第154話 明日からの事を

 白狼が従属の輪から解放されたのは、シェリー達が帰ってから少ししての事だった。クレアが説明してからの従属の輪を外すのはいつもの事であるが、外れると孤狼と白狼は揃って感謝を示していた。


 代償となる痛みを味わわせてしまった事を申し訳なく思っているのか、白狼は軽くクレアの手の甲を舐める。


「痛みはまあ、一時的なものですので大丈夫ですよ」


 そんな白狼にクレアは軽く頭を撫でて応じる。

 そうやって従属の輪も外れ、それから庵を作る場所まで案内し、ここか開拓予定地に来てくれればその時までには従属の輪の贋作を作っておくと伝えてから別れることとなった。


 大樹海に消えていく二頭の狼を見送り、クレアは明日からのことを思う。


 辺境伯領における新規の開拓はこれからどんどん進んでいくこととなるだろう。

 商会関係者、大樹海と伯爵領との間を行き来する冒険者、開拓村民としてアルヴィレトの面々も活動を本格化させることになると予想された。


 とはいえ、アルヴィレトの面々の方針、大原則としてロシュタッド王国――特にフォネット伯爵家とトーランド辺境伯領の不利益になることはしない。王国法に反するようなことはしない。それから対帝国で王国が動く時があるのならそれに対しては協力する、だ。

 秘密裡に動いているのは仕方がないにしても、ロシュタッド王国に移住している以上、行動で不信を招いたり罰せられるようなことをしていては申し開きもできない。


 アルヴィレトの面々としては王族であるクレアがそこにいて、同郷の者達で集結できるという……ただそれだけで希望が見えずにいた今までとは違うのだ。


 信用のおける者、魔法契約を交わして秘密を守れる者から開拓村にやってくることとなるだろう。

 肩書きとしては様々だが、商会関係者、冒険者、開拓民の友人や親族という形であれば、ある程度新しい顔触れがやってきても不思議ではない。そのため、アルヴィレトの面々も入れ替わりながらクレアに挨拶に来る面々が増えると思われた。


 だがそれもしっかりと独り立ちを経てからの話だ。庵が不出来ならロナから認めてもらえない。

 シェリーが辺境伯領での滞在を終えて王都へと帰ったら、そちらにきっちりと力を入れる必要があった。


 シェリーについては、辺境伯家の教育係から授業を受けて方針や考え方の面から王都との違いの実際を学んだり、リチャードやヘロイーズから有事が想定される土地を治めていく上での考え方、心構えを聞いたりと、滞在中領地内見学以外にもやる事は多い、という話だ。


 クレアとしてもそういった講義は聞いてみたいとは思ったが、今の立場では望むべくもない。シェリーから話を聞くことで、そうした話の一端には触れてみたいものだと、そんな風に思いながらも開拓予定地に戻り、皆と野営の時間を過ごした。




「――前線となるべき国境沿いの都市外壁と城が破壊され、行動を共にしていた部隊と魔術師共も全滅。そして自身は手傷を負い、敗北して戻って来た、と。存外だらしのないことだな?」

「……返す言葉も御座いません」


 ヴルガルクの帝都――謁見の間にて。金獅子皇帝エルネストは玉座に腰かけたまま、つまらなさそうに第二皇子ヴァンデルの報告に耳を傾けていた。


 大樹海付近にある都市が、彷徨する孤狼によって破壊された、という報告が入って来たのが数日前の事。更に数日を置いてヴァンデルが帝都へと報告に戻ってきていた。


 ヴァンデルは謁見の間にて膝をついたままで静かにしている。孤狼との戦いの傷は既に癒えたのだろう。見た目には負傷している様子もない。ヴァンデルを孤狼が追跡してくることも考え、痕跡を消しながらの帝都への帰還であった。


「まあいい。作戦行動の要であった番への首輪はつけたままなのだろう?」

「はっ。それは間違いなく」

「であれば、最低限の仕事はしたとは言える。報復は予想されたことではあるが、大樹海攻略の足掛かりを作ったと受け取っておこう」

「恐れながら……あの番を最後に見た時、かなり衰弱していました。行動に移した際に番が亡くなっているという可能性も考慮に入れておくべきかと進言致します」


 ヴァンデルが付け加えると、エルンストは薄く笑う。


「元より情頼りの策など大してあてにはしていない。そういった手で追い詰められた者が最後には情を切り捨てるところなど腐るほど見てきたからな。どれほどの有効性があるかの実験でもあるから、一定の効果が見られただけでも良しとすべきであろう」


 エルンストの返答にヴァンデルは跪いたまま答えない。構わずにエルンストは言葉を続ける。


「それよりも貴様の今後の処遇だ。敗戦の汚名は北方のあれらの討伐と平定により雪げ。北方での大勝の褒美として領域主に関わらせたが、今度は与えられた任を完了するまで帝都には戻って来るな」

「仰せのままに」

「では、下がれ」

「はっ」


 エルンストからの処遇は、ヴァンデルにとって予想していた部分ではある。北方での戦場は相性の面からヴァンデルにとって退屈な部分はあったが、それが今回の罰だというのなら不満を言うべきではないのだろう。

 どんな形であれ戦いの場を与えられるのならそれでいい。


「北方の戦況はどうなのですかな?」


 退出したヴァンデルを見送り、近くに控えていた痩せぎすの男――クレールが尋ねる。

 クレールは皇帝の側近にして、宮廷魔術師という肩書はあるが、その出自を知る者がいない。ある日突然皇帝に召し抱えられ、そのまま異例の出世を果たしたという人物である。取り入るのが上手いのかと思えば社交的でもなく、権力欲や金銭欲が旺盛というわけでもない。魔術師としての実力はあるのだろうが、謎の多い人物であった。


「要害を活用し、未だ頑強に抵抗を続けているという話だ。苦戦を強いられているが奴が向かえば穴も穿たれよう。平定が成れば北方のあれらは戦奴として大樹海の攻略に使うつもりではあるが」


 北方からヴァンデルが配置換えをされたのは、当人が戦況を大きく動かして功績を上げ、褒美を聞いた際にもっと強い相手を戦いたいと望んだからだ。

 グレアムとエルザが欠けた事、鍵の覚醒についても大樹海や王国に力を入れる後押しにはなっただろうか。


「なるほど。確かに……彼らの突破力であれば、大樹海にも穴を穿つやもしれませぬ」

「あれらを兵として運用した場合、少なくとも並みの魔物は物の数ではない。ヴァンデルに対しては相性が悪いようだが、頭数を揃えれば破城鎚としての役割は果たすであろうよ」


 北方を平定し、取り込み、戦奴としての運用を行う。


「所詮別種。使い潰したとて、何の問題もない」


 そう言って皇帝は笑った。


「鍵の方は如何なさいますか?」

「ふむ……」


 側近から尋ねられて思案を巡らせる。孤狼による、混乱が生じていれば、それに乗じて工作員を改めて送り込む、といった計画も立てられていたが、


「鍵がどんな考え方をするのかは分からぬが、行方が知れぬのなら、向こうから出向くように仕向ける方法もあろう」


 その方法をエルンストが言うと、クレールが表情を曇らせる。


「情報がロシュタッド王国に漏れる恐れがあるのでは?」

「知られずに滅んだ小国の名が出たところで、それを元々知る者以外には何の意味もない話だ。古文書等から後から何か気付くことはあるかも知れぬがな。故に、仕掛けるのは北方に片をつけ、準備を整えてからが望ましい。迂遠で腹立たしい事ではあるがな」


 そう言って、エルンストは自身の腕――宝石のはまった小手にもう一方の手で触れ、一瞬表情を険しいものにするのであった。

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