第151話 孤狼の帰還

 追跡と戦闘。救出と帰還。とっくに夜は明けていた。深い大樹海にも、陽が差し込んでいる場所が見える。


 その中を走る。走る。出来る限り急いで。しかし背中に抱えた者を労わるように躍動の衝撃は小さく。動きに合わせて、背中の被毛も細かく動かし、白狼の身体に負担がかからないように注意を払う。

 自分の傷なら勝手に早く治る。しかし他者の傷を癒す手段を持ち合わせてはいないのだ。孤狼の被毛によって止血はしているが、それで傷が治るわけではないのだから。


 伝わってくる白狼の呼吸は浅く苦しそうで、思ったよりも衰弱が酷い。帝国の城では自分で歩くこともできてもう少し元気そうに見えたのだが、孤狼の背に抱えられた事で安心して緊張の糸が切れたのかも知れない。


 孤狼に同種の仲間はいない。

 だから白狼も他種族の狼魔物ではある。しかし、孤狼にとっては大切な家族だった。

 白狼は所謂アルビノだ。見た目の特異性。身体の弱さから生まれてすぐに群れから捨て置かれた。死を待つだけだったのを拾って育てたのが孤狼だ。


 番であるのか。子であるのか。種族は違うが孤狼にとっては家族のようなものなのだ。


 だからロナとクレアの関係にも共通している部分があるだろう。


 そんな孤狼の目指している場所は領域ではない。大樹海を南に抜けての王国側だ。自身の領域に帰っても白狼の傷は治せない。こういった時に傷を治す手段を豊富に持っているのは人間だ。頼る伝手も、最近できた。


 問題は――王国のどこに向かうべきかだ。

 あの娘はまたこの場所に来ると、そう言っていたが何時来るか等は分からない。だとするなら、あの場所からあの一団の臭いと痕跡を辿り、拠点まで向かって助けを求めた方が良いのではないか。


 そうなると今度は王国側の人間から追われる可能性がある。白狼を抱えている状態でそれは避けたい。

 特に王国側の人間に助けを求めようとしているのだ。攻撃されても応戦するわけにはいかず、逃げ回ることはできても白狼の負担にはなるだろう。


 しかしそれでも、という思いはあった。やれることをやらずに後悔するのは性分ではないのだ。


 やがて大樹海の終わりが見える。孤狼が辿り着いた場所は開拓村の建設予定地だ。

 馬車の轍や足跡などは残っているので、ここからの追跡は容易ではある。

 ただ、騒ぎになることは避けたい。街道に近い大樹海内や森の中を進んで、人目に付かないように移動をすべきだろう。


 孤狼は森歩きの術を使い、臭いや痕跡を確認しつつも街道近くを移動していくことにした。

 白狼をどこか近場に隠して都市部まで追跡してあの娘を呼び出すという事も考えていたが――そうした考えは杞憂に終わった。昨日と同じ集団が街道を近付いてきているのを目視できたからだ。




 クレア達は孤狼と遭遇した開拓予定地に向かって移動していた。

 開拓が本格化する前にエルムと共に早めに小屋を建てる事を考えているとクレアが言うと、シェリーがそれを見たがったためだ。


 リチャードの許可も出て、昨日に引き続き開拓予定地へと移動することになったのだ。


 が――部隊の足が止まる。進行方向に孤狼が現れたからだ。害意がないというのを示すように離れた位置に現れ、その場に腰を下ろしていた。


 昨日に引き続いて現れた孤狼に一同は驚いていたが、すぐに背中に白狼を背負っていることに気付いた。


「あれは――」


 クレアもそれを確認すると「少し行ってきます」と前に出る。セレーナやグライフ、ディアナ、ロナもそれに続いた。

 昨日の今日ということ。それから今の動きと合わせ、兵士達も前回ほどの緊張はない。孤狼の纏う魔力から感じる圧のようなものもない。

 とはいえ、シェリーの護衛なのでしっかりとその周囲を固めてはいるあたり、任務はきっちりとしているが。


「あれが孤狼。確かに、美しいけれど……」

「背中に白い狼を背負っているわね……」


 そう言ったのはルシアーナとヘルミーネである。二人に限らず、背中に抱えられた白狼を見て、皆少し驚いているようだ。

 辺境伯家から派遣されている部隊を指揮しているのは、昨日に引き続きリチャードだ。ただし同行する顔触れがジェローム、ニコラスから入れ替わっている。


 できるだけ家人と要人との接点を増やしておきたいという考えもあった。とはいえ、辺境伯家の立場としては王家に対しては節度を持って付き合っておく必要はあるのだが。

 そうして辺境伯家の家人と護衛達は、少し離れた位置からクレアと白狼のやり取りを見守る。


「その子をここへ寝かせてください。治療を始めます」


 クレアは事情を尋ねるとか疑問を差し挟むでもなく、鞄から清潔な敷布を地面に広げて言った。


 孤狼は感謝を示すように頭を下げ、身体を傾けるようにして被毛を操作して白狼をそっと布の上に寝かせる。


 その動きで孤狼が白狼を労わっている、というのが分かる。


「あまり状態が良くなさそうだね。あたしも手伝おう」

「はい」


 ロナの言葉に頷くクレア。白狼はクレア達が目の前にいるというのに薄く目を開けたもの特に反応を示さずまた目蓋を閉じてしまう。被毛があちこち血で汚れており、呼吸も浅い。衰弱している、というのは間違いない。


 何種類かの薬瓶を取り出し、外傷のある場所の鎮痛、消毒と治療を行っていく。白狼はむず痒いような妙な感覚に身体を軽く動かすが、痛みはない。治療してくれていると理解しているのかも知れない。大きな反応は示さない。


「こいつも飲ませな。体格が大きいから、3本はいるだろうね」

「栄養剤ですね。毒ではないと教えたいので4本下さい」


 クレアが毒ではないということを示すように栄養剤の内1本を自分で嚥下して見せてから薬瓶を持って白狼に近付く。


「少し苦いですが……飲めますか?」


 白狼は傷が塞がったのを理解しているのだろう。まだ力はないが、クレアの動きを静かに赤い瞳で見守っているようだった。口を開けるようにクレアが自分の仕草で促すと白狼も口を開け、首を軽く上げて応じる。


 それに微笑んで、クレアは白狼の口腔内まで瓶を持って行き、その口の中に栄養剤を注ぐ。白狼はその味と臭いに少し驚いたようだが、吐き出すこともなく嚥下した。3本もなのでやや表情に出ている部分はあったが。


「それから……外傷……だけではなさそうですね」


 肋骨が折れている。足の骨に罅も入っているようで熱を持っていた。ポーションは外から振りかけるのであれ飲ませるのであれ、あくまで外傷用であり、傷を修復するというものだ。なので、添え木をしたりという形にはなるのだが――。

 クレアは少し考えていたが、静かに頷く。


「自分の身体で安全性は確認済みですし、少し試してみますか」

「あれか。良いんじゃないか。骨は変な繋がり方をする可能性もあるし、折れたのが突き刺さることもあるからね。怪我人なら安静にもしてられるが、野生じゃあそうもいかない」

「では――。小さな痛みがあるかも知れませんが」


 そう言ってクレアは骨折していると思われる部位に消毒薬を振りかけてから手を添える。周囲からは何をやっているか見えないが。やっていることとしては固有魔法の糸を一本だけ侵入させ、骨そのものを錬金術の術式応用によって繋いで構造を修復する、というものだ。


 ロナがクレアのしていることを解説すると、グライフが言った。


「そういう実験の安全性なら、次からは自分ではなく俺で試して欲しい所だが……」

「いやいや、最初は自分だから試せるんですよ。何をしたせいでどうなっているとか、きちんと把握して対処できますからね。まあ、無茶な事はしないようにしますね」


 少女人形がパタパタと手を振る。そんな反応にグライフは苦笑し、クレアも安心して欲しいというように少し笑って応じた。


「……骨は繋がりました」


 やがてクレアが安堵したように言って、糸を抜いてからもう一度傷を塞ぐためにポーションを施術した部位に振りかける。

 白狼は施術中、特に痛みを感じなかったのか、クレアが何をしているか理解していない節であったが、骨折の影響がなくなっていることに気付いたのか目を瞬かせて立ち上がる。


「まだ体力は回復していないと思うので無理はしないで下さい」

「確かにお二方とも疲れているようですわね」


 犯人が帝国であると目星をつけたのが昨日の事だ。そこから追跡して突き止め、救出して戻って来たというのならこれ以上ないほどに行動が迅速とは言えるだろうが――流石に走り回って疲れているのか。孤狼もセレーナの目には魔力を消耗しているように見えた。


「そうですね……。私達もここから少し行ったところで作業をしようと思っていますので、そこで休憩するというのはどうでしょう。食事ぐらいなら用意できますからね」


 クレアがそう言うと孤狼は白狼に目を向けて少しの間考えていたようだが、やがて首を縦に振るのであった。

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