14 回顧(3)

四月十六日 火曜日


 銀色の私鉄の各駅停車に乗って五分と少し。政令指定都市せいれいしていとしに定められている市とは逆方面に向かっている。そんな鍵島行の朝の車内は人が少ない。郁人と同じ制服の生徒と、あとは風稜の教職員らしいスーツ姿の大人がちらほらと座っている程度。


 鍵島を告げるアナウンスで多くが降車し、そこからは徒歩二十分。一緒に登下校する人がいればそれなりに会話は楽しめる距離感だ。学校へ向かう方とは逆方向の出口を出れば大型ショッピングモールや、ちょっとした健全な繁華街はんかがいがあり、住宅地としてもなかなか住みやすいだろう。


 学校までの一本道をとぼとぼと歩を進めていく。いつもより朝早いということもあって、その道は人気がなかった。


 ぬるい鳴き声に、郁人は道脇のへいを見上げる。

 猫。

 黒い猫が塀の上で毛繕けづくろいしているようだった。

 この光景は鍵島では珍しいことではない。

 ネコやイタチの類だったり野良の小動物が鍵島には多く住み付いている。住宅街として開発される前から小動物の街だったらしいこともあり、ここの住人らは人に慣れ切った野良に危害きがいも加えない。いわば共住の町。

 黒い猫はすくっと立ち上がると柔らかい体をぐっとしならせて口を開け大あくびをした。


「似てますね」


 いつの間にかそばに立っていた存在に郁人は首を向けた。相変わらず一年生のわりに体格がいい。ちょっと邪魔くらいのサイズ感だ。

 鍋島征彰なべしままさあきは塀の上を歩き去っていく黒猫を見送りながらそんなことを言った。


「おはようございます」

「おはよう。それで、似てるっていうのは?」

「今の黒猫が安達先輩に」


 征彰の視線の先を辿る。黒猫はすでに姿を消していて、塀の向こう側にでも隠れてしまったのだろうか。


「言うほど似てるかなぁ」

「毛が黒いところとか、目の色がちょっと薄いところとか」


 随分と観察されている。気恥ずかしくなって郁人は目を逸らした。


「あとは……」


 征彰は開きかけた口を閉じる。


「それくらいですかね」

「全然似てないじゃん」

「確かにそうですね」


 猫に立ち止めた足を動かす。何処かに行ってしまったわけだし。もうここで立ち止まっている必要もない。

 校門はすでに見えていた。風稜学園高校はちょうど道の突き当りに位置している。まだ校舎に誘うような桜並木が綺麗きれいだった。花弁はなびら絨毯じゅうたんが踏まれて茶色くなっているのは見るにえないが、葉桜になればそんな情緒じょうちょも失せてしまう。


「今日、朝練は?」

「今日の午前は顧問こもんが学校を空けてるらしいので。顧問が学校にいない間は部活出来ないんです」

「そっか。学校は慣れた?」

「それなりに。ずっと自宅から見えていた高校に通うっていうのは、なんだか歯痒はがゆいですけど」

「この辺りに住んでるの?」


 征彰の視線が自然と住宅街の方へ引き寄せられていく。あちらの方に住んでいるのだろう。


「はい。俺は」

「『俺は』っていうと……他の家族の人は違うってこと?」

「母は海外でチームのりょうに、父と姉は空港の近くに賃貸ちんたいです。今のところ鍵島の持ち家には俺しか住んでません」


 郁人は思わず閉口した。

 それはいつからだろう。高校生とはいえ放任ほうにんが過ぎると思うのは郁人自身が箱庭はこにわで暮らしてきたからか。けれど征彰はそれをどうとも思っていないらしく、平然と話していた。


「実はカレー、作るの上手いんですよ」

「料理するんだ」

「はい。ほぼ毎日カレーばっかり作ってた時があって、カレーだけは誰にも負けません」


 そっちは、と目を向けられて郁人はふとキッチンに立つ母を思い出した。キッチン道具に触れようとすると母は決まって嫌な顔をする。必然と言うか調理実習でを握らせてもらい、そのとき初めて同級生の力によって習得した。


「恥ずかしい話、フライパンを握ったこともないんだよね」

「……そうなんですか?」

「うん。やってないとやっぱり苦手意識が生まれてよくないよね。カレー作れるだけでもすごいと思う」

「カレーなんて大したことないですよ。切ってちょっといためて煮込むだけです。回数重ねれば誰でも作れるようになります」

「さすが経験者の言うことは違うね」

「すいません」

「……なんで謝るの?」


 唐突とうとつに飛び出した謝罪の言葉に郁人は足を止める。征彰もまた自然に出てしまった、といった感じだった。

 征彰は首を傾げながら言葉を探している。


「……出しゃばったので……?」

「出しゃばるって何? できることをできるって言って悪いことはないでしょ」

「そう思いますか」


 郁人の意見がそんなに珍しいものだっただろうか。いや、一般的な意見のはずだ。しかし征彰には新鮮だったのか、落ち着かない様子で首元をいている。


「別に俺はバレー部の先輩じゃないんだし、そんなこと考えなくていいのに」

「……」

「これも先輩風になる?」

「違うと思います」

「じゃあ、君もそんな舎弟しゃていぶってないでいいんじゃない」


 部活の上下関係はよくわからないが、郁人は上下のある関係性が苦手だ。敬うのは難しいことではないが、敬われるのは気恥ずかしいような申し訳ないような気持ちになってしかたない。


 いつの間にか桜の絨毯を踏みしめていて、靴箱のある校舎は目の前だった。校内は思ったより静けさをまとっていて、自身の靴箱の方へ歩いていく征彰の飛び出た頭を見送って足先を別に向けた。

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