第190話 黒い魔将
「そう、か」
グライフが静かに言って、クレアも目を閉じる。ルーファスが塔の上階にいる。その情報は二人にとって大きな意味を持つ。
他の者達にとってもだ。背景事情を知っているセレーナは勿論、ルシア達もクレアの父であるということは知っている。その人物を救出するために行動しているが、監獄島での扱いを見ても帝国にとって重要な意味を持つ人物であるという事が窺えるのだ。
恩人の父親という事を抜きにしても、そんな重要人物を救出するというのは帝国に大きな打撃となるのではないだろうか。
他の人質達にしてもそうだ。監獄島のような、脱出も救出も困難な場所に収監しているが、こうやって人質を確保している事が支配する側、される側それぞれに大きな意味を持っている。
そういう背景もあって、他の面々も救出作戦には気合が入っている様子だ。
「えっと。もし上階にいる人も助けるのなら、あたしも手伝いたいなって思ってるんだけど、どうかな」
「それは――」
アストリッドがそう申し出てきて、クレア達は顔を見合わせる。妖精人形も少し考え込むような仕草を見せた。
暴れ出したら面倒だから従属の輪は外せない。
看守達はアストリッドに対してそう言っていた。戦いの心得があるのかは不明だが、確かに巨人族の巨体と膂力はそれだけで脅威になる部分があるだろう。
但し、それは制圧をするならば、という話だ。脱獄をさせないために無力化することと――看守達が自分の身を護るため、或いは他の者達の救出を妨害するために、侵入者やその協力者と戦闘するという事では意味合いもその結果も異なってくる。
「アストリッドちゃんは……戦いの心得があるの?」
「うん。少し変わった力があって……実演して見せたら、作戦も立てやすいかな?」
「隠蔽結界は張ってあるから、大丈夫だと思う」
「それじゃあ」
アストリッドが右手を軽く掲げると、その手が鋭い氷に覆われる。
「仲間のみんなが一緒にいればほんとの力を出せるんだけど……あたし一人でも戦えるよ。武器や防具もいらないし」
アストリッドが屈託なく微笑む。そういう性質を持つ一族なのか、アストリッド特有の固有魔法なのか。
本当の力についての詳細は不明であるが、監獄島に収監されるのが人質としての価値を持つという事を考えるとアストリッドもまた巨人族にとって重要な位置づけにあるのだろう。
「……うん。分かった。それじゃあ上にいる人達と戦いになった時は、私の仲間と一緒に戦おう。夜までに色々話を聞かせて欲しいな。私達も、私達の話をするから」
「うん」
力を合わせて戦うという事であれば、混乱させないために妖精が人形である事や、向かいの牢に隠れているという事についても事前に話しておく必要があるだろう。
そうやって、妖精人形はアストリッドの身体の陰に身を隠しつつも塔について知っている事、自分達の事を話していく。
アストリッドからの情報では入口から入ってすぐ。円卓の周囲にあった部屋で看守達は寝起きをしている、らしい。更に上階に訓練所等もあり、獄長ネストールはもっと上の階にいるというのが塔の看守達同士の会話による断片的な情報で判明した。
看守達がアストリッドの昼食、夕食のために階下に降りてくるのに合わせ、隠蔽結界の範囲を絞り、小人化の呪いで姿を隠す。
そうやってクレア達は夜までの間、看守達の目を盗んで話をし、その間に身体を休めて体力と魔力を温存。作戦決行に備える。
やがて夜も更け、作戦決行の時間がやってくる。
小人化の呪いを用い、アストリッドを牢から出す。クレア達も向かいの牢から出て、糸繭の外で呪いを解除し、中央の通路にて顔を合わせた。
「初めまして。この子――妖精人形を操っていた、クレアと言います」
覆面を外し、妖精人形を掌に乗せるようにして、クレアがアストリッドに名を名乗る。
「は、初めまして。本当に人形、なんだ。生きてるみたいだった」
「ありがとうございます」
そんなやり取りをしてからクレアは仲間達をアストリッドに紹介していった。それから寝床にダミーを置いて脱獄の発覚を遅らせる偽装工作をしつつ、アストリッドには小人化の呪いをかけ、糸繭の中に入ってもらう。
「こんな風に小さくなれるなんて不思議……」
アストリッドはどこか楽しそうに糸繭の中を見回していた。小さく、といっても小人化の呪いを強めるとリスクがあるので、クレア達に比べると倍ぐらいの大きさで内部に収まっている。
巨人族。とはいえ、その気性は穏やかで屈託のない様子で、クレア達もそんなアストリッドに少し和やかな気分にさせられた。作戦決行を前に少し緊張感が解れるところがあった。
塔に侵入した時と同様に、天井を滑るようにして上階に移動する。
救出作戦の開始だ。理想を言うなら、看守達に察知されずにルーファスを救出。その後他の人質達も、という形になるだろう。
螺旋状の広々とした階段の天井を滑っていくと一階、円卓の間が視界に入る。
塔の看守達が3人、円卓の間に常駐しているようだ。円卓を囲むように椅子に座り、本を読んだり談笑したりしていた。
円卓の間は看守達それぞれの私室に直通する作りだ。
一般棟から塔までの連絡通路から奥の階段までを一度に視界に収める事ができて、異常があればすぐに私室から飛び出し、円卓の間での防衛は勿論、上階や下階にも駆け付けることができる。
あくまで防衛と脱獄防止に主眼に置かれている作りだ。
出入口は円卓の間を経由するしかなく、通路、階段共に広々としていて身を隠す場所がない。本来ならば。
クレア達の場合は糸繭の中に姿を隠し、風景に同化しながら平面上を滑るように移動することができる。
監視している塔の看守達に見られないように注意を払いながら、塔の上階へと滑っていく。
円卓の間はともかくとして。上階は相変わらずだ。正体不明。何のものかよく分からない、得体の知れない魔力が上階にあるのが分かる。
ネストールのものか、それとも別の何かか。
それすらもよく分からない。魔力の本体と思われるものまではまだ距離があって、安全を期すために探知範囲を必要最低限に絞り、漏れてくる魔力を感知しているだけだからだ。
2階も広々としていた。
1階は円卓の間であったが、ここの作りも似たようなものだ。階段の対角線上に更に上階へと続く階段があり、部屋の中を通らないと上へは進めない。
「訓練場か。ここは」
グライフが映し出される風景を見て言った。刃や穂先が潰された剣や槍等々の訓練用の武器。打ち込み用の木偶。弓や魔法の的が整然と置かれている。
訓練場の周囲に部屋もあってそこからは魔力反応を感じない。糸を伸ばして中を確認してみるが、浴場や厨房といった設備のようだ。
得体の知れない魔力はと言えば……恐らく3階より上にいるのだろうが、距離感が掴めない。
「上は……何と言いますか。暗幕か濃霧で遮られているような――」
クレアが言って、表情を少し曇らせる。
「私にも見えましたわ……。何……でしょうか。黒い靄のようなものが上階から漂ってくると言いますか。こんな魔力は初めて見ました」
セレーナも少し緊張したような声で言った。
どうであれ上階に進まなければルーファスの救出ができない。作戦通りに動きながらも、クレア達は上階へと進もうと動いた。
3階へと続く階段。そこにそれがいるのだ。セレーナの言う黒い靄のような魔力に、クレア達を包む糸繭の周囲の探知術式、隠蔽結界と消音結界が、触れる。
……得体は知れないが、魔力の動きに変化は、ない。そう思って進もうとした矢先の事だ。
「気付かれ……いえ、結界、が――!?」
広がっていた魔力が何かに引き戻されるように上階に集束していく。同時に、展開されていた三つの結界が弾けるように掻き消えた。
次の刹那。何かを砕くような音と共に、探知を使わずとも分かるほどの大きな魔力反応が3階から飛び出してくる。
クレアも異常を察知すると同時に糸繭を後ろに下げる。下げて身を隠そうとしたが、間に合わない。それが凄まじい速度で飛び込んでくる。階段を飛び降りるように突っ込んできて、3階に続く通路から姿を見せた。
ゆったりとしたローブとマントを纏う、それは偉丈夫と言っていい、鍛えられた体格の男だった。白髪。白髭を蓄えた老爺がクレア達の潜む糸繭の付近に目を向けて、獰猛な笑みを見せた。
「どうやってここまで侵入したのかは分からんが……鼠が紛れ込んだようだな」
老爺は手にした重厚な斧槍の石突を訓練場の床に叩きつける。
牙を剝くように笑う老爺の周囲に魔力が渦巻き、その身に纏うローブを覆うように黒い鎧が出現していた。
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