第17話 人形抜きで

「ええと……これから共同生活をするわけで、ちゃんと顔を見せて……説明しておく必要がありますよね」


 案内が終わった後の休憩中にクレアは帽子を取って素顔を見せることにした。人形を傍らに置き、帽子に手を掛け少し動きを止めた後……それから意を決したように帽子を取る。


 セレーナが息を呑む。偽装魔法の上からクレアの本当の姿を見る事ができるが……髪と瞳の色が神秘的なのも相まって浮世離れした容貌だ。これにははっきりと驚かされた。

 だが、驚いてその目を覗き込んでいるセレーナに対し、クレアは何やらプルプルと小さく震えている。表情は変わらないのに、やがて俯いて帽子の鍔を引っ張るようにして深く被ってしまった。


「えっと……?」

「も、申し訳……ないで、す。何だか、顔を見せているのが恥ず、かしいと言いますか……人形抜きだと……とても落ち着かなくて。もう少し……慣れたら、何とか……」

「あー。内気で人見知りって言えばいいのかね? 表情や態度にあんまり内心は出ないんだが、人形がないとちょいと挙動不審になる……ってのは確かにあったが……。この分だと知らない相手や日が浅い相手には、多分腹話術を使わないと普段は上手く会話ができなそうだ」

「そ、そうなんですの……?」

「そうみたいだね。ま、人形を操ってる時もそうでない時も、言葉や態度に嘘はないからそこは安心して良いよ。それと、戦闘時も影響はないはずだ。その辺も指導しておいて正解だったね、こりゃ……」


 最初に出会った時は底が知れない魔法使いで大人びているとすら感じていたが、今見ている印象は全然違った。ただ、ロナの言葉からするとセレーナが箒や庵の様子に驚いた時に人形が楽しそうな反応をしていたから、そういう子供らしいところもあるのだろう。

 物腰は丁寧なのに物怖じしない性格なのかと思っていたセレーナだが、ロナによると実は全くそんなことはないらしい。


「り、人形リリーがいれば、大丈夫です、から。ほら、この通りです」


 クレアは人形を引き寄せると、途端に口調も普通になった。しかしよく見ると口元は動いていない。腹話術である。


 人形を手に取って立ち直ったように見えるクレアであるが、それは舞台上で演技をしているのと同じ要領でそう見せているだけで、内心では落ち込んでいたりする。あまり人前で口にしない人形の名前を呼んでいたりもした。


 人形抜きだとか、感情のスイッチ切り替え無しでロナ以外の相手と接して顔を見せるのは今の自分になって初めての事だが、前世よりも内気さがかなり増しているような気がするとクレアは感じた。殆ど表情に感情が出ない分、内心の動揺が激しくなっているような気がする。


 よくよく考えてみれば身内と認識しているロナ以外の相手と、身一つで接したのは軽く10年以上は経っているという計算になる。それを差し引いても人形無しだとここまでだったろうか。もしかするとセレーナと同じく、表情と感情が連動しないこととも含めて、何か固有魔法を保有することでの影響があるのかも知れない等と真面目に考えてしまうクレアである。


「後は……魔法で人形を操っている時は、油断してると感情が人形に現れる時があってね」


 ロナの言葉を示すように、魔法で操られた人形はクレアの太腿に手をついて項垂れている。当人は大人しく座っているように見えるが内面はそうではないらしい。


「な、なるほど。いや、大丈夫ですわクレア様。私は……その、可愛らしく思いました」


 というセレーナの言葉は本音でもある。不思議に思ったがロナから種明かしを聞いてしまえばプルプルと震えていたクレアは内気で可愛い子供と言えるのではないだろうか。


「うう。ありがとうございます……」

「さて。それじゃ修行の話も少ししとくかね。普段してる事の話でもある」


 クレアは髪と瞳の色はトラブルを避けるために髪と瞳の色を魔法で偽装しているそうで、ロナに不意打ちで妨害魔法を浴びせられて、それを防ぐのが日常の中での修行であるから見かけても気にしなくていいと語っていた。

 言っている傍から実演というように大波が打ち付けるような魔力が不意にロナから放たれ、クレアはほぼ反射的にそれを受け流していた。

 強烈な妨害魔法をいなそうとしている魔力の動きは、魔法に縁遠かったセレーナには見ていて興味深いものではある。


「ま、動揺した程度で偽装が破られちゃ困るからね。そこは良しとしよう。魔法の得手不得手の検証が進んだら似たような事をセレーナにもやってもらうからね。勿論、力量や性質に合わせてだが」

「そ、それは……頑張りますわ」

「うん。仲間が増えましたね」


 日常の中での修行という話なら――クレアとロナは常時魔法を多重に展開しているし、ちょっとした動作、仕事の中で魔力を用いた強化を行っているようだ。


「で、あんたは固有魔法以外は使えなくとも、魔力強化はできるかい?」

「それは――はい。感覚的にですが可能ですわ」

「そうさね。初歩的な魔力強化は厳密には魔法じゃない。高度なものなら術式で更に増強ってのもあるが、魔力のある奴は意識を集中させるだけでも効果が出るからねえ」

「意識して気を張っていれば、同じように物がぶつかっても痛くなかったりするようなものですね」


 クレアがそんな例え話をするが、ロナは頷いた。


「別に例えや冗談ってわけじゃないよ。魔力をある程度操れる者なら実際に皮や筋肉や骨の強度が上がってたりするんだ。で、強化を意識してできるってことは最初の段階――魔力を感じ取るってのもできてる。その上で……あんたには魔法を行使できる魔力の質と量もあるようだ」


 ロナが半眼になってセレーナの魔力を観察する。


「はい。それも領地では確認していただきましたわ」

「よし。それなら、あんたもできるだけクレアと同じように日常の仕事の中で魔力強化を使いな。最初はしんどいだろうが、その内魔力量自体も増えていく。ただでさえあんたは目の魔法維持で魔力を使ってるからね」

「分かりましたわ」


 それで強くなれるのなら、セレーナに不満などあろうはずもない。停滞していた状況が一気に動き出しているようで、期待と興奮で胸が高鳴っていた。


 魔力による身体強化については厳密には魔法ではないのでセレーナも可能だが、それは剣の打ち込みや踏み込みの瞬間だとか、鍔迫り合いの最中等、要所要所での使い方をしている。しかし、日常で何度も使うというのは結構大変だとセレーナは気を引き締める。二人ともセレーナがこれまでに見てきた術者達とは、魔力量が桁違いなのだろう。


 ロナは自分の眼のあたりを指差してセレーナに言う。


「それでここからがあんたの眼の話だ。あんたの眼は無自覚に固有魔法を常に使い続けている。恩恵もあるが魔法を修得しようとした場合は……初心者なのに最初から並列して魔法を使うことを強いられるわけだ。だから簡単な術であっても他の者より魔法の修得や行使自体が難しいし、得手不得手もかなり出やすい」


 魔法は詠唱と動作で術を行使するために魔力を動かす。その過程がまず阻害されてしまうから相性の良い魔法でないと発動できず、魔力が動く感覚を反復練習でつかみ、無詠唱まで持っていくというのも難しくなるのだとロナは朗々と講義する。


「そ……そうだったのですわね……なるほど……」


 ロナの説明は非常に明快で分かりやすいものだった。何より感覚的に躓いていた部分に対する答えとして、腑に落ちるものだ。自身の内に魔力があることは分かるのに微細な動きとなると何か大きなものがあって途端に機微を感じ取れなくなるような――そんな感覚がずっとあったのだ。


「そこでだ。得意な部類の魔法、目の固有魔法と競合しにくい……或いは相性の良い魔法を探すことから始める。並行して内面に目を向け、固有魔法に割かれている魔力の動きを、自覚的に探って感じ取る。それができたら――クレア。あんたならどうする?」


 ロナから水を向けられてクレアは思案を巡らせるように人形の顎に手をやって言う。


「んー。そういう仕組みで基本が同じなら……使える範囲の魔法を展開し続けて並列作業に慣れる……ですかね? 無詠唱もその延長で可能になっていくと思います」

「正解だ。それが一人でも進めていける基本の修行ってわけだ」

「私やロナが大樹海へ素材採取に行っている時でも修行できますね」

「ま、どっちかは庵に残っているだろうけどねぇ」


 その会話に再び驚かされたのは、セレーナだ。今の言葉はつまりクレアが普段から1人で大樹海に入っているということを意味する。年齢については見た目と変わらないと言っていた。セレーナにとっては先を歩んでいる姉弟子であるが、年下の少女なのだ。


「クレア様は普段からお一人で、大樹海に入っているのですか?」

「自分で対応できるところでしか活動してないですよ」


 驚きつつも尋ねると、そんな返答があった。


「そうだが……クレアを基準に考えるのは止めときな。弟子入りして共に魔法の修行をするからには明かしておくが……クレアもまた固有魔法を持ってて、ちょいと事情が違うんだ」


 一緒に暮らしている以上は隠したままで固有魔法の研究開発、研鑽をするのはいかにも効率が悪い。そのために庵まで引き込んだというロナの思惑もあった。


「固有魔法……」

「えーと。これです。どう見えますか?」


 少女人形が差し示すと、クレアは広げた手の指先から魔法の糸を垂らす。


「私の目には――それぞれの指先から光る糸が垂れているように見えますわ」


 とても細い糸だ。微細なので逆に遠くからならセレーナでも見えないかも知れない。


「ああ。この魔法に関しては見え方が同じですね」

「――のようだね。この魔法は……こと大樹海みたいな立体的に入り組んだ場所と特に相性が良い。クレアが採取に行っている範囲で出る魔物程度なら問題ないってわけさね」


 糸でどう魔物に対抗するのかセレーナには今一つ想像がつかなかったが、確かに立体的な場所なら便利そうだという感想を抱く。

 いずれにしても師も姉弟子も、高い魔法の技量や様々な知識を持っているというのは間違いなさそうだ。これは自分が魔法に疎いからそう感じるわけではないだろうと、セレーナは思う。


「それから……セレーナは剣を使うんだったね。その剣と同じ重さや長さの木剣を用意するから、それでクレアと軽く剣の稽古もしてみると良い」

「わ、分かりましたわ。クレア様は……剣も使えるのですか?」


 セレーナが驚きつつ尋ねるが、クレアはと言えば、人形に首を傾げさせる。


「いやあ。持ったことがある刃物なんて包丁とか鎌ぐらいのものですが……」

「あたしの見立てじゃ互いにとって有意義な内容になると思うがね。対人経験が薄いんだから剣士の戦い方、思考を理解しておくのは大事なことさ。普通は寄られた時にどう凌ぐのかってのも魔法使いの課題にはなる」


 もっとも、その課題を固有魔法ですっ飛ばしにしていったのがクレアだが……対応できる局面を増やすという意味では確かに有意義なのだろう。通常の手順を知っておくことが重要という方針でありながらこれまでやって来なかったのは、そういう機会がなかっただけの事で、セレーナが近くにいるのなら話は変わってくる。


「なるほど……。では、剣に関しても胸をお借りします」

「私としても返せるものがあることは嬉しいですわ」


 人形と共に一礼するクレアに、セレーナが微笑む。


「さて。それじゃ休憩ももう良いだろう。場所はもう空けたから、そこに物置を作ってセレーナの部屋の準備をしちまいな」

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