第39話 ギルドにて待つ者

「まずは傷口の消毒をしておきましょう。破傷風になったり化膿したりすると大変ですからね」


 少女人形が指を立てて言う。クレアは手を翳して、驚いた顔で人形を見ている少年に向けた。ぼんやりとした光がクレアの手に宿ると手や膝の傷口についていた細かな石、泥汚れのようなものが浮き上がる。


「な、何……魔法?」

「そうですよー。私は見習い魔女なので。これは浄化の魔法ですね」


 少女人形が得意そうに腰に手を当てる。クレアがその手を握ると、ふっと燐光が消えて光の中に浮かんでいた泥や砂が地面に落ちた。


「破傷風、とは?」

「ええと、怪我をしてその部分に菌……毒素が入ると後で体調を大きく崩したりしてしまうというやつです。かなり危険だって記憶していますよ」

「ああ――」


 グライフは何か心当たりや連想したものがあるのか、顎に手をやって思案しながら納得したように声を上げていた。


「怪我の方はポーションを使う程大袈裟なものではないですね。薬草で大丈夫でしょう」


 クレアは鞄の中から薬草とすり鉢、乳棒を取り出すとその場ですりつぶし、少年の膝と手の傷の上に塗り込むようにしていた。


「痛……くない?」

「軽い痛み止めの効果もありますからね。このまま少し放っておけば傷も塞がります」


 初級ポーションの原料になる薬草だが、ちょっとした傷の手当に便利なため、もっと高度なものを作れるクレア達の場合はポーションにせずそのまま用いる事が多い。


「手際が良いな。助かった」

「ありがとう、えっと……」

「クレアと言います」

「ありがと、クレア姉ちゃん」

「いえいえ。しかし、この子はどこの子でしょう。近くに親御さんらしき方の姿も見えませんが」

「そこの孤児院の子だ。俺の知り合いだな」


 グライフが通りの斜め向かいにある建物を指差した。


「グライフにーちゃんを見かけたから、驚かせようって思って追いかけたら転んじゃって……」


 少年はばつが悪そうに言う。グライフは苦笑すると少年の髪をくしゃっと撫でて「転ばないように気をつけろ」と言った。


「そこの子だというなら一先ずは安心ですね」


 クレアの肩の少女人形がうんうんと頷いた。そんな人形の動きに少年が不思議そうな表情をする。


「動く……人形……」

「ふふふ。師匠から貰った人形で、操る事で魔法の修行にもなるので大事にしているんですよ」


 そう言って少女人形リリーの髪を撫でるクレア。


「しかし……この建物は孤児院だったんですね。中々立派な建物だったので、何の建物なのかなと思ってました」

「トーランド辺境伯家が運営しているんだ。大樹海が近いと何かと大変だからだろうな」

「ああ。辺境伯家が運営しているというのは師から習っていました」


 兵士や領民に限らず、冒険者にしても魔物が原因で命を落としてしまうという者がどうしても出てくる。残された遺族の面倒を辺境伯家が引き受けているということだ。

 そういう対応も精兵が育つ土壌に繋がっているのだ。辺境伯は孤児達の職業訓練も行っていて、その中には兵士としての訓練を行うというものも含まれていた。


 実際腕っぷしに自信のある孤児は兵士や冒険者を目指す傾向がある。面倒を見てくれる辺境伯家に対して忠誠を誓ったり郷土愛を持っている武官が多いというのはこういった事情があってのものである。


「なー。グライフにーちゃん、次はいつ遊びにきてくれるの?」

「そうだな……。近い内に顔を出す」

「やった……! みんなにも教えておくからな!」


 嬉しそうな少年の様子に、クレアの口元に珍しく表情が浮かんだ。


「人気者なんですね」

「……年頃の子は兵士や冒険者に憧れがあるようだからな。ちょっとした用で孤児院に足を運んだことがあって、たまに足を運んで欲しいと言われた。だから、そうしている」


 グライフはクレアの言葉にそう返した。

 経緯を省いた言葉だが、また来て欲しいと言われるのはそれに値する内容があったからだろうし、それが継続しているのは子供達をがっかりさせない為なのだろうと、クレアは前世の自分が入院していた頃の記憶を振り返りながら思う。

 時間があれば孤児院を訪問して人形繰りを見せても良いかも知れない、等とクレアが思っていると、グライフが言葉を続ける。


「君とは多分、明日もまた会う事になりそうだな」

「明日?」

「領都に来ていることを伝えているなら、恐らく明日冒険者ギルドで話をすることになるだろう」


 ロナ達が領都にやってきたら関係各所に話を通して集まるということになっていたらしい。だから領都から離れないようにと言われていたと、グライフはクレアに説明をしたのであった。


 そしてグライフ達と別れて宿に戻ったクレアであったが、ギルドから伝言があった。明日、朝食後に冒険者ギルドに顔を出して欲しいというものであった。


「今日グライフさんが言ってた通りですね」

「どこかで会ったのかい?」

「はい。孤児院の近くで」

「ああ……何だか差し入れやら訓練の手伝いやらをしてるとは聞いたことがあるね」


 だから子供に懐かれていたのだろうと、クレアは得心するのであった。




 次の日。クレア達は冒険者ギルドに顔を出した。


「来たな婆さん」

「あいよ」


 グウェインがにやりと笑ってロナ達を出迎え、そのまま奥の部屋へと通された。そこにはグライフとルシア。調査員。それからクレアが初めて会う人物が2名同席していた。


 片方は口ひげを蓄えた身なりも品も良い男。ただ、眼光の鋭さや纏う魔力の研ぎ澄まされ方が只者ではないというのを物語っているようにクレアには感じられた。セレーナも男を見て少し固まっている。


 もう一人は女。モノクルをかけた洒落た雰囲気の人物だ。魔力は普通のそれである。


「弟子のクレアとセレーナだ。で、こっちはトーランド辺境伯」

「初めまして、クレアです」

「お初にお目にかかりますわ。セレーナ……フォネットと申します」

「それから、こっちは従魔となりましたスピカですね」


 帽子を脱いで、少女人形と一緒にスカートの裾を摘まむようにして挨拶するクレア。セレーナもそれに続いて挨拶をし、スピカも姿を見せてお辞儀する。

 クレアの方は人形繰りをしているから緊張している様子は見られず、セレーナは貴族令嬢らしい如才なさで家名まで含めて名乗った。人が少ないために事情を説明して伏せておいてもらうことは可能だと判断したからだ。というよりも家名を名乗らない無礼を嫌ったという方が正しい。

 トーランド辺境伯はそこで初めて相好を崩す。


「噂のロナ殿の弟子か。会えて嬉しく思う。リチャード=トーランドだ。そしてそちらのお嬢さんは、フォネット伯爵家の令嬢か」


 リチャードは一旦言葉を区切ると、頷いてから続ける。


「こちらも紹介しよう。娘のルシアーナ。それから、今回書物の解読を依頼しようと思っているアンジェリア=クロフバート嬢」

「そういうわけなの。帝国に関することだから、トーランド家からも調査隊に加わる必要があったのよね。ルシアーナ=トーランドよ」

「アンジェリアだ。王都の法衣貴族の娘だが、考古学への興味が高じていつの間にやらこういった仕事を任されるようになってしまった。いや、嬉しいのだがね。君達には感謝してもし切れない。会ったら礼を言わねばと思っていたのだよ」


 揃えた指を軽く動かして挨拶をしてくるルシアと、上機嫌そうに言うアンジェリア。

 ルシアというのは冒険者としての名だ。今日のルシアーナは貴族令嬢に相応しい服装で腰かけていた。その態度に関してはルシアの時と何も変わっていないが。


 アンジェリアは領都の出身ではなく、王都からやってきた法衣貴族家の出。詳しくは説明していないが王国では古代文明研究の第一人者と言っていい人物であった。

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