第146話 孤狼が求めるものは

 孤狼の表情にあるのは歓喜、だろうか。口の端を歪ませ、牙を見せるようにそれは笑っていた。表情がある。向けてくる感情の機微を隠しもしないのは強者故だ。魔力も感情も、隠す必要がない。


 護衛隊の面々は一言も発さない。武器に手をかけ、何か魔法を放つか。跳び込んでくるのか。狼の動きに注意を払いつつ次にどう出るかを見極めていたからだ。

 緊張と恐怖はある。それでも弱音を吐いたり逃げ出したりする者がいないのはその練度と規律の高さ故だろう。


 ゆっくりと、孤狼はその顔を見回しながら臭いを嗅ぐように鼻をひくつかせていた。

 だが、やがてその表情に少しだけ変化が生まれる。最初、その表情と感情にあったのは歓喜と期待であったが、次にそこに見えたのは――。


「落胆……?」


 クレアが小さく呟くように言うとリチャードもぴくりと反応する。

 魔力波長にもそれは現れているように思う。どこかに敵意すら含んでいた圧力が変化と共に霧散していくのが分かったからだ。


 それが、こちらを侮っての事であれば一人の武人としては腹立たしいことではあるのだろう。だが、多分そういう事ではない、とリチャードには感じられた。

 孤狼の動き。視線の動き。その僅かも見逃すまいと注意を払っていたが、孤狼の注視や興味の対象は、主に護衛についた兵士達に向けられていたように感じられたからだ。


 つまりそれは――王国兵、ないし辺境伯領の兵士の「誰か」を探していたのでは、とリチャードは推測する。

 孤狼の様子はと言えば。

 クレアの発した小さな呟きに反応したのか、初めて視界に入ったというように今度は兵士達の少し後ろで護衛対象となっているクレアを注視していた。


 黄金の瞳がクレアを真っ直ぐに見つめる。動かない。

 見つめたまま注意を向けているが、先程とは違い敵意混じりの興味ではない。やはり先程と同じように鼻を動かして嗅覚で何かを感じ取っていたようだった。クレアもまた、孤狼から何かを感じ取ろうかとするように真っ直ぐに見ていた。


 暫く見つめ合っていたが、一瞬孤狼は目を閉じる。そこにあったのは「納得」だろうか。そうリチャードが思った瞬間、もう用は済んだとばかりに孤狼は大樹海の方に視線を向けて、のっそりとそちらの方向へと動き出す。


「あの……」


 クレアが声をかけると孤狼は動きを止め、再びクレアに視線を向けた。


「もしかして、誰かを探していたのではないですか? 事情があるのなら、聞きたいところなのですが」


 物怖じしないものだとリチャードは苦笑しつつ、クレアの言いたい事には全くの同意だった。頷いて言う。


「確かにな。言葉が通じるかは分からないが、王国兵に何か思うところがあるのなら把握しておきたいところだ」


 孤狼はクレアやリチャードの言葉を受けて何かを考えているようにも見えたが――やがて襟元あたりの被毛が波立つように動いて、そこに隠されていた何かが現れる。孤狼が軽く首を振ると、放物線を描いてそれが地面に転がって軽い金属音を立てた。


「……兜……?」


 そう。それは辺境伯領の兵士達が使っている兜と同じものに見えた。


「拝見します」


 クレアがそう言って前に出るとグライフやセレーナ、ロナとディアナもそれに続く。


「私にも見せてもらおう」


 リチャードも言って前に出ると護衛隊の何人かも共に前に出た。

 辺境伯領の兵士の誰かを孤狼が探していたとなれば、それはリチャードにとって既に他人事ではないからだ。詳しく知っておく必要がある。ニコラスも前に出ようとしたが、ジェロームが「お前はシェリー殿を護るように。私が行こう」と前に出る。


 両者の間には少し距離があったが、孤狼はその場から動かず、静かにクレア達の動きを見守る。


 転がっている兜のところまで行く。クレアは「臭いが混ざると良くないですからね」と手を触れず、魔法を使ってそれを浮かせて観察を始めた。


「確かに、辺境伯領の兵士さん達が使っている兜……と同じようなものには見えますが……」

「形はそうだな。誰の使っていたものかまでは――イアン。少し兜を借りるぞ」

「はっ」


 護衛として前に出てきた兵士の兜を受け取ったリチャードはそれを浮かぶ兜と並べるように前に掲げて観察する。


「……鉄の種類が違う、ような気がしますわ」


 そう言ったのはセレーナだった。それが観測できるのはセレーナの目の固有魔法があればこそではあるだろう。


「少し兜に触れるが……。私の臭いも覚えて違いは嗅ぎ分けられるだろうか?」


 リチャードが尋ねると、孤狼は鼻を軽く動かした後で目を閉じるようにして頷く。


「では」


 リチャードは折り曲げた指で兜を軽くノックするようにして違いを調べる。


「……違う、な。辺境伯領で使っている兜の鉄とは」


 音の響き方。色味、厚み。僅かな違いがそこにはあった。孤狼もまた、二つの兜を見比べて、耳を僅かに動かして音の響き方に注意を払っていたようだ。


「鉄の組成の違い、ですか。なるほど」

「あんたの探している相手は、王国兵ではないかも知れないね」

「まあ……そういうものにを用意する勢力に心当たりはありますが。一応裏付けは必要でしょうか」

「そうだな。大樹海で捕獲した帝国斥候兵から鹵獲した兜も領都にはある。まだ近年のものだ。それと比べる事が出来れば何かが分かるかも知れない」


 リチャードがクレアとロナのやり取りに答えると、孤狼がそれをじっと見てくる。


「んー……。そうですね。手紙を認めて頂ければ、この子にならすぐに領都から帝国兵の装備を持ち帰ってもらう事もできるかと」


 クレアが言うと、スピカがクレアの襟元から顔を出した。


「それでいくとしよう。領域主の怒りの矛先が間違った方に向かっては困る」


 リチャードがそこまで言うと、孤狼はどっかりとその場に腰を落ち着けたのであった。




 スピカが帝国兵の兜を持ち帰ったのはそれから暫くしてからの事だった。


 先程と同様に兜を軽く叩いての音や色味、厚みを比べ、クレアが手を翳して魔法的な解析を行い、セレーナも視覚の固有魔法で比較を行う。


「似ている、な」

「確かに。解析した感じも近いものがあります」

「近い……ように見えますね」


 リチャード、クレア、セレーナが異口同音に似ている、と口にした。

 観察して音に耳を傾けていた孤狼の表情にも変化がある。得心いったというように、牙を見せて笑ったのだ。今度こそ、殺意を感じさせるような獰猛な笑みだった。

 この場にいる者達に向けられたものではないが、心胆寒からしめるには十分な圧力がある。

 孤狼は再びのっそりと前に出て、首を差し出す。兜を戻せ、という事だろう。


 クレアが浮かせた兜を前に送ると、再び体毛がざわめき、その中に呑み込んでしまう。


「あの……余計な事かも知れませんが、私は今後この近辺にいる事が増えるかも知れないので、もし今回の事で何か困ったことがあったら、また来て下さい」

「そうだな。こちらでも調べられる事はある。それで何かが分かれば伝えられることもあるだろう」


 クレアとリチャードが言うと、孤狼はそこで頷いたのか、それとも感謝を示すためか、軽く首を縦に動かした。それから身を翻して軽く跳躍し、大樹海の中へと跳び込んでいった。


「……仮に帝国の者が下手人だとして。領域主に何の目的でどんな手出しをしたのやら。王国に濡れ衣を着せようとしたというのは間違いないが」


 孤狼を見送り、リチャードが言う。

 先程のような移動速度ではないものの、孤狼の魔力反応はかなりの高速で木々の間を抜けて遠ざかっていく。ややあって、一同からようやく緊張が薄れていった。


「大丈夫、だったかしら?」


 シェリーが心配しながらも前に出てくる。護衛達から孤狼に近付けられないように遠ざけられていたのだ。兄から護衛を行うように言われたニコラスも一緒だ。

 二人ともクレア達の事が心配ではあったが、とりあえずの危険が無さそうな事に加え、シェリーを守る兵士達の立場を考えると動けずにいたのである。

 領域主も落ち着いている状況だ。下手に動いて刺激をしたくないというのもあった。


「はい。最初は緊張しましたが、攻撃はしてくるつもりがなかったようですので。シェリーさんは大丈夫でしたか?」

「そう、ね。確かに恐怖もあったけれど、私の場合は――孤狼を見た瞬間からどっちかというと……見惚れてしまっていたから。何て綺麗な生き物なんだろう、って」

「はは。シェリー殿はシェリー殿で大物になりますな」


 ジェロームが少し笑って言うと、兵士達も応じる。


「確かにシェリー様は大物でいらっしゃる」

「俺なんて震えがきてた」


 そんな言葉に兵士達の間から笑いが漏れた。


「まあ、領域主と間近で接する機会など滅多にあるものではないからな。結果から見れば武官として良い経験になったと言えるだろう」

「そうね。私もクレアが孤狼と向かい合ったところは絵に残したいぐらいだったわ」


 シェリーが言う。先程の光景への最大限の賛辞のようなものではあるだろう。

 クレアも口元に少し笑みを浮かべて応じる。

 それから――クレアは恐らく大樹海の北方へ、臭いの追跡に向かったであろう孤狼の目的だとか、その結果であるとかに想いを巡らせるのであった。

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