16 回顧(5)

四月十七日 水曜日


「なんや、中庭なんか見下ろして。バレー部も昼練ないん?」


 昼食後のカレーパンをかじりながら征彰は中庭を眺めていた。


「テスト前だってよ」

「どうせ勉強せえへんのにな」


 クラスメイトの中原瑛史郎はけらけら笑っている。

 瑛史郎が大阪から引っ越してきたのは中学一年生の時。目立つ関西弁で後ろの席だった征彰に声を掛けた。

 親がちょっとした有名人ということもあって浮いていた征彰は、何も知らずに話しかけてきた瑛史郎にぎょっとしつつもなんだかんだと仲良く、もう出会って四年目になる。

 それからは『ポップエナジー』というアイドルグループを追いかけ回している瑛史郎の連れとしてライブツアーに引き回されたり、知識を押し込まれたりしている。次の定期テストが『ポップエナジー』についての一問一答であれば征彰は間違いなく成績上位者だ。


「テストまじいらねぇ」

「赤点だけは回避したいもんなあ。おれも勉強しやな」

「それもうフリだろ」

「おっ、四年目にしてようやくツッコミわかってきたやん?」


 剣道部に入部した瑛史郎は一般入学のため、学力的なしがらみは大きい。もし赤点など取ってしまえば成績が上がるまで休部だ。中学から剣道にも精を出している瑛史郎にとっては休部はかなり手痛いだろう。


「でも拓実先輩が、過去問くれたんよ。大場先生は毎年同じテストをまんま出すんや、ってええこと聞いたしな。まだ見てへんけど」

「剣道部の三年の先輩?」

「そうそう。去年生徒会長やってたんやって」

「中原、生徒会長やりたいってずっと言ってるしな」

「おん。中学は成績ではねられたからなあ。こんなん言うのもあれやけど、拓実先輩あんま賢ないらしいし高校こそはいけるんちゃうかな」

「……安達先輩がどう思うかにかかってるだろうけどな」


 瑛史郎は安達の名前を聞いてはっとした。それなりの付き合いだから、瑛史郎もまた征彰について詳しいことも多い。ストーカーまがいのことをしてしまうことについて、初めて相談された日は今でも忘れないだろう。


「そうやん。今の生徒会長の安達先輩って、鍋島がずっと探してた人やったん?」


 話せたんやろ? と瑛史郎は尋ねるが征彰の反応は歯切れ悪い。まるで答えたくないようにカレーパンの残りを口の中に押し込んでしまう。


「なんや、ちゃうかったんか」

「いや。たぶんそう」

「やったら、なんでそんな暗いねん」

「……覚えてないんだよ。本格的に忘れてる、とか」


 まさかの返答に瑛史郎は言葉を詰まらせる。


「ま、まあ、そんなこともあるって。ほら言うてもそんな交流なかったんやろ? 中一か中二の時にはすでに忘れてるっぽかったやん」

「でもさ」


 征彰はそこで言葉を切った。

 目の当たりに真実を突き付けられると、やはり心に来る。

 瑛史郎は言葉になっていない感情を汲み取って、何と反応をすべきか悩んでいた。顔は何度か会わせているはずで、知人程度ということが一方的な思い込みと言われてしまえばそうかもしれないので、瑛史郎は何とも言ってやれない。


「ほんで、黄昏てるってわけや」

「違う」

「いや、ちゃうんかーい。やったらなんで中庭なんか見下ろして……」


 征彰の視線を辿る瑛史郎は接近する男女の影を見つける。

 一人は分かりやすいポニーテールだ。あれはクラスメイトの、と瑛史郎は目を凝らす。


「あれって峯さんやんな?」

「多分な」

「近づいて行ってるん、安達先輩とちゃうん。わースタイルええな」

「……多分な」


 征彰は食べ終えたカレーパンの包み紙をくしゃりと握りつぶす。

 何が起きるかわかっているのに傍観しているだけなんて。自身にも腹立たしさがこみ上げてくる。

 征彰のように校舎から見下ろす人だかりが増える。昼休みの騒がしい時間にみんな黙りこくって、わざわざ窓まで開けて耳を傾けた。みんな面白いものが好きだ。

 何を話しているのか、たった二階なのに何も聞こえてこない。

 顔を赤くしたポニーテールの紗矢がスカートの裾を掴んで何かを言っている。それに対して郁人は冷静に答えているようだった。郁人の静かな表情は変わらない。征彰と話している時もそうだ。口数が少ないわけではないが、表情筋が固まっている。

 沢山の人が二人に注目していた。

 きっと紗矢は人が多い時間帯注目されやすい場所をあえて選んだのだろう、と征彰は思う。人目が多いと面子を気にして、もしかしたら告白を受け入れてくれる確率が上がるんじゃないか、そんな浅はかな考え。

 そんなこと関係ないというのに。

 征彰は自身にも愚かさを突き付けられている気がして嫌気がさした。

 紗矢は郁人が口を閉じたとほぼ同時に、堰を切ったように涙をこぼし始めた。中庭の石畳に水玉模様を作って、それはただ勝手に期待して勝手に崩れただけなのに涙がもったいない。


「……あちゃー……気まずすぎやろ。午後も授業あんのに、目え真っ赤の峯さんと同じ教室で勉強しやなあかんの?」


 何処かほっとした気がして征彰は窓に背を向けた。窓縁に体を預けて、窓が解放されて見える教室内の峯紗矢の机を眺める。


「なあ、鍋島はあれ見てもなんか思わんの」


 瑛史郎が言うのは不安感の方。

 むしろずっと。


「ずっとそれしか思ってねえよ」


 けど、どうだろう。

 征彰は昨朝の郁人に他人行儀を感じなかった。自分は特別なんじゃないかと勝手に期待してしまっている。

 征彰はワイシャツの袖を捲り上げた。

 空いた窓から吹き込む風は春らしく肌寒い。

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