第196話 塔の最上階へと

 膝をついたネストールが小さくせき込み、口から血が零れる。魔力で形成されていた黒い鎧が、形を維持できずに消失する。


 ネストールも武装が維持できないことに訝しげな表情を浮かべ、素手になった自分の掌を眺める。


「体内に魔封の結晶を生成し、残してきました。上手く固有魔法を操る事はできないはずです。捕虜となる事を望みますか?」


 クレアが言うと、ネストールは目を閉じて笑う。出血量が多く、息もうまくできない。太い血管を傷つけ、肺にまで達する傷。治療するのであればかなり高度なポーションが必要だろう。

 ネストールは斧槍に手をかけて立ち上がろうとするが、力が入らない。気付けば部下達の戦いも大勢が決したのか、まだ戦うつもりのネストールからクレアを守るようにグライフが近くまで来て構える。


「続行、は……無理か。確かに……すぐに治療をせねば死ぬな、これは。だが……俺は武人として生き、武人として死ぬ。そう……決めて、生きてきた。朽ちていこうというこの歳に、これほどの相手にも……恵まれた。後悔は、ない」

「その固有魔法故に、ですか」

「そうだ」


 ネストールはその固有魔法の性質上、捕虜にすることが難しい。従属の輪も呪いも無効化し、物理的に捕縛をしたとしても硬化させた魔力でどうにでもできる。クレアのように本当に特異な手札がなければ無力化もできないだろうし、それも完全ではない。


 だから、ネストール自身も自分が敗れる時は死ぬ時だと考えてきた。捕虜となる事は望んではいない。自身もまた死ぬまで抵抗することを止めまい。戦いの中での死こそが本望なのだから。


「止めを望みますか?」

「ああ。そうしないのならば、自分で望みの、ままにする……までだ。今とて魔力を暴走させ、内側からの硬化と爆裂で、一人でも敵兵を多く巻き込んで死ぬ……ぐらいの事はできるかも知れんぞ。情報収集や、交渉に使うなら、部下共で、すると良い」


 ネストールがすぐさまそれを実行に移さないのは、クレアが殺してはならないと厳命されている相手であるからに過ぎない。この状態で暴走させたとて、この娘であれば対処し切るのだろうという予感もあったが。


「……わかりました。情報収集なりは他の者としろと言いながら、部下の助命の策のようではありますが」

「ふ……」


 ネストールがクレアの言葉に小さく笑う。

 治療……ポーションの効果とて、ネストールがそう望むのなら阻害だってできるのだろう。

 クレアが動こうとすると、グライフが前に出ようとする。だが、クレアは兜のバイザーを上げて、グライフに真っ直ぐな視線を向けた。


「私の望みの結果は、私が負うべき責任でもあります。これも倒した私がするべき事でしょう。そういう主でいさせてください」

「……分かった」


 戦いもその結果も。自分の意志だ。誰かに押し付けるような事はしないし目を背けない。暗部の行いも自分の意志で背負う。そういう意味の込められた言葉だった。

 グライフはその意図するところを汲んで、静かに頷く。そんなやり取りにネストールは満足げに笑うと、クレアに尋ねた。


「名前を、聞かせてもらっても?」

「クラリッサ=アルヴィレト。育ての親にはクレアと名付けられました」


 クレアはネストールだけに見えるように偽装魔法を一時的に解除して名を名乗った。


「そう、か。姫君に感謝する」




 ――そうして、塔の看守達は制圧された。


 クレアはロナが大樹海にて帝国の諜報部隊の自意識を魔女の術を用いて奪った時のように、敗れた看守達の中で息のあった者達の自意識を奪った上で、命に別状がないと言える程度の治療と拘束を行った。その際、拘束部分に魔封結晶も仕込み、念のために魔力の動き自体も封じてしまう。


 まずは状況の確認からだ。クレアが仕込んでおいた結界での監獄内外の分断は今も維持されており、今も看守達は各所を封鎖している結界を解いてどうにか脱出しようだとか、外に非常事態を知らせる手段を模索しているところではあった。


 ただ……そちらも糸で把握している限り、解除も難航しているのが見て取れたので問題ない。仲間達も少し手傷を負ったがいずれも深手と呼べるものではなく、手持ちのポーションだけで十分に回復できるものであった。作戦継続のための体力、魔力、気力に関しても問題はないように見受けられた。


「怪我がなくて良かったですわ」

「クレアは……大丈夫か?」


 セレーナやグライフが言う。仲間達も心配している様子ではあるが、クレアは安心させるように静かに微笑んで応じる。


「私も、大丈夫ですよ。今は予定通り……まだ調べていない場所の安全確認をしながら塔の上階へ。その後で他の看守達の確固撃破、制圧と人質達の救出、脱出を考えましょう」


 クレアの言葉に頷き合い、隠蔽結界を再度展開。未調査の区画を調べていく。


 訓練所に併設するような形で厨房、食堂。浴場等の施設も存在している。3階は――ネストール用の職場、という印象だ。大きなホールの外縁部にいくつかの部屋があるという構造は1階、2階と同じであるらしい。

 執務室、資料室兼書庫はこの階にあった。


「書類や資料の類は全て持って帰ります。糸で梱包と回収作業を進めておきますね」


 小人化の呪いで縮小。持ち帰ってからじっくりと中身を検めていけばいい。書棚等の並びをできるだけ乱さないように糸で作業を進めつつ、クレア達は更に上の階へと進む。

 4階はホール部分が大きな鉄の門で閉ざせるようになっている防衛用の設備となっており、そこに食糧庫、予備武器の保管庫といったものが置かれている。多勢に攻められた際の最終防衛ラインなのだと思われるが、気付いた時には内側に潜り込まれていたために、この場所で迎え撃つという形にはならなかったのだろう。


 ともあれ、そうした扉や障害物も人員がいなければ意味がない。


「……6階は無人。最上階に2人。反応があります」


 外から計測した塔の高さと登って来た高さから言うと、そこが最上階になる。


「最上階にルーファス様がいるとして……もう一人、ですか」


 セレーナが思案しながら言う。


「……反応からすると2人とも従属の輪を付けられているようですね」

「となると、両者とも人質側か」

「断定はできませんが、その可能性が高そうですね」


 ウィリアムとイライザが言う。階段を昇っていくと6階の入り口部分に鉄格子があった。ニコラスが固有魔法で開錠し、内部へと進む。

 6階は小さな食糧庫や厨房、風呂といった生活空間が整えられている。人質達である程度の自活ができるように、ということだろう。こうした空間が与えられているのは最重要人物だからこその扱いなのかも知れない。


 確認作業を終えると頷き合い、クレアは覚悟を決めるように深呼吸を一つしてから最上階へと向かった。入口は下階のように鉄格子等があるわけではない。ホール部分の3分の1程が壁で区切られており、大きな部屋になっているようだ。


 そこに続く鉄格子の扉部分を守るように調理用のナイフを持って立つ女が1人。

 歳の頃は50代後半ぐらいだろうか。女の正体は不明だが、少なくとも戦闘員には見えない。魔力は強くないし表情も少し青ざめており、武芸の心得があるという佇まいでもなかった。下階の騒動に気付いて上階に移動したのだろう。


 クレア達の姿を認めるとナイフを握りしめながらも、よく通る声で言った。


「この格子の奥にいる方は、やんごとなき御方なのです。あなた方の目的は分かりませんが、決して傷付ける事の無きよう」


 察するに――最上階の人物を世話する係。もしかするとアルヴィレトの民かも知れない。


「わかりました。決して傷つけないと誓います。私達は、ルーファス様の救出に来たのです」


 クレアが胸に手を当ててそう言うとその人物は、一瞬呆けたような表情になったが、安心したのだろう。ナイフを下ろして安堵したように息を吐いたのであった。

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