第316話 皇太子

「おはようございます。私の名は、クレアと言います。体調は如何ですか?」


 クレアが簡単な自己紹介をしつつ尋ねると、男は周囲の状況を眺めてから静かに口を開く。


「……すこぶる良い。治療は――貴女方が?」

「そうですね、私達の魔法によるものです。貴方の名前や、何故あんなことになっていたのか、お話を伺っても?」

「それは構わない。どうやら、私をあの地獄から救ってくれた恩人であるようだしな。だが、その前に一つ確認しておきたい」


 男は上体を起こすとクレアを真っ直ぐに見る。


「貴女方は、ヴルガルク帝国と敵対している、という認識で良いのかな? 私があの施設から連れ出されることが許可されるとは思えないし、帝国の人間……というわけでもなさそうだ」


 男の金色の目は見定めるように深く静かにクレアを見据える。クレアもまた、男の目から視線を外さずに答えた。


「……そうですね。彼らは敵です。正確には、皇帝エルンストや第三皇子トラヴィス、そしてそれに付き従う側近達が、でしょうか」

「――十分な答えだ」


 男はクレアの解答に満足した、というように頷くと、居住まいを正してから一礼する。


「私の名はルードヴォルグ。ヴルガルク帝国の……皇太子であった男だ」


 顔を上げ、ルードヴォルグと名を名乗った。少し考えるように顎に手をやりながら言葉を続ける。


「……何から話したものかな。簡単に言ってしまえば、皇帝の不興を買ったためにああなったのだが」

「嫡子を……あんなことにしたのですか?」


 イライザが顔を偽装と仮面で隠しながらも質問をする。ルードヴォルグの言葉が真実であるのかを探るためだ。


「嫡子、だからだろうな」


 ルードヴォルグは困ったように苦笑する。


「私は……身体が弱くて病で伏せりがちでね。皇太子としては不安視する者も多かったようだ。軍事面では役に立てないと考えて、内政面でと学んでいたのだがね」


 そう言って、遠くを見るように目を細めた。


「農地などの効率化を学んでいる内に、帝国が併呑した人々とも接する機会や背景を色々と知る機会が増えてね。領土を拡張し続ける帝国の歪さであるとか、顧みられない者達の現状であるとか……そういうものを見るうちに、いずれ帝国は立ち行かなくなる、と思った」


 だから、ルードヴォルグはある時皇帝に進言したのだ。外征を縮小し、内政への注力を、と。調べて資料を作り、根拠を付けた上で版図を広げ過ぎているということ。外征を続けていても限界があること等々を皇帝に伝えたのだ。


「……現状の方針……魔物がひしめく大樹海の向こう側に支配地域を広げることは現実的ではない。軍事な影響力を継続的に及ぼし続けることは困難だと私は思う。北方は――農作物等の収穫があまり見込めない酷寒の地が広がり、北限がやってくる。それらの地に住まう人々を併呑し、人の数ばかりを増やしたところで、一体どれほどの利があるというのか、とね」


 ルードヴォルグの話を聞いたエルンストは、不快感を露わにしたそうだ。


「周囲の者達に手を焼かせ、戦いの役に立てないお前が、何を言うのかと嘲笑されたよ」


 それでも食い下がったのだ。実際に農地を見て、話を聞き、情報を集めて収穫量や人口等も調べ、その上で予測を立てたのだとルードヴォルグはエルンストに伝えた。


「恐らく、だが……この場合は私の継承権が高いことが問題視されたのだと思う。肉親であるからそこまで酷いことにはならないだろうという甘さが私の中にあったことも否定はできない」


 皇帝エルンストは言った。お前に次の帝国を任せることはできない、と。頭の良さに目をかけてやったが無駄になったと。


「だから、せめても帝国の礎として貢献させてやる。手を掛けさせた分を回収させてもらうと……そう言っていた。私は幽閉された後、病に伏せっていると発表されて――何かの処置をされた。以後は、死ぬことも狂うこともできず……何かの実験をされていたようではあるのかな。あの場所で私が何をされていたのかはよく分からない。切られたり焼かれたりはしたとは思うが、何分、外の様子があまりよく見えないし、痛みはあるが内からのもので、外からの刺激にはかなり鈍くなってしまっていてね」

「それは――」


 少女人形がかぶりを横に振る。視覚や聴覚、触覚といった部分も鈍くなってしまっていたというのに意識だけはそのままで、呪いによる痛みははっきりあるというのは……相当な地獄だろう。どうしてそこまでのものを自分の子にできるのか。クレアには理解できない。


「だから、そんな地獄から救い出してくれたというのなら、礼を言う。感謝している」


 男は言った。イライザは、そこに嘘はないと判断すると静かに頷く。


「どうやら、この方は影武者ではないようですね」

「そうか。帝国皇族は……そうだな……。身内で争い合っているし、エルンストもそうだったようだ。俺達はそういう継承権争い周りからは距離を置くようにし、野心がないということを度々示していたが、それでもエルンストか、それともトラヴィスの独断かは分からないが裏切られたわけだからな」


 ウィリアムがそう言って仮面を外し、イライザも続いた。


「グレアム……エルザ……?」

「久しいな、兄上。今はウィリアムとイライザと名乗っている」

「……そうか。君達もか」


 ルードヴォルグはウィリアム達の境遇を察したのか、目を閉じて応じた。少し間そうしていたが、言葉を続ける。


「話を戻そう。どれぐらいそうしていたのかは分からないが、痛みが突然引いて、温かい光の……何だろうな。あれは。糸……そう。糸かな。それが幾重にも重なって、身体が包まれていくのを感じた。私の身体から何か、悍ましいものが離れていき、身体が元に戻っていっているというのも、理解できたよ」


 そのまま温かさに身を委ねている内にいつの間にか心地の良い眠りについて今に至るのだとか。


「これからについての質問をさせて下さい。あなたは今後どうするつもりですか?」


 そう尋ねたのはイライザだ。


「流石に……エルンスト帝やトラヴィスにはついていけないな。あんな目に遭わせられて彼らや今の帝国のために動こうと思うような人間ではないよ」


 イライザの言葉に苦笑して答えるルードヴォルグ。イライザは静かに頷く。その言葉に嘘はない、ということなのだろう。


「……私達に協力してくれませんか? 無闇な血を流すつもりはない、というのは伝えておきます」


 クレアが言うとルードヴォルグは真剣な表情でクレアを見つめた後、首を縦に振った。


「現皇帝や今の帝国の……体制や考え方そのものが敵だ、と言うのならば」


 そこまで言ってから、ルードヴォルグは少し自嘲するように笑って言葉を付け加える。


「と言っても、皇太子としての立場も無くした私に、どれほどのことができるのか疑問ではあるがね。元々体調を崩しがちなんだ」

「帝国国内の内情だけでも大きな情報だと思います。現体制の打破という事を考えるのなら、ですが」


 クレアが答えるとルードヴォルグは笑みを見せる。


「それなら良い。君達のことはよく知らないが、あんな魔法を使える者がいるのなら……きっと協力したことに後悔はしないだろう」


 現体制の打破。帝国の打倒。それで血が全く流れないと思うほどルードヴォルグは世間知らずではない。だが……あの、温かい光の魔法を用いて人助けをするような者達なのだ。

 被支配層の解放であるとか、これまでの帝国の罪を裁くことを目指すのだとしても、きっと恩情のあるものになるに違いないと、ルードヴォルグはそう思う。

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