第245話 静寂の戦場で
悲鳴も怒号も剣戟も静寂の中に呑み込んで、ダークエルフ達の進軍は続く。
その中にもグロークス一族や獣化族も参加している。グロークス一族は走竜に騎乗していることによる機動力と重量が持ち味だ。
兵科としては騎兵だが、走竜は馬ともまた違う。
二足で走り回り、前後左右への自在な跳躍や、後ろ脚や尾で何かに捕まるなど、馬よりも立体的で変則的な動きを得意とする。牙と爪を持ち、強靭な尾を備え、それらも正しく強力な武器となるのだ。山岳や森林、崖といった険峻な地形への適応力が高いということもあり、立体的な動きを見せながらも尋常ではない平衡感覚を持つ。
反面、四足ではなく二足。変則的な動きは激しく乗りこなすのは難しい。それ以前に乗る相手を選ぶためにグロークス一族の相棒にしか背を預けないし、知性の高さと動きの自由度故に、独自の判断を下すこともある。乗りこなし、呼吸を合わせることができるのも共に生まれ育ったグロークス一族の者だけだろう。
人馬一体、とはよく言われる言葉ではあるが、騎馬兵よりも単純に手数が多く、グロークス一族と走竜は非常に強力な騎兵と言えた。
当たるを幸い蹴散らし、それを避けた相手を背中のグロークスの戦士が槍で突き崩し、迎え撃とうとすれば寸前で横跳びに跳びながらの短弓からの騎射を見舞う者もいる。突撃してくる走竜の一団に、慣れない静寂に苦戦しながら隊列を組んで槍衾を作った帝国兵もいたが――走竜の足下を疾駆して抜けるように前に出てきた者達がいる。
獣化族の中でも身軽な者達だ。獣化族は個人個人で差異が大きく、変身する動物の種によって変わる。狼や犬、猫系の者達がそれだ。走竜と並走できるほどの速度。
慣れぬ無音の空間の中でグロークス一族の突撃にどうにか備えていた兵士達は、対応するために視線を高い位置に向けていた。だから――地を這うように疾走してきた獣化族を認識できず、槍衾の下から潜り込まれて懐から爪の連撃を浴びせられた。槍を構えていたところに懐に入られては反撃すらできない。
というよりも、グロークス一族を抜きにしても槍衾では獣化族を捉えることはできなかっただろう。反射神経や瞬発力も野生動物並みなのに判断力や知性は人のそれだ。小回りの利かない迎撃の構えでは対応ができない。
では弓兵や魔術師といった、飛び道具を主体とした者達ではどうか。
こうした相手はダークエルフ達が精霊を用いて機能不全に陥れていた。暗闇を作り出して視線を遮ることで遠距離からの狙いをつけられなくし、土壁で遮蔽物を構築することで接近するための基点を作る。そこに妖精人形の先導を受けて獣化族やダークエルフ、ドワーフの戦士達が切り込んでくるような形だ。
弓兵、魔法兵では熊や象といった大型の獣化族やドワーフに寄られてはどうしようもない。力任せの殴打や斬撃、打撃で大きく吹き飛ぶ。
そうやって無音の空間の中で暗闇をばら撒いても尚、敵の位置、兵種までもを正確に掴んで相性のいい兵種をぶつけることができるのは、やはり妖精人形による先導が大きい。
闇精霊の作り出す暗闇の空間も、土精霊の作り出す壁も。上空から俯瞰で見ているクレアの視点からは指揮の邪魔にならない。
中には手傷を負う味方もいる。それを助けるのもやはり妖精人形だ。どこからともなく現れたかと思うと、ポーションを振りかけて飛び去る。
消失する時も一瞬。出現も消失も、小人化の呪いを応用したものだ。手傷を負っても妖精人形が迅速に対応するとなれば、兵達はますます勇猛に戦う。敵兵からすれば悪夢のような光景だ。情報を共有して警戒を促すことも、対応策を味方に伝えることも、消音結界のせいで満足にできない。
そうやって外縁部から中心に向かってクレア達は制圧範囲を広げていく。
一方で、帝国側の動きはと言えば。
異常をいち早く察知したのは周囲に探知の網を広げていた魔法兵達だ。彼らは大規模な結界の展開と敵兵の突然の出現を受け、すぐに消音結界に気付いてバルタークや参謀達のところに駆け込もうとした。
したのだが、天幕を飛び出したところで上空から降り注いだ光の矢によってその場で倒れ伏してしまったのだ。
探知魔法を放っている者の位置はセレーナが観測済みだ。異常を察知しても、消音結界が張られているが故に誰かを直接伝令として送り、知らせるしかない。
だから、それを受けて直接知らせに中心部に向かって動こうとしたところを狩り取る。それによって対応を更に遅らせるのが狙いだ。妖精人形から放たれる糸矢によって何人かの魔法兵が倒れ伏すことになったが――別の場所で火の手が上がった。
火。火だ。クレア達の作戦にはないし、その用意もしていない。
帝国兵の中にいた目端の利く者が、嗅覚は平常通りに作用すると、自身の天幕に火を放った形。しかし、その帝国兵にしても最初は戦奴兵の天幕に松明を持って走ったのだ。動いていない戦奴兵を無理矢理にでも叩き起こすことを目的としていたのだろうが、それは戦奴兵の天幕回りに張られた結界によって阻まれた。
ともあれ、燃え上がる天幕によって熱や煙の臭いなどで異常を察知する者が一気に増えた。音は消えても爆発の衝撃や振動自体は伝わる。それを理解したのか、爆発系の魔法を地面に叩きつけて異常を知らせて回る魔法兵も出てくる。それで偽の命令を受け取っている戦奴兵達が動き出すわけではなかったが、陣の外縁部で起きている異常が伝わった者達もいた。
バルタークと参謀、側近達だ。
鎧を纏い、己の得物を手に中心部の天幕から出てくる。バルタークは立派な鎧を纏っているものの、武器は手にしていない。
バルタークは手を掲げ、光を打ち上げてから『動ける者は武装して本陣に結集せよ』と、巨大な魔力文字を形成する。
『襲撃を仕掛けている者達は私が蹴散らそう。陣形を組み、一点突破を狙う』
続けてバルタークの翳した手の上に小さな光る文字が浮かぶ。魔力を操作して文字を形成しているのだ。参謀や側近達との意思疎通はそれでできる。
『戦奴兵を動かし、反撃、は、?』
流麗な魔力操作を行うバルタークと違い、側近の魔力文字は途切れ途切れで時々文字も崩れる。だが、その意志を読み取ったバルタークは首を横に振った。
『静寂と精霊由来の暗黒。それに防護結界だ。発想や戦い方、技術があまりに異質だ。これまで後手に回っていたダークエルフ共の手並みとも思えん。結界の強度からすると相当の術者。これを破り、戦奴兵達を動かすのも難しかろう。撤退し、正確な情報を伝えることも意義があると判断する』
そうして、にやりと笑う。好戦的な笑みだった。
『それに、この状態ではある程度の指揮は取れても複雑な命令は下せない。文字で意思疎通していては作戦も筒抜けになるし、一々命令の度に魔力の文字に視線を向けていては隙を晒すだけだからな。故に、命令と作戦は単純なものを。後は訓練を思い出して言葉に出さず、連携してみせろ。栄光ある帝国の将兵ならばな』
『はっ』
側近達は敬礼すると、集まって来た者達にバルタークの方針を伝えていく。
本陣の周囲に配されていた将兵、武官達だけあって、数こそ少ないが帝国の精鋭であることは伺えた。
『戦奴兵など、いくらでも補充が利く』
『結界を破る間に、被害が拡大することこそ、避けねば、ならん』
『我らだけでも、態勢を、立て直せば、次は奇策への対処も可能』
……というのがバルターク達の見立てであった。
「戦奴兵を見捨てる、使い捨てるという判断はともかく、即座に人をかき集めて撤退を選択するあたり……やはり指揮官として残しておくのは厄介だな」
そう言ったのは、クレア達のところに戻って来て、バルターク達の動きを見て取ったウィリアムだ。
クレアは頷くと、敵陣の中心部――バルターク達のところに目を向ける。
だからだ。バルタークとその側近達は逃がすわけにはいかない。斬るにせよ、捕縛するにせよ、体勢と対策を整えての再侵攻などできないように、彼らはここで叩き潰さねばならない。
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