第147話 呼応する者は
クレア達は領都に戻りながら地図を広げ、馬車の中で話をする。勿論、孤狼に何があり、何の目的で動いていたのかを考えるためだ。
大樹海の地図上にはロナが魔法で光点を浮かべている。光の場所は色分けされており、青い光が孤狼の領域で、黄色い光が孤狼の目撃された場所となる。
目撃情報はやはり王国側に集中している。広い範囲を移動しているのが見て取れるが、大樹海外縁部――王国兵が巡回するルートでも多く目撃されているのは、孤狼が領域に立ち入った王国兵の行方を捜していたからに他ならないからだろう。
「孤狼は元より領域を留守にすることがあるからな。察するに、空き巣に入られて孤狼の領域にあの兜が残されていたのではないかな」
「ヴルガルク帝国が王国兵への工作活動の一環として領域主とぶつかり合うように仕向けたか、それとも何か手出しをするために王国兵に矛先が向くよう偽装したか、かしら」
リチャードが言うと、シェリーも思案を巡らせて口を開く。
「具体的に孤狼が何をされたかまでは分かりませんが、兜に使われている鉄が帝国産の可能性が高いと分かった時の……あの様子を見ていると報復に動いているように思います」
クレアの言葉に馬車内の面々も頷く。別れ際に見せたのは殺意を感じさせる威圧的な魔力だった。少なくとも、平和的な用ではないだろう。
「領域主達の考えている事は分かりませんが……帝国や人間の考えている事なら利害で推測することはできるかと」
「……ふむ。孤狼とその領域がある場所――。それを帝国という視点で見ると、あの者達ががちょっかいを出したがる理由も分からないでもない」
ジェロームの言葉を受け、地図を見つめていたリチャードがそんな事を言った。
「どうしてですか?」
「孤狼がいなければ、王国側に大樹海を打通できる可能性が高まるからだ」
リチャードはそう言いながら地図に軽く触れる。何回か折れ曲がりながら帝国から王国まで一本のラインを引くようにリチャードが指を動かした。そのライン上に、孤狼の領域がある。
「孤狼がいなければ難所を避けた道筋を構築できるようになる。それでも大樹海の常として魔物が多いというのは変わらない。派遣する規模が大きくなれば大樹海を抜ける事自体に大きな困難が伴うというのは間違いがないが……」
「兵員の損失を帝国は気にしないだろうが、まあ、その後で王国と一戦交えると考えたら、今日明日でどうにかなるってもんでもないだろうね」
帝国は支配下に置いた国や民族の戦奴を用いる。それによる物量こそが帝国の強さを支えている部分が確かにある。
「しかし、軍を派遣しないまでも少数精鋭の工作員を迅速に送り込みやすくもなる、か」
グライフも自身の顎に手をやって思案を巡らせる。
「そうだな。先だっての王国内の諜報部隊壊滅を受けて再構築が帝国にとっての急務であるというのは間違いない。長期的には軍の派遣は可能性。短期的視野ならば諜報員、工作員の派遣が目的としては分かりやすい。領域主自体が目的というのも有り得るが、私であれば好き好んであれらや遺跡絡みに触れたいとは思わんね」
リチャードは目を閉じて首を横に振った。辺境伯領の領主として、大樹海に眠る存在には色々と思うところがあるのだろう。
「その辺、帝国出身の協力者は理解していたのだがね」
リチャードが言う協力者というのはウィリアム達のことだ。王国内の工作活動をする立場としてどうしても大樹海を行き来することが増えるため、彼らは大樹海の危険性への解像度が高かった。
では、その後任となった者達はどうなのか。危険性を理解していたとしても通り一辺の知識の上だけでの事。皇帝の意向もあるのなら、結果を出すことが求められている。であれば、早まった行動に出てもおかしくはない。或いは、皇帝自身も許可しての事なのか。
実働部隊が動き、領域主に報復を受ける程度の事はどうでも良くて、それによって王国に被害や混乱が広がるのならば儲け物だとやらせてみただとか。
リチャードに分からないのは、危険性を度外視し、グライフやイライザのように有能な子を捨て駒にしてまで大樹海に手出しをする理由だ。
領域主は対処一つ間違えれば城一つ吹き飛び兼ねないような怪物達で、遺跡絡みとなればそれ以上の災厄を呼び込むかも知れないというのに。
突き動かすのは狂った野心なのか。帝国の内情に何かが不安でもあるのか。それとも……皇帝自身に焦りのようなものでもあるのか。
同じ為政者という括りではあるが、大勢の命を天秤にかけて動かすことをリチャードは軽くは考えられない。皇帝エルンストとは分かり合えそうにないなと表情には出さずに内心で溜息を吐く。
同時にやはりクレアには何かあるのだろう、とも思う。
孤狼は手がかりとなる兜の事とは無関係にクレアに注目し、興味を示し、その言葉に耳を傾けていた。何かと遺跡や領域主に縁のある、出自不明な見習いの魔女。興味があるし色々とルシアーナやニコラスに聞きたいこともあるのだが、戦士としての矜持にも関わる事だ。
肉親であってもそこは蔑ろにしないと決めているリチャードとしては、無理に聞き出すような事はしていない。ロナもクレアも人柄的には信用に値すると思っているからだ。いずれ知る機会も来るだろうと、そんな風に構えつつも注目はしておこうと構えているのであった。
大樹海の中を走る。走る。領域主にとっては魔物達も深い森も、何の障害にもならない。行動を起こす際に問題になるとしたら精々が他の領域や遺跡絡みぐらいのものだが、この場合はそれに当てはまらない。
北方に向かって移動した孤狼はすぐに帝国側へと移動することができた。自分の領域に侵入し、事を成し、偽装したとして。
そして逃亡したのだとするならばそのルートというのは限られる。人間のすることであるなら、難所はどうしても避けざるを得ないのだから。
広大に見えて、人間が通る事のできるルートというのは限られているのだ。それを――大樹海を自由にうろついている孤狼以上に熟知している存在はいない。
人間の使える道に、重点的に絞って調査を行う。足跡に残された――それは臭いの糸だ。魔力で強化した嗅覚。人間が通った時に残る折れた枝葉。足跡の痕跡。辿る手段はいくらでもある。
やがて人間に使える経路の中からそれらしき痕跡を見つけ出した孤狼は、口の端に牙を覗かせるように獰猛な笑みを見せた。時間は経ってしまっているが、問題はない。追える。
そうして――その僅かな痕跡を追って更に北方へ、北方へと移動していった。
やがて大樹海を抜ける。帝国側に行けば行くほど。大樹海が浅くなればなるほど「彼ら」の偽装や行動が雑になっていくのが孤狼には感じられた。
油断や安心。早く帰りたい。そういったものが彼らを雑にしたのだろう。だから。続く痕跡が真っ直ぐに街道へと向かうのを感知し、孤狼は笑う。
街まで辿り着けば。そこから得られる情報と情報を得るための手段というものは増えるのだ。何より、彼らは孤狼の領域から持ち帰ったものがある。それが命取りとなるだろう。
――さあ。もうすぐだ。
街道には孤狼を見て腰を抜かす者。逃げ出す者と様々だが、孤狼は意に介さない。無人の野を行くがごとく進む。そうして、大きな街を見つけた孤狼は天高く咆哮を響かせた。
王国兵の居場所を探るために使った遠吠えと同じだ。音の反射を形として感知することのできる、孤狼の術。
但し、この場合、呼応するのは狼達ではない。人間達の営みの中で、王国であれ帝国であれ、切り離せない物がある。即ち、猟犬、飼い犬、番犬達だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます