第16話 庵の外れには
クレアの領都初訪問はそうして幕を下ろし、セレーナを迎えての新しい日々が始まった。
セレーナの手持ちは少し心許ない部分はあったが、明日からの宿泊先はある。一先ず住環境には困らないということもあって、浮いた分でそのままクレア達と同じ宿に宿泊することができた。3人とも領都ですべきことは既に終えているということもあり、明くる日そのまま出発する事となった。
領都を出て、郊外まで少し街道を歩いたところでロナが足を止める。
「ま、この辺から乗っていけば良いかね。セレーナは――あんたの後ろで大丈夫だろ?」
「任せて下さい。帰りは大樹海の近くまで箒に乗っていきます」
「箒、ですの?」
「箒です。適性があればセレーナさんも1人で乗れるようになると思うんですが、この辺は試してみないと分からない感じがしますね」
そう言いながらも人形が鞄の中から二本の古びた箒を取り出し、一本をロナに渡す。
明らかに鞄よりも長い箒が出てきたことにセレーナは目を剥いていた。
「私の後ろで箒に跨って、しっかりと私の腰に摑まっていてくださいね。命綱はつけておきますから安心してください」
「ええと……こう、ですの?」
「そうです」
クレアの言葉と共に光る帯のようなものがセレーナの身体に巻き付く。それを知る者が見れば、現代日本の高所作業者が付ける安全帯のような構造、とでも表現しただろうか。そのまま帯はクレアや箒にも巻き付いた。
「セレーナさん、空を飛びますが準備は良いですか?」
「そ、空を……? 飛びますの……? わ、分かりましたわ」
緊張した面持ちで生唾を飲みながらもセレーナが答える。
「それじゃ、行くとするかね。初心者もいるからね。最初はゆっくり目に低空を飛ぶとするか」
それを見届けたロナが言うと、跨った箒がふわりと浮かび上がる。それに驚く間もなく「行きます」というクレアの言葉と共にセレーナの身体が不思議な浮遊感に包まれた。
「え、え、えええ……ッ!?」
爪先が地面についていない。浮遊感に包まれたまま少し高度が上がって、二人を乗せた箒が滑るように前方を先に行くロナの後に続く。
「大丈夫ですか、セレーナさん」
少し進んだところでクレアの肩に摑まった人形が背後のセレーナを見て尋ねる。
「だ、大丈夫ですわ……。も、もしかして私は凄い方々に師事してしまったのでは?」
「ロナはともかく、私は見習いですよ」
そんな話をしながらもクレア達はロナの庵がある方向目掛けて進んで行くのであった。
大樹海の上空を飛んでいくと領域主が狩りに来る。その為箒で行けるのは大樹海のすぐ近くまでだ。そこからは歩いていくという話に緊張していたセレーナであったが、大樹海に入ってからの最初の感想としては、こんなにあっさりと進むことができて良いのか、というものだった。
進行方向の木々や茂みは勝手に避けていくし、あちこちに不穏な濃い魔力が残滓のように残っていたりするのが見えるのに、魔物には一向に出会わない。
ロナとクレアの動きから魔物を感知して避けているというのは分かる。クレア達の周囲に外側から小さな波紋のようなものが飛んでくる。
クレアの掌にある光のコンパスがその波紋に応じて反応し、二人はそれに合わせて動きを変える。魔法の作用を視覚的に捉えることができるセレーナには興味深い光景だった。
だが、魔物の放っている反応はそこかしこから飛んでくるのだ……普通に進んだらすぐに魔物に遭遇するだろうということがセレーナには理解できた。
かなりの危険地帯だと知っていたし覚悟もしていた。しかし、まだ浅いと思われる場所ですらセレーナの想像を上回っているのだ。自身の見積もりはかなり甘かったというのを悟る。
「私の見通しが甘かったですわね。クレア様が忠告して下さった通りですわ」
「普通に進んだら鬱蒼とした森ですからね。もしかして探知のための反応も見えてますか?」
「はい。それらしきものは」
「普通の冒険者はこんな拓けてない場所は探索しやしないから、それは差し引いた方が良いがね」
肯定するセレーナにロナが答える。
「冒険者の皆さんは先人が切り拓いた大樹海の小道を基点に探索しているようです。普通なら、今歩いているところよりは、比較的安全なんじゃないかと思いますよ。魔物達も、手慣れた冒険者達が多く利用しているような場所で攻撃を仕掛けるのは避けますからね」
だが、その場合、冒険者達にとっては競合相手が多くなるのでチャンスや資源も少なくなってしまう。安全な場所なら実力に劣るものも採取が可能になるからパイは少ない。
より多くを求めるなら魔法なり茂みを切り開くなりで、木々を掻き分けて進み、ある程度のリスクを許容する必要がある。冒険者達は事実そうしていた。
だからこそ……こんな風に木々が在って無いが如く大樹海の中をするすると進み、片手間に素材を集めながら魔物を避けていく二人の動きはセレーナには衝撃的であった。
本当に森の中を進んでいるのかと思う程の速度で奥へ奥へと進んでいき――突然視界が開ける。
「これは――」
その光景を見た時、セレーナは言葉を失った。
柵の内側に明るく牧歌的な光景が広がっていた。茅葺屋根のこじんまりとした風合いのある建物。その周囲には井戸や作物や果樹があり、離れや家畜小屋らしき建築物もある。
母屋の前には鮮やかな色や淡い色の花も植えられていて長閑な雰囲気だ。だというのに柵の一歩向こうは全方位歩いてきた魔境と一切変わらない鬱蒼とした森に囲まれている。
いくつかの人影もあるが、それは土を固めて作り出されたゴーレムのようだ。
柵を境にしてドーム状の煌めきも見える。これは魔物を避けるための結界だ。しかしこれまでにセレーナが見たどんな結界よりも煌めきが美しく、その煌めき自体が整然としているという印象であった。
「到着ですね。ようこそセレーナさん」
クレアの肩に乗った人形が歓迎するように両手を広げた。
「当面はここで修業しながらの暮らしだね。柵の内側だけで窮屈かも知れないが、とりあえず生活する上で問題はないはずだ。というか、迂闊に1人で外に出ると死ぬから気をつけな」
「わ、分かりましたわ」
何でもないような口調からの重大な警告に、セレーナの表情が引き攣る。当たり前のように言ったのだから、きっと当たり前のように死ぬのだろう。そう確信できる言葉だった。
「よし。それじゃクレア。あんたはセレーナに柵の内側にあるものと、そこで普段やってることを教えておきな。その後は少し休憩でもして、物置にあるものを二人で片付けて、そこをセレーナの部屋として使うといい」
「出したものはどうします?」
「物置小屋でも作るか。あの辺をちょっと拡げておくから、小屋はそっちでやりな」
「了解です」
ロナの指差した方向を確認したクレアは人形と共に軽く答えるのであった。
セレーナはそのまま、クレアから敷地内にあるものを一つ一つ教えてもらった。
家畜小屋では山羊と鶏が飼われていて毎朝ミルクや卵を得ているとのことだ。餌やりや小屋の掃除等は必要だが毎日の食卓を豊かにしてくれる。チーズやヨーグルトも自家製で作っているのだとか。
渡り廊下で繋がった離れにあるトイレは扉を開けると、光沢のある石のタイルを使っていて、何やら非常に衛生的だった。魔法がかかっているようだ。それで清潔に保っているのだろう。
花の香りが漂っていて、王宮のトイレはこんな感じだろうかとセレーナに思わせるものだった。
そして――トイレの隣には驚いたことに風呂がある。こちらも洗い場や浴槽が広々としていて明るい雰囲気で衛生的だ。
「……設備が充実していますわね。逆に村や街に行った時に物足りなさを感じてしまいそうですわ」
「毎日使うものですし、人里から離れているからこそ快適な方が良いですからね。ロナには最初やりすぎじゃないかと言われましたが、今は気に入ってもらえてますよ」
「え。クレア様が作ったものなんですの?」
「いえ、改装ですね。案を出して良さそうだったら採用してもらって、そこから更にと言う感じです」
トイレも風呂も、そうやって少しずつ改装を重ねてきたものだという。離れの裏手にタンクがあり、そこに地下水だけでなく、濾過した雨水を浄化したものを溜めて使っているそうだ。井戸があるから水が使えるのはともかく、大樹海なのにある程度湯が自由に使えるというのはセレーナにとって全くの予想外だ。
そうやって敷地内にあるもの、その使い方や日々行っている仕事の内容。その一つ一つをクレアは丁寧に説明してくれた。
最後に庵の裏手――敷地の外れに向かう。陽当たりの良い場所だ。そこにいくつか、石の墓標が立ててあった。
クレアは大樹海のどこかで採取していたのだろう。花を供え、目を閉じて黙祷を捧げる。恐らくはロナかクレアの関係者なのだろうが、誰の墓所かは分からないし、デリケートな話題だから何の気無しに尋ねるのも考えものだ。
セレーナも一先ずクレアに倣い、黙祷を捧げながらも今日からよろしくお願いしますわと、心の中で思うのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます