第148話 蒼銀と黒衣

 遠吠えが届くものの形が脳裏に浮かび上がるようにして、孤狼の認識内に置かれた。


 ――見つけた。この場所だ。


 領域から奪われたものは城の地下だ。

 城にも軍用犬がいる。それらによって遠吠えを地下区画まで届かせることができた。だから、奪われたものの周りに人がいるという状況も把握できている。


 それの周囲に人間がいる。そいつらが今回の件に関係している、というのは間違いないだろう。


 さて。通常人間の街は周囲を結界で守っている。だが、それが何だというのか。こうした結界はもっと小さな魔物達の襲撃を想定したもので、領域主の襲撃を想定したものではない。


 人間の構築する結界も外壁も、それ以上の力を叩きつければ壊れるものだ。


 孤狼の姿を確認して、動き出している帝国兵達の姿も見えている。街道でも騒ぎになっていたが、人が知らせるよりも孤狼の動きの方が遥かに早い。


 だから――今頃になって外壁の上が騒がしくなって、緊急事態を知らせる笛も吹き鳴らされていた。

 だが、結局孤狼を相手に立ち回る手札を持っていなければ、数を頼みにしたところで何の意味もない。


 孤狼の四肢に、暴力的な魔力が満ちる。青白く噴き上がる魔力の中で、笑みの形に口の端が歪み、白い牙が覗いた。

 大きく息を吸い込むように溜める仕草を見せて、その次の瞬間に。


「ルオオオォォォオォッ!」


 咆哮がそのまま巨大な衝撃の砲弾となって、外壁に叩きつけられた。


 結界と衝撃咆哮が激突した瞬間に弾ける火花。拮抗は一瞬だ。

 轟音と振動。崩れ落ちる瓦礫と共に土煙が立ち込める。


 やはり、結界も外壁も耐え切る事が出来ない。


 孤狼の眼前。正門ではなく、その上部の壁が崩れ落ち、穿たれたところから弾けるように結界も散っていった。

 孤狼の行動には躊躇がない。結界と外壁を砕いたのを見届け、そこから真正面から跳躍するようにして、集まってきていた兵士達の頭上を飛び越えて孤狼は悠々と帝国の街――その大通りに降り立っていた。


 対応のために騎士や兵士、魔術師も集まっていたが、いきなりすぐ近くに領域主に踏み込まれたという状況だ。

 現場対応に当たろうとしていた矢先に本陣まで一息に跳び込まれた。


 巨大な狼が目の前にいるという、現実味のない光景だ。理解が追い付かずに呆然としている者が大半だったが、孤狼が歩を進めるとそれぞれに反応が分かれた。


 腰を抜かす者。圧倒されて動けない者。中には恐慌状態のままに槍を向けてくる者や、少数ながら闘志を見せて雄叫びを上げて向かって来る者もいた。


 しかし――利かない。全体重を乗せて突き込んだはずの槍も、大上段から打ち込んだ剣も、蒼銀の毛皮と魔力の防殻を突破することができない。

 まるで分厚い金属に叩きつけたような音だ。巨体とはいえ、とても狼の身体とは思えない感触。


 孤狼に叩きつけた武器を引くことができない。体毛がからめとるように動き、武器をへし折ってしまう。


 魔法ならばどうか。これも同じだ。火球や氷の槍や紫電が、手を変え、品を変えて叩き込まれる。だが、それらも何の痛痒も与えていないようだ。

 堪ったものではないのは、孤狼の近くにいた兵士達だ。彼らがいてもお構いなしに叩き込まれたために巻き込まれて吹き飛ばされていた。


 敵国の戦奴を最前列に立たせて矢や魔法を叩き込むというのは、帝国が時折やる戦法ではある。人間相手ならそれも効果があるのだろうが、孤狼相手では意味がないものだ。


「お、おのれ! この畜生如きがッ!」


 真っ直ぐに歩を進めてくる孤狼に、拵えの良い鎧を纏った騎士が激昂し、斧槍を振り上げて叩きつける。毛のない部分――鼻面を叩くような一撃も、防殻によって留められていた。


 逆に鼻で押しのけるように下から上へ。巨体の騎士が木切れのように宙を舞い、大通りに叩きつけられる。


 歩みは止まらない。転がった騎士を巨体が踏みつけにする。踏みつけたまま、前方の人垣が無くなったところで跳躍した。

 鎧のひしゃげる音と骨が軋む音に、騎士の苦悶の悲鳴が重なった。止めは刺さずそのまま大通りの離れた位置に降り立つ。後は――城まで遮るものがない。


「だ、駄目だ! 何も利かねえ!」

「クソッタレ! この化け物がッ!」


 まだ未練がましく魔法を撃ち込む者はいたが、次は自分が騎士のようになりかねないと躊躇する者もいれば、気まぐれで見逃されたと理解し、これ幸いと逃走を始める者もいた。大樹海に近い都市であるため、領域主の恐ろしさというのはある程度の理解があるのだろう。


 孤狼が積極的な攻撃に転じないのは、まだ報復の範疇にない相手だからだ。

 その場に居合わせ、侵入者を排除しようとしているだけの人間達という括り。狩りの対象でもない。あくまで邪魔をするというのなら除けて進むだけだ。


 それよりもだ。孤狼の報復対象となる相手は城にいる。追跡してきた臭いも城へと続いている。領域に侵入した者達もそこにいるのだろう。

 孤狼の侵攻速度に追いつけていないのだろう。今頃になって跳ね橋が持ち上がろうとしていた。孤狼はそれを見て取った瞬間に走り出す。クレア達との距離を詰めた時と同じ、疾風のような速度で蒼銀の影が突き進む。


 衝撃咆哮と共に跳躍。城の結界をぶち破りながら、持ち上がっていた跳ね橋も、城の正門側を固めようとして板兵士達の頭上も飛び越えて、城の中へと孤狼は跳び込んでいた。


 止まらない。乗った勢いのままに走る。城の構造は遠吠えの時点で把握している。


 勢いのままに城の壁を走り、孤狼が出たのは城の中庭だった。


 上手くすれば一気に目的の場所まで辿り着けるという――その時だ。


 ぴくりと孤狼の耳が動き、初めて前進以外の動きを見せた。迷わず横跳びに跳躍する。一瞬遅れて黒い砲弾のような何かが、上から落ちてくる。


 轟音が響き渡った。中庭の地面を割り砕き、土煙の中で黒い影が揺らぐ。


「やれやれ。きっちり報復にきやがったか。うちの連中にも見習って欲しいぐらいだが」


 揺らぐ影の声。その影に孤狼が鼻を動かしてから獰猛に笑った。追跡してきた臭いの一つだ。


「無差別に殺戮するって性質じゃねえんだろうがこいつは……。俺は報復の対象で、他の偽装要員連中じゃ一方的にぶち殺されて終わりか。ま、あいつらの事はどうでもいいが、北方のうすのろ共よりも面白そうな戦いが出来そうだ」


 土煙が薄れてくる。黒衣の男だ。武器や防具は身に付けていないが、あまり感じたことのない魔力を宿している。先程の攻撃から言って、固有魔法持ちの可能性が高いと孤狼は判断する。警戒に値する相手だ。


 それは正しい。第二皇子ヴァンデル。不壊の異名を持つ男だ。

 戦場で傷一つ負った事がないことに由来する二つ名。勿論、そんな事が固有魔法も抜きにできるわけもない。固有魔法とは言うが、その力は非常に単純だ。頑強にして、怪力無双。ただそれだけを突き詰めた身体強化の極限。


 黒衣の皇子――ヴァンデルは重心を落とし、拳を構える。

 その、次の刹那。間合いが一瞬で詰まり、互いの攻撃が交差していた。間合いを詰めたのは孤狼。迎え撃ったのがヴァンデルだ。暴風が吹き抜けるように。真っ直ぐに突っ込んできた孤狼の身体がヴァンデルの身体のすぐ近くを通りすぎ、斜め上方に軌道を変える。孤狼が軌道を変えたというよりも、ヴァンデルがその武芸を以って力の向かう方向を逸らしたという方が正しい。


 但し、孤狼もまた、正体不明の相手に真正面からぶつかるような事はしない。

 それでも単なる牽制というような温い攻撃ではない。硬化させた被毛による高速の突撃は、ただ掠めるだけでも肉を引き裂く威力を持つからだ。しかし、引き裂かれたのは黒衣の腕の部分に留まる。


「おー! おっかねえ技使いやがる!」


 中庭の地面を砕き、ヴァンデルもまた孤狼を追うように空中に跳ぶ。孤狼は空中で身を翻すと、城の壁を蹴って反射するように戻ってきていた。


 互いに勢いのままにぶつかり合う。本来拮抗するような体重差ではないが、固有魔法の暴力的な身体能力はさながら砲弾だ。重い衝撃が走り、互いの身体が弾かれて着地――した次の瞬間には再び互いに向かって跳び込んでいく。


 単純な身体能力は固有魔法。しかし戦闘における技術は後天的に身に付け研鑽したものだ。彼の師に当たる人物がまだ小さい頃のヴァンデルの身体能力を、技術のみであしらったことから、それに感銘を受けて現在も技術の研鑽を行っている。

 全ては自分よりも強い生き物。大きな生き物と渡り合い、その手で打ち滅ぼすために。戦闘狂の皇子。それがヴルガルク帝国第二皇子ヴァンデルであった。

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