第1話 月下の人形繰り

 大樹海には黒き魔女が住む。王国の北部、トーランド辺境伯領に住む領民達や冒険者達には知られていることだ。

 大樹海全体で言うと南西部――やや奥まで分け入ったところに黒き魔女の庵は存在する。


 森の一部が開かれたそこは柵で囲われており、その中には畑もある。果樹も植えられているし井戸もある。

 鶏や山羊といった家畜の飼われる小屋まであり、大樹海を知る者がその牧歌的な光景を見れば、本当にここが大樹海の奥なのかと衝撃を受けるだろう。


 勿論、奥とは言っても大樹海全体で見ればまだ浅い場所だ。それでも生半可な者が立ち入れる位置に存在しているわけではない。庵の主である魔女が余人を遠ざけているからと理解されているが、それも間違ってはいない。


 その庵の内部――大鍋の前に小さな人影があった。

 黒いケープ付のローブを纏った、長い髪の人物。黒き魔女が住むという話だけを聞いている者であるなら、その人影こそが庵の主だと思うだろう。


 だが、その小さな影は黒魔女ではない。その弟子だ。帽子の下にある顔を覗けば、まだ年端もいかない少女であることに気付くだろう。

 少女は――腕に小さな人形を抱えていた。美しいが表情に乏しい少女だ。

 魔女本人はその近く。目の届く位置に腰かけている。


「それじゃあ始めな。昨日教えた傷薬の調合からだ」

「分かりました。ロナ」


 少女が答えているのに、その口は動いていない。腕に抱いている人形の口が動いた。腹話術の類だ。ロナと呼ばれた魔女が監督する中で、少女は大鍋に水を注いで火に掛け、薬の材料を決まった手順で大鍋に入れて薬を作っていく。時折かき混ぜつつ薬液の反応を見極め、最後に術を掛ければ完成となる。その間、ロナは手順に間違いがなければ口出しはしない。見ているだけだ。


 最後の工程で少女が術を掛け、紫色の煙が上がって完成するというその瞬間。

 ロナが軽く掌を合わせて音を立てると、そこから魔力の波が広がった。

 風船が破裂するような音と共に少女の身体の周りで何か――不可視のものが弾ける。


「あ」


 少女――ではなく腕に抱えられた人形が声を上げてロナの方に視線を送るが、魔女は肩を竦めた。

 魔女を見る少女の明るい茶色の瞳が、アメジストを思わせる鮮やかな色合いに変化している。髪の色もだ。光の加減によって銀にも見える薄い色のブロンドで、神秘的な色合いだった。


「薬が完成するからそっちに気がいったね? 気が抜けた時、集中している時ってのが防御の甘くなる瞬間さね。認識阻害だからまだマシだが、これが隠密や防御の魔法だったなら、破られるとそのまま致命的な状況になるよ」

「先が長いですね」


 人形がそう言いつつも、少女が認識阻害の術を展開し直し、髪と目の色が明るい茶色になる。


「そりゃそうさね。理想は眠っていても無意識に解除を防げるようになることだからね。というわけで、術が解けちまったからあんた固有のあれやゴーレムは抜きで外の仕事をしてきな。基本的な練度を上げてりゃあれの強度も上がるし、魔女だろうが何だろうが、最後に物を言うのは体力だからね」

「分かりました」

「薬の方は……まあ使い物にはなるかね」


 大鍋を覗き込むロナの言葉を受けながら少女は庵の外へ向かう。

 家畜小屋から山羊を連れ出し雑草を食わせて、畑や井戸、小道周辺の除草をさせながらも作物や有害な植物を勝手に食わないよう、そして脱走しないように監視する。

 時折山羊に触れて行動をコントロールする少女の動きは、その仕事に手慣れているというのを感じさせた。


 よく見れば山羊に触れた時に魔力の輝きが瞬いており、それで山羊に意思を伝えているか、或いはその行動をコントロールしているのだと分かる。


 山羊が作物を避けて動くのを見ると人形が満足そうに頷き、少女がその頭を撫でる。やがてその作業も終わると、山羊を家畜小屋に送っていき井戸から桶に水を汲み、畑に撒いたり水瓶に飲用水を足したりと細々とした作業を進めていった。


 水汲みも水撒きも、どこかしらに魔力を用いていることに見る者が見れば気付くはずだ。例えば井戸の滑車を少女が引く手には魔力が込められて腕力が増強されているし、大きな水桶を持ち上げる時も、水撒きの際も同様である。

 作業補助のための身体機能の増強。体力増強と魔力の扱い。それらを同時に鍛える方法だ。地味な内容ではあるが確実に効果が出るやり方である。


 並行して鍛えられるとはいえ、それを日常の作業に継続して混ぜて長時間続けられる、というのは十分な量の魔力があるからだ。少女のそれは標準から大きく逸脱していると言っても良い。やがて諸々の仕事を終えて、少女が庵の中に戻る。


「外の仕事、終わりました」

「ふむ。じゃあ一旦休憩を挟んでから昼にするかねえ」


 そう言ってロナが腰を浮かすが、人形がぎぎぎとぎこちなく視線を向けてその首を横に振った。


「私が作ります」

「別に今は休憩していても良いんだがねぇ」

「……ロナは味をあまり気にしませんから……。昨日採ってきた食材からすると……今日はあれだと思いますし」

「くっく。薬草粥だから魔力の回復を速める効果があるんだよ。それに、あれはあれで慣れると苦味と臭いも乙なものなんだがねえ」


 ロナがにやりと笑う。


「……味と臭いも何とかしましょう?」

「ま、粥は特別なものじゃないから調理の仕方で効果が大して変わるわけじゃないだろうさ。クレアの好きにしな」


 ロナは愉快そうに肩を震わせてからクレアに台所を譲る。クレアは人形をこくんと頷かせてから台所に向かい、用意された食材をどう使おうかと思案するのであった。




 ――ロナの目から見たクレアは、物心ついた頃合いから大人しく内気な子供であったと思う。

 子供の世話に際して覚悟を以って臨んでいたロナだ。

 確かに赤ん坊だった頃の身の回りの世話は予想していた通りで、ロナとしてもそれなりに苦労をしたが、ある程度育ってから物心がついてから普通の子供に出てくる好き嫌いだとか躾だとか、そういった部分に関しては拍子抜けなぐらいだった。


 物心ついたあたりになってからは、物静かで表情にはかなり乏しいが、聞き分けが良くて手がかからなかった子だったと記憶している。賢くはある。それに表情は乏しくとも、感情の起伏はそうではないようだ。殆ど顔に表れない、人形のような少女だった。

 トイレや飲用水など、生活に関することは言われれば一度で覚えるし、無闇に物を口に入れたりしないし散らかしたりもしない。森の魔物について言い聞かせれば柵の向こうに行きたがることもなく、目の届くところにいる。


 育てる側としては楽で良いが、大人しいだとか分別があるだとか賢いだとか、そういう言葉で片付けるには違和感があったのは事実だ。


 言葉遣いにしても文字を教えつつ本を読み聞かせていたら、当時読んで聞かせた書物の登場人物を真似たのか、たどたどしいながらも丁寧なものになっていた。別に悪い事ではない。本の影響かと思っていたし、育つ内に普通になるだろうと思っていたが。


 クレアは、一つ教えればまだ教えていないことまで予想して行動しているように見えた。それは育っていく中で経験から学んでいくことだとロナは思うのだ。

 天才であるならば或いはそういうものなのかも知れない。文字や計算を覚えるのも早かったから、クレアは性格も含めてそういうものなのだろうと思っていたのだ。


 そんな中で、クレアは魔法――特にゴーレムに対して強い興味を示していた。

 ロナは畑仕事や力仕事に土ゴーレムを利用している。簡単な命令を受けて自律行動させられるため、任せられる仕事とそうでない仕事に分かれるが、使い方を間違えさえしなければ便利なものだ。


 大人しいというか、マイペースなクレアだったが、ゴーレムを見た時は少し身を乗り出し、食い入るようにその動きを見ていたのが印象的だった。


「ろなおばあちゃ。あれ、は……なんですか?」

「ゴーレムさね。魔法で動く土人形だよ」

「ごーれむ……まほう……」


 言葉を覚えた頃も、ゴーレムについてはそんな風に質問された。これが山羊等に対してもそうなら好奇心が旺盛だからとも言えたのだが、例えば山羊に対しては可愛がっているものの、珍しがっているとか初めて触れ合って感動をしているといったようには見えない。


 無論、自身の魔法の技術、知識を伝えようと思っているロナからすれば、クレアが賢くて分別があることに不満はなく、魔法やゴーレムに強い興味を示していることも望ましいと感じていたが。


 そうした小さな違和感に答えが出たのは、ある日の夜のことだ。魔法の扱いも教えていこうと座学と瞑想、簡単な術式を教え始めた頃の話である。


 月の美しい、静かな夜だったことをよく憶えている。


「……なん、だ。魔力?」


 小さな魔力を感じて、ロナは寝台から身体を起こした。

 庵の外からだ。トイレは母屋の外に作られている。クレアが起きて母屋を出ていったようだが……と、ロナは立ち上がって様子を見に行く。


 大した魔力の量ではなかったが、何か感じたことのない魔力の使い方だったのが気になる。


 こっそりとロナが魔力の出所を覗けば――そこには衝撃的な光景が広がっていた。


 幼い少女が小さな土の人形を踊らせていたのだ。その指先からは細い魔力の糸が伸びていて、足元の土の人形の四肢に繋がっている。


 お辞儀をし、くるくると回り、飛び跳ね、舞い踊る土人形はまるで生きているかのようだった。月明かりの下で幼い少女が人形を踊らせる、幻想的な光景がそこにはあった。


 予想もしていない光景だった。様々なものを見てきたロナが思わず息を飲んで見入る程の見事な技術。そう、魔法ではなく技術だ。見ていて気付いた。


 驚くべきことに、クレアは人形を魔法で踊らせているのではない。糸がしているのは土人形が崩れないように保っているだけで、あくまでも手と指、糸の動きで人形を操作している。技の熟達が必要なことであり、初めて感じる波長のこの術を、どこかでこっそりと練習していたとは考えにくい。


 まだ魔力の偽装も隠蔽も教えていないのに、ロナに隠れて行うというのは不可能な話だ。事実、クレアはその魔力を無警戒に垂れ流しにしている。


 まだ理由は分からないが、それまでに感じていた違和感の正体もそこにありそうだとロナは得心した。


 では、糸の術そのものは? あれだけの精緻な形に魔力を整えるのは中々に難易度が高い芸当である。ましてや、それで人形を操るなど――。


(――あれは、固有魔法か……!)

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