にも頼ってみろと言いたくなったが、どうやら違うらしい。
「夏祭り、ホントに行くの?」
佳澄の質問に拓実もまた声を潜めて尋ね返す。
「……嫌がると思うか?」
「優さん、お勉強頑張ってるんだよね?」
「推薦狙ってるからなぁ。隣のクラスの奴と枠取り合ってるらしいし」
「……」
「やっぱりやめておいた方がいいか。俺よりよっぱど真剣そうだしな」
拓実は頬杖をついて顔をしかめた。
夏休み前の一日くらい、と思うがそれが命取りかもしれない。拓実だって悠長には構えていられないのだ。タイムリミットを思い出して拓実は少し嫌な気持ちになった。
目の前に置かれた金色のシンプルなバレッタ。とんぼ玉のようなものがいくつかぶら下がっていて、よく見れば金魚が泳いでいる。
「でも、行くんだったら早めに誘った方がいいよ」
「そうだよなぁ」
生返事の兄に佳澄は心配になる。
受験生は大変だ。拓実はもとより勉強ができる方じゃない。
何も考えていなかったら優に叱られたと聞いた。
「就職するって決めてるなら止めないけど、何も考えずに卒業するのだけはやめろ」と言って怒られたと、さめざめ泣いて帰って来た時はさすがに驚いた。兄は優をもっと大事にしていい。
「佳澄と鉢合わせるのも気まずいしやめとくか」
「……私は
呟きは拓実に聞こえただろうか、佳澄は気恥ずかしさ相まって階段を駆け上がった。
まさか、ここで見かけるとは思っていなかった。
佳澄は母親の手を引いてエレベーターの影の方に移動する。
確かにあれは優だ。前、家に来たときと比べて髪の金髪具合は小さくなっていたが、服装は似ていた。あれは
性別について聞かれるのが
佳澄は無意識に腕を引っ張り続けていたので、さすがに母に不審がられた。慌てて手を離す。
「ちょっと向こうに知り合いが」
「挨拶したらいいのに」
「そんな簡単に言わないでよ」
言い合いをするうちに、優は普段佳澄が服を買うような店が集まる通りの方に入って行く。アクセサリーが売っているお店だ。しかもそこは先ほど母と二人で見回っていたところ。浴衣にい合いそうな装飾品を多く取り扱っていた。
思わず佳澄は飛び出して駆け寄り、優の肩を叩いた。
「あ、あの、髪飾りは買わないで下さい」
「佳澄ちゃん? どうしたんだよ急に」
優は佳澄から視線をずらすと母親と目が合う。ぺこぺことお辞儀をしあっているうちに、佳澄は息を整えながら途切れ途切れに事情を説明した。
拓実が優のために髪飾りを買っていたこと。そこを問い詰められれば、夏祭りに誘おうか悩んでいることも話してしまった。
佳澄は話し終えてからしまったと思う。
「す、すいません、話し過ぎました。兄には私が言ったこと言わないでください」
「それは良いけど……」
優は佳澄が言ったことに怒ってはいないようだった。考え込むように顎に手を添えてそっぽを向く。
「あのさ、拓実なんか言ってた? 浴衣がどうとか」
「い、言ってました」
優は手のひらで口元を抑えるとくぐもった声のまま「そうか」と応えた。もしかして秘密の話だったのか、兄がぺらぺらと他人に話していたのはあまり良くないことだったのだろうか。
「まあいいや。髪飾りは買わないでおく。佳澄ちゃん、言ってくれてありがとう」
「そんな、とんでもないです」
優が最後に母親へ軽い挨拶を交わすと、別の方向に歩き出した。これで優が「もう買ったけど?」と言って兄が撃沈することはなくなった。
佳澄が密かにガッツポーズを作ると、母親はしみじみと優の背中を見つめながら言った。
「なんだかんだ言って、佳澄は拓実に甘いわね」
甘いんじゃなくて、佳澄は言い返したかったが他に言葉が見つからなかった。
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