53 エモンデ(2)

 小森宅は娘を私立小学校に通わせるだけあるような、周囲と比べて比較的立派な一軒家いっけんやだった。

 広い庭にはしばかれていて、それ以外の植木うえきは何もない。へい近く芝生しばふけているところから少し前までは何か植わっていたのだろうか。殺風景さっぷうけいだ。

 芝はそれなりに手を行き届いていて、父親の趣味だろうか。植木はと思うと母親の様子がうかがえる。心の余裕が少なさそうだ。


 三島は腕時計を確認してちょうど二時にインターホンを鳴らした。

 ほどなくして女性の声が聞こえてくる。ドタバタとした足音が静まって、しばらくするとそれなりの格好をした女性が玄関から顔を出した。


「どうぞお入りください」


 まねかれた玄関には何もない。強いて言うなら、小さい子供靴がそろえられて一足あったこと。廊下も物がなく、生活感がなかった。あまり外出しないのだろうか。

 だからこそ驚いた。少し雑多すぎるリビングは、生活感以上のものを感じたから。統一感のない小物類とスピリチュアルのような水晶すいしょうの玉を見つける。


「どうぞこちらにお座りください」


 ダイニングの椅子に横並びで三島と郁人は腰掛ける。三島の目の前に咲代は座った。

 響子の母親と言うだけあって綺麗な顔立ちの女性ではあるが、あの日より少しやつれて見えるのは化粧をしていないからだろうか。実年齢よりけて見える。


「うたのも座る」


 そういって母親の隣、つまり郁人の目の前に座ったのは小森こもり詩乃うたのだった。郁人の目をひまわりが咲いていると形容けいようした少女だ。先日敬語が上手に使えていたのもあって随分ずいぶんしっかりした子に思える。

 母親と違って、詩乃は水玉模様のワンピースを着て、髪の毛も自分で縛っているのか身綺麗みぎれいにしていた。


「……今日はどういったご用件で?」


 咲代は一息を吐くと三島に顔を向けて尋ねた。


「実は……先日娘さんがいなくなったと交番に駆け込んでいらっしゃったとき、小森さんの様子に心配してしまってこちらで少し調べさせていただいたんです」


 三島はビジネスバックから一枚のファイルを見せる。どうやらカルテのコピーらしい。


「精神病をわずらっていると。それで随分不安に思われたんじゃないかと思いまして。……特に亡くなられた娘さんのこともあって」


 咲代の上面うわづらの笑みがすっと消えていく。


「……そう、ですか」

「旦那様もお忙しいようで……詩乃ちゃんのことも心配になったんです」


 詩乃はきょとんとした顔で、麦茶を飲んでいたコップから口を離す。


「本題は」


 三島の声色が変わる。


「三年前に亡くなられた響子さんについてです」


 三島ははさきほど郁人に見せてきた対応マニュアルなど知らないような態度で会話に切り込みを入れた。


不審死ふしんしだったのでしょう。おこつもなかったと」


 咲代はかたかたと体を震わせて顔をうつむけていく。カルテに書いてあったように錯乱状態や過呼吸になってしまわないといいが。


「私たちは事件性を疑っています。同時期に発生していた小動物の不審死とあまりに酷似こくじしている」


 詩乃は話が分かっているのかわかっていないのか、郁人の目をじっと見つめながらコップに口をつけていた。

 咲代は眉を下げて口元をわななかせる。


「響子さんのお部屋、残っていますか? 残っているなら見せていただきたいのです」

「……その、隣の男の子はどうして今日ここに?」


 咲代は三島の言葉に頷く前にそんな質問をしてきた。郁人に矛先ほこさきが変わったのだ。

 郁人が口を開く前に、答えたのは詩乃だった。


「うたのがまた会おうねって言ったからだよ。お兄さんはうたのとやくそくをまもるために来たの」

「そう、なんですか?」


 三島の目配せで、郁人は素直に頷くことにする。

 しかし、そんな約束した覚えはない。気の利いたフォローなのか、ちょっとした願望なのかはわからない。


「そう。……響子の部屋は二階です」


 おもむろに咲代は立ち上がると、階段のある廊下に再び案内された。


「あちらは」


 三島が指さしたのは階段の反対方向にびる方。突き当りには仏壇ぶつだんのようなものが見える。


「響子のです。閉じてしまっているけど……」


 薄くほこりをかぶっている。いつから開けていないのだろう。

 響子の部屋は二階の突き当りだった。隣の部屋は詩乃の部屋だと、詩乃自身が教えてくれる。


「……」


 響子の部屋、という感じではなかった。

 白いカーテンと白い家具、それ以外は何もない。まるで病室だ。

 人並み程度の書物の数と、中学二年の教科書がずらりと並んだ本棚。ポールハンガーには冬用のセーラー服が掛けられている。この部屋だけ三年前から時が止まっている。

 教科書の裏には今よりくずれた字で『小森響子』とあった。


「詩乃と違って勉強が好きじゃない子だったの。小学校の時は付きっきりで見てたん

ですけど……詩乃が生まれてからは少し放任だったかもしれないわね」


 咲代がいるように言う。


「詩乃ちゃんはお勉強が好きなんですか?」

「勉強は好きでも嫌いでもないです。本は好きです」

「詩乃の部屋の本棚は足りなくて買い足したくらいなんです」


 不意に郁人の脳裏に詩乃が言っていた言葉を思い出す。


──ひまわりが咲いてる


「ひまわり……」


 口からその単語がれて、詩乃は思い出したように響子の部屋を出て行った。そして戻ってきたとき、手の中にあったのは小学二年生には似つかわしくない文庫本だった。


「それ」

「いつのまにかうたのの部屋にあったの。お兄さんにあげる」


 半ば強引に手渡されて郁人が咲代の方をうかがうと、咲代は小説を見つめて歯を食いしばったように見えた。


「この本、ご存じですか?」

「……響子が生前、熱心に読んでいた本です。ミステリーだとは聞いたけど、私は読んだことなくて……」


 すかさず尋ねる三島に咲代は途切とぎれ途切れに答えた。

 郁人はこの本の読んだことがある。そしておそらく三島も内容を知っているのだろう。


「もう、いいですか?」


 咲代はあまりこの部屋に居たくないのか、しびれを切らしたように聞いてくる。もうしばらくこの部屋に要はない。


「はい、ありがとうございました。またおうかがいすることもあるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」


 三島はにこりと笑って感謝を述べた。詩乃は少しだけ名残なごりしそうに見上げていたが、郁人はぎこちないが微笑み返してあげた。

 廊下まで案内してもらい、三島は再び長い廊下を見つめた。視線の先はやはり埃をかぶった仏壇だろう。

 ばたん、と半ば拒絶のように玄関が閉まる。

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